与える喜び

『The Giving Tree(大きな木)』(作:絵:シェル・シルヴァスタイン)という絵本があります。1964(昭和39年)に出版された作品で、日本では1976(昭和51)年の初訳出版依頼、複数の訳で読み継がれてきた名作です。この話はりんごの木と少年のやり取りの話です。

 

私ははじめ専門学校の時にこの本を紹介されましたが、あまりいい印象を持たなかったのを覚えています。徐々に成長していく当時の「ちびっこ」が買い物のためにお金が欲しいからといってりんごの木からりんごの実をもらい、家のために枝をもらい、船のために幹を与えてます。そして、年老いたかつての少年は切り株に腰を下ろして最後に安堵する。りんごの木はかつての少年に安らぎを与えたことに満足する。という内容でした。その時はその少年の身勝手さと木の従順な態度において、「この本は何を伝えたいのだろうか」と思うことのほうが強かったのです。

 

この絵本について、藤森先生は作家の鈴木光司さんの「与えることの喜び」という朝日新聞の記事を紹介しています。《ひたすらあたえることに喜びを得るというのは、愛のレベルとして、最高度のもの。まったく見返りを期待しないで、人に尽くせるかどうか、自分の心に問うてみれば、その難しさがわかる。親の、子に対する愛だけ、かな》このことについて、藤森先生は「「GIVE」は「与える」という意味ですが、それに進行形のingがつくと「惜しみなく与える」「優しい思いやりのある」という意味になる。原初では「she loved a little boy」とあるように木は女性のようです。やはり最高度の愛は、子どもに与え続ける母の愛なのかもしれません」と言っています。

 

この文章を読んでいると自分自身は見返りを求めるような考えで子どもたちを見ているのかもしれないと反省しました。保育で考えてみるとあくまで「子どもがプレイヤー」です。そして、保育者は「サポーターであり、フォロワー」なのだと思います。つい、保育の世界では「保育者が主役」なイメージを持ち、「子どもが作品」という意識になる人もいるとは思いますが、よくよく考えていかないといけないですね。そして、その根底には「大人は完成された人間で、幼児は未発達で無垢な存在」といったイメージがそうさせているようにもおもいます。

 

しかし、この「白紙論」こそ、最近では否定されてきています。藤森平司氏は著書「保育の起源」の中で「赤ちゃんの知的な活動は大人より活発で、想像力や学習能力はおとなよりはるかに高いのです。赤ちゃんはおとなより多くの情報を収集し、自由に発達する能力は持っていますが、それはまだ概念や分類で整理されておらず、抽象的なカテゴリーに情報を整理することができません。」と言われています。そして、「次第に言語を習得するにつれて、自由な思考は概念化され、いろいろな行動の記憶として残し、それに対する責任を感じるようになる。つまり、従来の幼児教育が想定していたように、幼児教育は白紙に知識を描いていくのではなく、無秩序で豊かな子どもの想像力を社会のルールで整理し、具体的な形に整えていくものなのです」と藤森氏は言います。

 

考えてみると、赤ちゃんはその泣き声で大人を使います。そして、大人も赤ちゃんをほっとけないのです。これは遺伝子的にもそういった性質があるということを聞きますが、すでに赤ちゃんは母子関係や周りの社会にすでに能動的に働きかけているともいえます。これまでの赤ちゃん観や子ども観は今の時代見直さなければいけないところに来ているように思います。