感情統制の弱さ

非行少年に共通する特徴の2つ目が「感情統制の弱さ」です。人の感情には、大脳新皮質より下位部位の大脳辺縁系が関与しているとされています。5感を通して入った情報が認知の家庭に入る際に「感情」というフィルターを通るので、感情の統制がうまくいかないと認知過程にも様々な影響を及ぼすというのです。これは大人においても同じことがいえ、カッとなって感情的になると冷静な判断がしにくくなるのはこのためだと言われています。したがって、感情の統制の弱さは不適切な行動にもつながってくるのです。

 

非行少年のなかには言葉で表すのが苦手で、すぐ「イライラする」ということや、カッとなるとすぐに暴力や暴言が出るという子どもたちがいます。こういった子どもたちは何か不快なことがあると心の中でモヤモヤしますが、いったい自分の心の中で何が起きているのか、どんな感情が生じているのかが理解できず、このモヤモヤが蓄積しやがてストレスへと変わっていきます。もちろん、時間がたつことでストレスは次第に減っていくことにはなるのですが、不快なことが続くとどんどんストレスはたまっていくことになります。すると、それを発散しなければいけなくなります。しかし、その発散方法を間違えれば、いきなりキレて暴力事件や傷害事件、性加害といった犯罪をおこすという結果につながりかねないのです。

 

こういったストレスをいっぱい溜め込んでいるいる少年たちの中に、性非行を行う少年が多いという印象を宮口氏は持っていると言っています。そして、その非行少年のほぼ95%くらいの子どもたちは、小学校や中学校でいじめ被害に遭っていたというのです。いじめ被害で計り知れないストレスをため、そのストレス発散に幼女へのわいせつ行為を繰り返いしていたというケースがほとんどだったそうです。

 

宮口氏はある性犯罪を起こした少年に「気持ちの日記」というその日に「よかったこと」「悪かったこと」とその時の気持ちを書かせたことがあるそうです。その対象の少年は感情の表現するのがとても苦手だったそうです。初めの10日間ほどは「何もありません」が続いていました。やはりかけないかと宮口氏があきらめかけたとき、11日目から「悪かったこと」の欄にとても小さな字で枠いっぱいにびっしりと書き始めたのです。そこには「僕はみんなと同じように掃除をやっていたのに、先生は僕だけしていないといったので、むかついた」「なぜ、先生は僕ばかり注意するのか腹が立った」というようなことが書かれていたそうです。

 

しかし、こういった不平不満は日記には書かれていましたが、実際に彼はこれらの言葉を出すことはなく、悶々と怒りを貯めていたのです。この傾向は学校でいじめにあっていたころから持っていたと思われ、彼はストレス発散のために、毎日のように小さい女の子を見つけては公衆トイレなどに連れていきわいせつ行為を続けていたのです。

こういった感情統制において、乳幼児教育は決して無縁ではいられないと思っています。また、こういった犯罪の一つの大きな要因は核家族の増加や、乳幼児期の子ども集団が少なくなってきたことに問題があるように思います。ここに紹介される非行少年のように自分の気持ちを主張することができるためには子ども同士が関わることの多い集団の中にいる経験はとても大きいように思います。

 

というのも、実際私が保育をしていく中で、3歳児まで家庭にいた子どもと、0歳から園にいた子どもとでは子ども同士の関わり方に違いが見られます。語彙の量の違いが見られるように思うのです。しかし、ここには一定の条件が必要です。それは乳児の頃から大人の介入を少なくし、子ども同士を関わらせる経験を多くするのかということです。自分で関わろうとする力をいかに生かすような環境を残すかが重要なのです。つい大人は子どもの問題に介入し、解決しようとしてしまうことがあります。それでは子どもが自分で解決する力をつけることにはなりません。なんでも大人が解決してしまうのは子どもの育ちにおいては「お節介」にもなりえるのです。しかし、ただ、だからといって放っておいてもいいわけでもありません。あくまで「できるだけ子どもたちが解決できる環境」を作らなければいけないのです。「子どもたちだけで解決できそうもないとき」は介入しなければいけないのです。

 

無理な時は近くに居る大人が助けてくれる、こういった安心感が、自分で関わろうとすることにもつながり、こういった経験を通して自信をつけていくことにもなるのだろうと思います。次に宮口氏は子どもたちの「怒りのコントロール」にも触れています。