安心基地と未来

エゲランドとスルーフの研究は満一歳時点での愛着関係が、その後の人生を広範囲にわたって予測できる指標となることを発見しました。そして、アタッチメントの安定した子どもは人生のどの段階でも社会生活を送るうえでより有能だったのです。

 

就学まえの子どもの場合、「安定群」に分類された子どもの3分の2が、教師によって行動面で「望ましい」と判断されました。そうした子どもたちは人の話が聞け、積極的に活動でき、教室の中で滅多に癇癪を起さなかったのです。逆に「不安定群」に分類された子どもでは、「望ましい」部類にはいったのは8人に1人で、教師の分類によれば大部分の子どもが行動面で一つ以上の問題を抱えていました。幼少期における親の役割に関心が薄く、感情面での要求に応じないと診断された親の子どもたちは、幼稚園では最も低い成果しか上げられず、教師はそのうちの3分の2に特別教室を受けるか小学校への入学を延期することを勧めたのです。依存という指標から園児を分類すると「不安定群」の子どものうち90%が、クラスの半数の子どもより依存度が高かった。「安定群」の子どもでは12%でした。さらに「不安定群」の子どもは教師やほかの子どもたちからいじわるであるとか、反社会的な傾向があるとか、未熟であるなどと言われることが多かったのです。

 

対象の子どもたちが10歳になると、研究者は無作為に抽出した48人を4週間のサマーキャンプに招き、観察をしました。そして、児童の一歳児のアタッチメントの分類が知らされていないカウンセラーを付けます。すると児童期に「安定群」に分類された子どもたちをより自信と好奇心があり、失敗にもうまく対処できると評価しました。しかし、「不安定群」の子どもたちは他の参加者と過ごす時間が短く、カウンセラーと過ごしたり一人で過ごしたりする時間が長かったのです。

 

最後に子どもたちの高校生活を追ったところ、どの生徒がきちんと卒業することができるかを見ていったところ、知能テストや学力テストよりも、幼少期における親のケアに関するデータのほうが精度が高かったのです。幼少期の親の関わり方のみを判断材料に、子どもたち自身の気質や能力をあえて無視して数字をはじき出したところ、制度は77%でした。つまり、子どもたちが4歳にも満たないうちに、誰が高校を中断することになるかを8割近い確率で予測できたことになるのです。

 

そして、このアラン・スルーフとパイロン・エゲランドの子どもを使った研究結果とマイケル・ミーニーがモントリオールでおこなったラットの研究結果が非常に似ているということが見えてきます。どちらのケースにおいても、子どもが生後間もないうちに親として特定の役割を果たした母親が一定の割合で存在しました。そして、子どもと関わる行動が子どもたちのあげる成果に対し協力で永続する効果を及ぼしている点が共通している。人間においてもラットにおいても乳児のうちに適切な世話を受けたものは、後により好奇心や自制心をもち、障害にもうまく対処できたのです。幼少期の育児における母親からの注意深いケアが、ストレスから身を守るためのレジリエンスを育んだのです。そして、人生において、普通に起こりうる困難な事態に直面したときに、何年も後になってからも自分なりの主張を行動にうつし、自信を持って前に進むことができたのです。

 

乳幼児期における安心基地の重要性は将来におけるレジリエンスに非常に重要な意味があるのですね。それは「なにができるか」といった能力をつけることよりも、子どもの起こす活動にむけて反応をしてあげることこそ、必要なのだということなのです。人によっては、反応なんてしてられないと思う人がいるかもしれません。だからこそ、もっと小さい赤ちゃんの頃からしっかりと対応することが必要なのかもしれません。そして、ここでは「適切な」という言葉がいれて書かれています。この適切というのが大切であって、それが最近は「過度」か「放置」かといったように両極端になっているように感じます。「子ども主体」と言うのは保育においてとても重要なキーワードであります。過干渉であると子どもたちの可能性を大人が制限してしまう可能性があります。逆に「放任」であると子どもが必要な時に手助けや対応ができない可能性があるのです。だからこそ、「子どもが必要なとき」にこそ対応することが重要なのだろうと感じます。そして、そういった対応が「見守る」ということにつながるのです。