Not 心の教育

道徳科とした小学校の授業が始まっています。小学校において道徳とは平成29年に告示化された小学校教育要領において、道徳は「よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うため、道徳的諸価値についての理解を基に、自己を見つめ、物事を多面的・多角的に考え、自己の生き方についての考えを深める学習を通して、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる」と書かれています。「自己を見つめる」ことや「自己の生き方についての考えを深める」ことが大切なのですね。幼稚園においても「思いやり」や「相手の気持ちを知ること」などは話題に上がることが多いですし、先生方もどう子ども同士がうまく関われるかを考えています。

 

麴町中学校では「心の教育」を「社会にとってよい行動を行うことができる人を増やす」という目的のために心の教育はあるとしています。そこで工藤氏は京都の薬師寺の僧侶の話を紹介しています。「心の持ち方、ありようによって行動が変わり、行動を変えると心をかえることができる。『面白くない、つまらない』と思って授業を受けていると、ついつい頭が下がり、居眠りしてしまったりする。それは、自分の中にある、ぐうたらな心が自分の行動をそうさせている。しかし、たとえ、寝不足などで体がひどく疲れ切っていたとしても、姿勢を正し、頭を上げ、顔をしっかり意識して向けていくことによって、元気な心が生まれてくる」。心が行動を決め、行動は心を決めるというのです。「心の底からやさしいことをしたいと思っているのに、人目を気にするあまり、行動できない人」と「決して純粋な理由ではないけれども、よいことを行っている人」どちらの人がより価値があるのかと言っています。人は行動の積み重ねで評価されていくものだと工藤氏は考えていますし、そもそも人の心の中など簡単にわかるものではないと考えています。そして、「心はみんな違っていい」はずであり、人の価値観、考え方はみんな違ってよいとした上で、人は行動こそが大切だという「行動の教育」を伝えていきたいと思っているそうです。

 

そのため、工藤氏は1年生全体の道徳の授業を年度初めに行っていますが、そこで命、人権を大切にすること、差別をしてはいけないことの重要性について話をします。そして、人を差別する心を完全に消し去ることはできないかもしれないが、そのことを意識すれば、差別をしないことはだれでもできる。そうした人間になることこそが大切だと伝えているそうです。そして、小学校や幼稚園で心の教育の象徴としてよく言われる「みんな仲良くしなさい」という言葉に対して、コミュニケーションが苦手な子どもたちは苦しい思いをしているのではないか。良かれと思って多くの教師がつかっていることばで、結果として、子どもが排除されてしまってはいけない。「人は仲良くするのは難しい」ということを伝えていくことのほうが大切だと考えているとしています。

 

全員がコミュニケーションが得意ではなく、そうではない生徒もいるという視点は保育においても大切なことだと思います。全員が同じではなく、いろいろな個性をもった人がうまく折り合いをつけながら、歯車のように補い合いながら社会はあると思います。もしかすると、私たちの教育自体が一つの固定概念を作ってしまい、その価値観にない人を排除するような考え方にしているのかもしれません。「でなければならない」という結果の行動を考えるよりも、「こうであるようにする」といった前向きな行動を求めるような形のほうがいいのかもしれません。