9月2020

変化

バイエルン州ミュンヘン市では「オープン園」に徐々に移行しているそうです。しかし、この保育形態は園長自身が「オープン園」にするかどうかを一任されているそうです。また、それによって変化する働き方になじめない職員は希望転園することもあるそうです。ベルガー氏のいる幼稚園でも、オープン園になる家庭では様々なことがあったそうです。

 

ベルガー氏が幼稚園で働き始めたころ15年前では、一クラス複数担任制で3~6歳の異年齢児25人を常時2人の先生で見ていました。ドイツの幼稚園の開園時間は午前7時~午後5時までの保育時間なので、クラスの先生は3~4人でシフト制を取っていました。当時のクラス活動はドアが閉鎖された状態であり、保育内容はクラス内の担任同士で話し合います。様々な活動はありますが、2つのクラスが一緒に遊ぶ機会は庭で遊ぶときのみです。その状態からオープン園への移行が始まります。まずは、廊下スペースの有効利用が注目されます。これにより庭だけではなく、廊下がほかのクラスの子どもたちが出会う場となるように、積み木コーナーと読書コーナーを作りました。

 

つぎに担任制のとりやめです。先生の持ち場と持ち時間は週案により、月曜日に決まります。そして、それぞれの先生の持ち寄る保育内容についても話し合いが行われます。毎朝50名の子どもたちが「朝のお集り」として多目的室に集合するが、その最後に数名の先生がその日の設定保育について紹介します。このときに製作や体操に内容が偏らないように、あらかじめ各自の保育内容を月曜日に申告しておくのです。毎日複数の設定保育が提案できるように調整されます。

 

朝のお集り時に設定保育を紹介された子どもたちは自分のしたい製作や、遊びを選んで、担当の先生とともに、場所を移動することになります。遠足やお散歩については、希望者のみでの移動となり、保護者に対して個別の連絡など煩雑になることも多いが、あくまで子どもの希望に応じて実行されます。

 

このように大人の動線が軌道に乗ってきたときに、今度は園児50人が園内で自由に動き回れるようになったそうです。幼稚園内であれば、どこで誰とどのくらい遊んでもよい。というように、クラスのドアは常に開かれた状態になりました。ほかにも学童の保育も同様に変化させていくことで、より部屋や環境を有効活用できるようになります。

 

このようにドイツでは、クラスの壁と関係性を無くすことで、園全体の子どもたちを園全体の先生で見ていこうという「オープン園」化がなされていきました。しかし、それも順風満帆ではなく、さまざまな議論の基、変化させていったといいます。

子どもの主体性、自立性

ドイツでは、子どもたちの個性、自立性を尊重し、多種多様性を受け入れることができ、困難を乗り越える力も養うことができる保育形態が「オープン園」であるのだとベルガー氏は言います。これはドイツにおける「子ども観」が中心にあるからなのですね。そして、「オープン園」が広がっていく背景にはドイツの風土があるからなのだとベルガー氏は言います。その風土とはどういったものかというとそれは遊びを大切な学びの機会ととらえている点です。

 

遊びの重要性については、陶冶保育プランでも重ねて指摘されている。従来のように先生が前に立って指導する保育方法と違って、「オープン園」には、子どもが自由に選び遊ぶ時間が十分あります。先生によって計画、指導される保育ももちろん必要であるが、ドイツではそれよりも子どもの発達に大切なのは、自主的な自由遊びの中での学びであることを強調しています。陶冶保育プランの中にも自由に遊ぶ中で、さまざまな生きる力を身につけていく理論的裏付けや、実例が記載されているのです。

 

これは日本においても、同様のことが言えますね。保育所保育指針、幼稚園保育要領、こども園保育要領においても、「自主性」「自発性」という言葉は多く入ってきます。しかし、ドイツの陶冶保育プランと違うのが「自由遊び」の重要性というのはあまり語られていないように思います。以前にもブログに書きましたが、自由遊びというのは非常に大きな影響を与えるものが多くあります。思考力や社会性、ストレス緩和に想像性と上げていくととても多くあります。しかし、日本ではまだまだカリキュラムによる、先生主導の活動の方に重きが置かれているような印象があります。その割合が日本の場合とドイツの場合では大きく違っています。そして、その根底にはドイツとの「子ども観」の違いが見え隠れします。特に「自主性」「主体性」といった取り方は日本とドイツではとても大きな違いがあるのを見学に行ったときに感じました。日本はどちらかというと「子どもたちと一緒に遊ぶ」ことや「子どもと仲良くしている」のが良い先生なイメージがあるのに対して、ドイツの先生は「子どもたちの動きを尊重する」、「無駄な関わりを一切しない」といった印象がありました。園庭遊び中も紅茶を飲んで子どもを遠巻きに見ている様子が多かったです。無駄な介入はしないのです。しかし、子どもからのアプローチには、応答的に反応していました。一見、日本においては「放任」ではないかと思うほどです。しかし、その行動の裏には「子どもには生きる力があるということを信じる」という気概が非常に強くあるということを感じました。

