子どもと宿題

麴町中学校の工藤氏は宿題の全廃を行っていますが、宿題の意義を見直すと果たして宿題自体が必要なものなのか、教員自体が子どもたちを評価するための尺度というのも珍しくない中でそれでいいのかと言っています。そして、宿題をするために机に座っていることに保護者は安心するが、本当に大切なのは「勉強時間よりも勉強の中身」であり、自律的に学ぶ経験を積まないと決して工夫して仕事ができる人にはならないと言います。そして、「もっといえば、私は学校でしっかりと勉強をして、家では、好きな音楽を聴いたり、本を読んだり、スポーツをしたり、あるいは、ぼんやりと思索する時間のほうがよほど有意義だと思っています。そうした時間の中で、自分自身の内面や思考が整理され、大切なことにきづいたり、思いついたりすることはたくさんあるに違いありません」とあります。

 

宿題を全廃したことに一番喜んだのは受験を控えた3年生だそうです。それは「負担が減った」のではなく、自分には重要ではない非効率な作業から解放されたからであり、自分の時間を自分の考えで使えることの大切さを生徒たちは敏感に感じ取ったのではないかというのです。もしそうなのであれば、教員の望んでやらせようとしていることはまったくもって生徒たちのニーズとはミスマッチしているということになるのでしょう。そのうえで、もしそれでも宿題を出したい教員がいたら、生徒たちに「すでに十分にできる問題はやらせちゃだめだよ。よくわからない問題に頑張ってトライしてくるんだよ」と伝えるべきだというのです。それは学習は「できない問題」を「できるよう」にするプロセスでないと意味がないからなのです。そして、何より重要なのは「学校の中で学習してきたことを理解できるようにすることであり、生徒が主体的に学ぼうとする仕組みを整えることです。そのために自ら自律的に学ぶ姿勢を奪わないようにしなければいけないのです。

 

保育をする上で様々な活動を行っていきますが、そのとき保育者は「今、子どもたちはどんなものに興味があるのだろうか?」「子どもたちにとってこれから提案する活動を楽しんでくれるだろうか?」いつも自問自答しながら子どもたちと向き合っているのですが、それが一本道であると結局「させなければできない子」を産んでしまう危険性があります。しかし、その中でもやはり先生がおしえなければいけないことは多くあります。だからこそ、選択する自由の幅は必要なのだと改めて思います。子どもたちのやってみたいと自分から主体的に思えるように近づける活動が求められていくのだと思います。そして、それは社会につながる力になるのは間違いないように思います。