学力調査を受けて

PISAがもたらした最も重要な見識の一つは、「教育システムは変革可能であり、改善できるということだ」とアンドレアス氏は言っています。学校がいかなる成果をあげるかに関して不可避で固定的なことは皆無だということをPISAは示したのです。調査結果からは、「社会的な不利と学校での成績不振には必然的な関連がない」ことも明らかになったのです。つまり、学校での取り組みにおいて、成績は変わるというのです。これからの社会は流動性のある社会が求められるといいます。優秀な人が優秀な成果をあげられることが社会には必要であり、そうなっていくためには様々な不利な状況を打開する社会システムが必要になるのです。つまり、人材をうまくいかせる社会構造を作ることでより、革新的な時代となることができるのです。

 

PISAの調査結果は、現状肯定派にとっては挑戦的なものでありました。しかし、ある国が成績向上のための政策を実施することができ、社会的格差をなくすことができたのなら、他の国に同じことができない理由があるのでしょうか?とアンドレアス氏は言います。いい教育方法や保育環境を取り入れることは国にとっても有益な成果を見通せます。現状を肯定し、換えないことが良いことなのか?学校の質を保つ教育システムなど、成功すれば持続性のある安定した教育成果がもたらされることを示した国もありました。フィンランドは、PISAの最初の調査で全面的に最も成績が良かった国だが、保護者は自分の子どもがどの学校に入学しても高い水準の教育を受けられると信じられています。

 

逆に、国の成績が絶対的な数値としても、その国の期待値と比較して低いことが判明した場合、PISAが出す成績の与える影響は大きくなります。PISAが一つの尺度として見えてくるのです。国の成績と国際的な成績との差が見えてきます。このことは今の日本の教育の状況が似ているように感じます。ほかにもPISAが強力な教育改革運動を引き起こすほど、国民の注目を集めた国もありました。国民が思っている教育システムと調査結果が相反するときに非難の声は最大となり、国民と政治家が自分たちの教育は世界で最高のものだと思っているのに、PISAがそれとは異なる結果を示した場合には実に大きな動揺をもたらしたのです。

 

今の日本はまさにここにあるように思います。PISAの学力調査では読解力が落ちていると言われています。そして、それによって政策はその読解力の改善を求めて、小学校の教育を変えてきています。しかし、未だ「詰込み型の教育」への転換が視野に入れられ、学校教育は右往左往しています。これが「ゆとり教育」の弊害です。現場側と政策側がどうもうまく共通理解できていないように感じられます。しかし、政策的には学校教育も少しずつ変わってきています。学校現場の様々な対応が求められています。しかし、未だ課題は多くあり、それは乳幼児教育においても同じことが言われます。「幼保小の接続」はずっと言われ続けています。PISAの学力調査が出るたびに「学力が低くなった」というところばかりがクローズアップされますが、その改善における取組みがあまり取り上げられていないように思いますし、これまでの教育の形を変えることに対して保守的な考えは未だ根強く感じます。PISA の調査結果の受け取り方はなかなか難しいように感じます。