 

日本は「先生主導が良し」とされ、「先生の力量」が求められることがまだまだ多いです。そのため、「子どもたちがどう考えたか」よりも「子どもたちが何をしたか」に目が行きがちです。過程よりも結果をみてしまうのです。ドイツを見学していく中で、改めて、書類を通して子どもを見るのではなく、ありのままに子どもを見ることの必要性を感じたのを思い出しました。

ドイツの子ども観

バイエルン州ミュンヘン市では2003年から陶冶保育プランが行われています。その中で最初に定義されているのが、「子ども観」です。子どもは学ぼうとする姿を生まれ持っていること、子どもには学ぶ権利があることが強調されています。そのため、守ってあげる存在ではなく、自分で自分のやりたいことや可能性を決定する力がある子ども像が確立されています。

 

また、社会の変化に伴いシングルマザーや共働き家族の増加、ドイツは移民を受け入れているので、こういった移民や難民の流入など、さまざまな形の援助が不可欠となってきた。そのため、多種多様なバックグラウンドを持つ子どもたちをそのままで受け入れることのできる園がもとめられるようになりました。さらに、スピードや効率が評価される社会環境や学歴社会などを超え、複雑化する社会において、困難を乗り越えていく力(レジリエンス)が重視されるようになってきたとベルガー氏は言っています。

 

このような時代背景は日本においても非常に似ているところですね。ドイツは日本と歴史背景が似ている国でもあります。第二次世界大戦においては敗戦国でありますし、マイスターなどの技術職における弟子入りは日本の昔の徒弟制度に似ています。また、近代における先ほどの内容においても、シングルマザーや共働き家族の増加といったことは日本も例外ではなく、非常に増えているのが現状です。唯一違うのが移民や難民の受け入れについてですが、これからの日本においては少子高齢化による労働人口の減少を受け、海外の労働力の受け入れを考えている日本の現状を考えると決して他人事で済ますことではないように思います。つまり、ドイツの現状は数年後の日本であるかもしれないのです。現在でも、東京駅などを見ていると、飲食店の店員のほとんどは中国の方や韓国の方、東南アジアの方がほとんどです。大阪においても、さまざまな国の人が働いているのを見て取れます。確かにこのような多様化になってきている社会環境において、対応、順応していく子どもたちを育てていかなければいけないのです。

 

ドイツでは「複雑化する社会において、困難を乗り越えていく力(レジリエンス)が重要視されている」と言われているのは前述したとおりですが、日本においても、こういった力が求められているのだと思います。そして、これはこれまでにも出てきた非認知能力における「粘り強さ」などがこれにあたるのでしょう。

 

しかし、まだまだ、日本の保育現場や教育現場は認知能力に偏っている現状が強く残っています。子どもたちの個性といいながら、子どもたちに考えるよりはカリキュラムに子どもを乗せていくという保育形態や教育形態がいまだに強く残っています。子どもの本質から入り、どのような環境が必要なのか、やはり保育の内容以上に「子ども観」というものをしっかりと捉えることが重要であるというのがドイツの姿勢からも強く感じます。

意識されるもの

ドイツでは、子どもの権利条約の採択によって、子どもの参画を軸においた、「分け隔てなくすべての子どもを受け入れることとされ、関わる全ての人々が参画可能なオープンな社会の基礎となる幼児教師句を体現する場」といった考えのもと「オープン園」といった保育体系の幼稚園や保育園が始まっています。

 

また、バイエルン州においては「オープン園」が広がる主な要因として、2003年に制定された陶冶保育プランの影響が大きいとベルガー氏は言っています。2000年にOECD(経済協力開発機構)の学習到達度調査(PISA)が実施されたことにおいて、ドイツの結果は振るわなかったそうです。低迷する学力にもまして、ドイツの教育専門家にとってショックだったのは、家庭の経済格差に比例して子どもの学力の差が歴然としている点であった。この結果を受けて、乳幼児教育の重要性が再認識され、幼児教育政策へのテコ入れが加速したのです。

 

