何のための英語

小西氏は大学卒業後、アメリカに留学し、現在は日本で中学校の英語の教師をしているEさんの言葉を紹介しています。彼女は英語を学ぶことに対して「人生をより豊かにするものとして英語を学んでほしい」ということを彼女の英語の教師から教わったと言っています。こういった教えから、Eさんは言葉の刷り込みでしかない乳幼児への英語ブームは理解できないと言っています。そんな彼女は英語を学ぶにあたって、生徒に「日本語を大切にする気持ち」を伝えているそうです。

 

Eさんは第二言語を学ぶにあたって、日本を大切にする気持ちが重要であると言っていますが、そこには2つの理由があると言っています。一つ目の理由は言語はコミュニケーションの手段というだけではなく、その国の文化そのものであるということです。そのため、外国語を学ぶためにはその国の文化に触れるという謙虚な気持ちが必要であると言っています。しかし、幼いころから発音を身につけさせたとて、子どもは文化に関してはさっぱりわからないと言います。次に2つ目の理由は、母国語で意志を伝えられないのに、様々な価値観を持つ世界の人たちと話すことはできないと言っています。これはEさんの留学体験を通じて痛感したことでもあるようです。

 

では、語学力とはどういったものを指すのでしょうか。厚生労働省では、「英語によるコムにケーションの能力の向上が強く求められている」「過度に細部にこだわらずコミュニケーションの能力を高める」「コミュニケーションの技術としての英語力を育成する」と、英語力と人と関わる力の同時育成に重点が置かれていると言われています。しかし、Eさんの留学の経験から見ると、語学力とコミュニケーションは必ずしもイコールではないというのです。

 

「英語が身についたら、外国人と対等に話ができると思っている人は多いけど、言葉は話したいことがあるから、自然と口から出てくるもの」と言っています。このことはよく考えなければいけません。特に母国語でさえ社会性の低下が問題になっている日本人のコミュニケーション能力を見るとなおのこと、この言葉の意味合いは考えさせられます。語学力を磨くこととコミュニケーション能力を磨くことどちらの方が社会で使うときに必要になってくる能力なのかをよく考えなければいけないのです。

 

ある外資系のビジネスマンは、中国人の同僚が、自分よりもはるかに拙い英語力ながら積極的にコミュニケーションをとって好成績を上げていることに衝撃を受けたと言っています。これを逆の立場で考えてみましょう。日本で暮らす外国人の拙い日本語を思い出してみてほしいと小西氏は言っています。彼らは一生懸命言葉を紡いで話をしてくれますが、それを馬鹿にすることはありません。それは日本を知ろう、日本になじもうと努力する賢明さが伝わるからです。むしろ、海外の人からすると、自分の国の文化も満足に知らず、乱れた日本語を使う私たちの方が滑稽に感じられるのです。

 

言語を獲得し始める時期の子どもは、、自我の芽生えによる強い「衝動」や「感情」に伴って発語が見られる場合が多くあります。こういった他人への欲求や拒否を、自分が知っている限りの言葉を使って周囲に伝えるのです。言語はあくまでコミュニケーションのツールとしてではなく、「思考の基盤」でもあります。使おうと思わなければ意味がないのです。大切なことは単語を教えることではなく子どもの自発的な発語を促すことではないかと小西氏は言っています。このことは何も語学だけに言えることだけではないかもしれません。