振り返る力

相手にとって礼節ある態度を持つことはなかなかに難しいことです。このクリスティーン氏の「THINK CIVILITY」を読んでいても、では無礼ではなく、礼節のある態度とはどういったものなのだろうかと思います。人は意図せずに相手を傷つけることもあるのです。良かれと思っていったことが図星過ぎて、かえって相手を見下しているような印象を持たせてしまうのです。クリスティーン氏は「あなたは他人と接するときの自分の些細な振る舞いにどの程度、自覚的になっているだろうか」と言っています。確かにこのことを考えた時に、ふと自分は「笑っていないな」とか、気づけば「結構言葉が厳しかったかもしれない」と思うことがあります。クリスティーン氏は「自分の振る舞いに自覚的になるためには、どうしても他人の協力が必要になる。つまり、周りの人に自分の行動にフィードバックをもらうことを勧めています。

 

つまり、自分のことが見えないのであれば、信頼する他者からの意見をもらうということです。そして、それに関してはしっかりと耳を傾け、言い訳、自己弁護はしないということが条件としてあり、客観視されたものを受け入れるというものでした。これは自分にとっては耳が痛いことではありますが、他者の言葉は貴重です。他意の無い言葉を受けとめることが必要ですね。だからこそ、「信頼する他者」である必要があるのでしょう。

 

また、「できるコーチ」という人の指導というのも必要だそうです。自分の姿を見て、「どうすれば言動を改善できるか」、また、「良い言動を続けられるか」を見てもらうというのです。もし、そういった人がいない場合、職場の同僚とともに改善することもできるといいます。カードを交換することも良いと言っています。片面には良いところ、もう片面には言動の修正するところ、改善するところといったように。

 

ほかにも「自分が無礼な態度を取ると合図を送る」といったことや「ロールモデルを探すことで、そのモデルとなった人の言動や態度を分析し、なぜ、彼らの態度は感じがよく、接した人が皆、自分は尊重されていると思うのかを考えてみる」ことや「毎日、日記を書く」ということを勧めています。

 

つまり、自分の態度を改めるためにはいかに自分を「客観視できるか」ということが重要なようです。そして、できない場合、他者にお願いすることで、自分でも気づかない機微の部分において、指摘してもらうということが重要になるようです。現在、社会問題など様々な問題を見ていると、この「客観視」ができない人が多く、情動的に反応する人が多いと言われています。そして、それは「非認知能力」に問題があるといいます。そして、それは小さい頃からの経験や体験によることも多いと言われています。私も人との付き合いの中で、うまくいかないことがあったときに、自分を振り返ることは多々ありますが、もしかすると、生きていく中でこういった経験が少なかったというのもあるのかもしれません。

 

保育をしていると、子どもたちは様々な喧嘩や言い争いを毎日しています。ある意味で、利害なく、ぶつかり合っています。そして、その中で折り合いを見つけていくのですが、こういったやり取りの中で、人を学び、人を知り、自分を知ることにも繋がっているのかもしれません。大人になると、上下関係や役職など、さまざまな利害が発生すると、権力や力で、相手を黙らせてしまう場合もあります。こういったことを含めて考えると、子ども期のトラブルというのはより純粋な人とのやりとりのように見えます。そして、その時に、自分を自己評価できる術を持つことができれば、将来に生かせるスキルを持つことができるのだろうと思います。なぜ、乳幼児期に能力が育つのかというのを考えると、そこには純粋な関係性があるからなのかもしれません。