ドイツは連邦制のため、国としての大枠があるにしても州ごとに保育政策、保育要綱が異なります。その中で、バイエルン州のミュンヘン市はドイツでの唯一の州立乳幼児教育研究所があり、最先端の乳幼児教育の実践を誇っています。さらにいうと、乳幼児教育を超えた学校教育にも最も力を入れている州の一つとされています。そのバイエルンでさえ、2003年に初めて保育要綱である陶冶保育プランが発行されることになったのです。そして、その保育プランはドイツの中でもすぐれたものと認知されています。

 

私が見学に行った頃のドイツの保育園でも、この陶冶保育プランというものを基に保育を行われていました。というのも、見学にいった様々な保育園や幼稚園において、多くの園長先生がバイエルンという陶冶プランがかかれた要綱をもって、園内の説明をしていたのですね。そして、その陶冶プランに沿った説明をしていたのがとても印象的でした。

 

現在、今日本で行われている保育においても、本来であれば、こういった取り組みや解説が行われなければいけません。しかし、未だ五領域ですら、意識されていない園も多くあります。大綱化というのは日本の一つのいいところでもあります。園によって大きな枠組みにとらわれず、各園によって、より良い保育を行うということによっては動きやすい面もあります。しかし、ドイツのこの姿勢を見ていると日本はどこかで乳幼児教育は非常に放っておかれている印象すら受けます。もちろん、指針や要領はあり、それを基に保育はするべきなのですが、それにあまり拘束力もなければ、国や自治体もあまり、介入しては来ません。現場においても、日々の保育に追われるあまり、一つ一つが指針や要領を意識したものというわけでもないように思います。以前、ある会議では「私たち、6領域でならったもんね~」という先生もいるという有様です。

 

この姿勢の違いは一体何なのだろうかと、ドイツに行ったときに感じました。

ドイツと子どもの権利条約

ドイツでは「オープン園」という保育形態に近年は変わってきています。「どこで何をして誰と遊ぶかを自分で決めることができ、園は子どもの決定権や参画を保証する場」として保育を考えていくということでしたが、始めはなかなかうまくいかなかったとベルガーさんは言っています。従来の保育方法に慣れている先生たちは、最初「すべての子どもを把握するのは不可能」や「保育者との関係性が希薄になるのではないか」といった意見が出てきたそうです。そういった状況を変えることにはまず大人側の発想の転換が必須になってきます。次々と疑問や困難が出てきました。しかし、こういった疑問や困難を職員全体で乗り越える協力体制を作っていくことが「オープン園」の前提となります。

 

では、なぜドイツはオープン園を進めているのでしょうか。これには「参画」ということが大きく関わっているようです。「参画」については1986年国連総会において「子どもの権利条約」が採択されたことが大きいようです。オープン園において「子どもたちが自分たちで決める」ということを重要視しているというのは前回にも話しましたが、子どもの権利条約において「意見の表明権」がこれにあたっていくのだと思います。ちなみに日本はこの子どもの権利条約において批准しています。つまり、守らなければいけない立場になっています。しかし、日本政府は国連の子どもの権利委員会」から勧告を3度受けています。そして、その勧告のうちの一つが「子どもの意見の表明権」についてです。以前、このことについて調べてみましたが、そこには「(国連の)審議の中では、競争の激しさとともに、カリキュラムや校則に柔軟性がないことが指摘されています。子どもたちが学校の運営に関わっていないこと、学校で子どもに県が尊重されていないことはここにも(権利条約 第12条 子どもの意見の尊重と参加する権利)関連しています」と書いてありました。日本はこのドイツの「参画」から学ばなければいけないものは多いように思います。

 

このようにドイツでは子どもの権利条約の採択をうけていく中で、保育改革や教育改革が行われます。そして、この「オープン」という概念は70年代の西ドイツにおいて考案され、障害児童特別措置に疑問を持つインクルージョン派と子どもの体づくり推進が統合され発展してきたとベルガー氏は言います。そして、「オープン園」の目指すところが分け隔てなくすべての子どもを受け入れることとされ、関わる全ての人々が参画可能なオープンな社会の基礎となる幼児教育を体現する場とされたのです。

 

このようにドイツは国を上げて国の教育に大きく変化をもたらせたのです。そして、その根本には子どもの権利条約が大きく影響しているのです。何とも考えさせられるものです。日本では未だ、カリキュラムは大人主導で決まるものであり、子どもの参画というのはそれほど重要視されるものではありません。もうすこし、子どもの権利というものを見直す機会が必要であり、意識されなければいけない。大人の意識の転換が求められるようにドイツを見ていると思います。