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「子どもを育てる」と一口に言っても難しいものです。できれば、子どもたちには最高の教育や育児環境を与えてあげたいと思いますが、それも子どもたちによってはニーズは違いますし、ひとりの子どもにあってるからといって、その他の子どもにあっているとは限りません。また、風土や文化によっても違ってくるものもあるのです。OECDのPISA(学習到達度調査)では様々なデータが集められます。しかし、それに応じて答えのない数多くの問いを残していくとアンドレアス氏は言っています。

 

彼は「PISAの結果はある時点の教育システムの一面を教えてくれる。しかし、学校システムがどのようなプロセスで成果を出してきたか、あるいはシステムの発展を支えたり妨げる可能性がある団体や組織を示すことはないし、そのようなことはできない。さらに、データは因果関係について何も教えはしない」といっています。つまり、データは一つの結果であり、そこでの成功したシステムがほかで同じように行ったからといって、同じような結果がでるわけではないということです。このことについて、アンドレアス氏は「国際調査の限界の一つだ」といっています。そして、「PISAの強みは、他のすべての人が取り組んでいることを各国に伝えることにある」というのです。問題はこれをどう生かしていくのかです。

 

このことはどんなことでも言えるのかもしれません。以前、保育にあたってある先生からアドバイスをもらいました。保育をかえるにあたって、私は「真似」をすることにすごく抵抗がありました。その時に、相談に乗ってくれた先生は「じゃ、ゴルフをするときに、有名な選手の教則本を見て練習をすることと、我流で練習する人、どちらがうまくなる?」と質問されました。「もちろん、教則本を見る人の方がうまくなるでしょう。でも、あなたがうまくなっても、その有名選手になることはできません。それが独自性として出てくるのです」と言われました。

 

「いくら練習してもその人にはなれない。だけど、教則本を読むことで上達は早い。」問題は、教則本を見たとしても、その中で自分なりに消化し、形にしていくためには柔軟な姿勢が求められ、その変化が独自性として見えてくるのです。PISAの調査の利用方法もそれと同じことが言えます。PISAの成績が良い国をただ真似てもそれは「模倣」ではなく、「猿真似」なのです。これは保育においても、育児においても、そうであると思います。ある教育方法が良いからといって、それを鵜呑みに行うことはあまりよくありません。大切なことはその中にある「意図を汲む」ことです。「いったいそれが何のために行う必要があるのか」を予測しなければいけません。

 

「教育や保育は哲学で考えるもの」ということを以前言われたことがあります。「なぜ、教育や保育が必要なのか」を考えていないと本質には近づかないのです。真似をすることは技術を盗むというためには非常に有意気な方法です。しかし、その本質を知って、真似をするのとそうではなくただ真似をするのとでは結果が大きく違ってきます。できるだけ、その本質を見るということは心がけていきたいものです。