逆境からの脱却

これまでの内容を見ていると、幼少期の受けた逆境はストレス反応システムに影響をあたえ、それは身体にまで影響を及ぼします(アロスタティック負荷)。そして、それだけではなくストレスに最も影響を受けるのが脳の前頭前野(自分をコントロールすることをつかさどる)に影響を与えます。それらは思考を制御する実行機能にまで影響し、将来的に大きな影響を受けるということが分かりました。では、幼少期のストレスや逆境がある状態だともう悪影響を受けることは避けられないのでしょうか。不利な条件のもとにおかれた子どもたちからよりよい結果を引き出すことは無理なのでしょうか。

 

幼少期のストレスや逆境があることで文字通り皮膚の内側に入り込み、一生続くダメージを引き起こす可能性があるということは判明しています。しかし、幼少期のストレスの悪影響に対して絶大な効果を発揮する解毒剤があることが分かりました。それは製薬会社でもなければ、早期教育の専門家でもないと言います。それは親なのです。子どもを育み、親密な関係を築ける親や養育者なら、子どもたちの持つレジリエンス(回復力、抵抗力などを含む弾性)を大きく伸ばすことができると言います。このことが幼い頃の過酷な環境の悪影響から身を守ることにつながるというのです。そして、これは科学的根拠から根差した考え方であり、よい親子関係は感情や精神だけでなく体にも効果を及ぼすのです。

 

マギル大学の神経科学者マイケル・ミーニーは、親の役割と子どものストレスの関係に関する私たちの考え方を大きく広げてくれたとタフ氏は言います。ミーニーはラットを使って研究の多くを行っていますが、それはラットの脳と人間の脳は構造が似ているからだそうです。ある日、ミーニーのラボの研究者が面白いことに気づきました。その日、ラットの検査や体重を計っていた研究者が子どものラットをゲージに戻すと、一部の母ラットは子どもに駆け寄り、数分かけてなめることや毛づくろいをしました。しかし、その一方では無視してやり過ごす母ラットもいます。その後、子ラットを検査してみると、このような一見なんということもないこの行為に実はめざましい心理的効果があることが分かったのです。

 

子ラットに対し何らかの処置をすると、その子ラットは不安を示すストレスホルモンを大量に分泌します。しかし、母ラットがなめたり毛づくろいをしたりすることでその不安が解消され、ストレスホルモンの波が引いたのです。この変化にミーニーと研究者たちは興味を持ちます。その後、ラットの観察を続けていくと新しい発見がありました。子ラットが取り出さなくても母ラットはそれぞれに異なったパターンでなめたり毛づくろいをしていたのです。そこでミーニーは新たな母ラットの一団を迎え入れ、子ラットが生まれてから10日間一回につき1時間。一日に8回観察します。そして、なめたり毛づくろいをする回数が多い母ラットには高リッキング&ルーミング(LG)、少ない母ラットには低LGのラベルを貼りカテゴリー分けをします。そして、子ラットが生後22日になると離乳させ、母親から引き離して、思春期の残りを同性のきょうだいと同じゲージに入れて育てました。生後約100日ほど経って、子ラットが完全に生体になったころ、ミーニーのチームは高LGの母ラットの子どもと低LGの母ラットの子どもを比較する実験を行ったのです。親の行動の違いによって長期的にどういう影響が出るのかを研究者たちは知るためにおこなったのですが、ここであるものが見えてきます。