海外から見て

アンドレアス氏は「教育は非常に局所的で内向きになることが多い。」といっています。そのため、学校と教員が自分たちの仕事に関する知識を共有するのが困難になっている可能性があると言っています。このことは各国の教育システムにも同様のことがいえ、国境を越えて他国の教育政策や実践に目を向ける機会はほとんどない。他国の経験から学ぶことがほとんどないのです。アンドレアス氏はこのことについて「今を生きる若者の人生や未来のため、新たな政策や実践を試みる倫理的な要素を考えれば残念なことだ」と言っています。

 

確かにこのことは海外研修に行かせてもらうとよくわかります。それは日本の良いところを見ることにも繋がるのですが、どちらかというと日本の課題のほうがより鮮明にみえる気がします。特に大きく違うと感じたのが、教育と政府との関係です。海外はどの国でも、子どもの教育において、政府の介入が大きいのを感じました。ドイツでは、以前紹介したようにミュンヘン市は「陶冶プラン」が進められ、私が見学にいったときも園長先生や施設長は分厚い「バイエル」という日本でいう指針や要領にあたるものを持って話していました。韓国や中国では国が進めるということに対して、非常にスピーディに変化が起こっているのを感じました。シンガポールは教育省である「エクダ」がスパークという園の資格のようなものを発行し、その質の担保を確保するようにしていました。このことに対し、日本の特に保育に関しては、保育指針や教育要領といった指針となるものはあっても、その動きは大綱的です。そのため、各園の裁量によるものが多く、さまざまな保育形態が乱立していても良いという環境です。それが良いのかどうかはわかりませんが、ジャッジを下すものがないため、施設によってその目的や子どもの発達の見通しというのは大きく違ってくるように思います。こういったことは日本の様子をより感じるのは海外を見ることでより感じます。

 

アンドレアス氏は「国際比較が非常に重要な理由はここにある」と言っています。「教育の世界をリードする人々が達成した公平性、効率性の高い功績に基づいて教育の可能性を示すことができる」といったように海外の様々な教育体系を見ることによって、政策立案者は、測定可能な目標に基づいて有意義な目標を設定することができ、異なる教育システムが類似の課題にいかに対処しているかを理解できるようになるのです。そして、私が感じたように、「政策立案者や実践者が国際的な視点から自らの教育システムについてより明確な見解を得る機会が提供されることである。そのシステムの根底になる信念や構造、強みや弱みを深く理解した上で、教育システムは変更、改善されなくてはならない」と言っています。

 

私はそれともう一つ、こういった変更改善を行うためには、自分の教育システムを見直す視点を自分も持っていないといけないということです。そして、そのためには、今自分たちが行っている保育や教育に対してしっかりと理解していなければ、変更や改善するのではなく、鵜呑みにしてしまいます。まず、じっくりと自園での実践に目を向けることが重要なのだということが分かります。