先入観から作られる「問題」

教育の中で言われる「小1プロブレム」や「中一ショック」など、子どもたちが教育を受けていく中で起こっている問題をよく聞きます。私は常々、保育をしてく中で、こういった子どもたちが小学校や中学校に上がっていく中で起きる問題において、幼児教育ではどう対応していったらいいのかと考えることがあります。そして、この問題に私は保育は大きく関わっていると思っています。そして、学校教育に向けて、どう意欲を引き出すのかということが就学前教育には重要なのだと考えています。そして、それは「我慢させる」ことでもなければ「文字指導や学習指導」をすることでもありません。「自分だったらできる」という自信をつけることが「粘り強く頑張る」ことや「やってみようと前向きになる」姿勢につなげるのであって、それを土台に「学習意欲」につながるのだと考えています。

 

では、こういった問題に対して、麴町中学校の工藤勇一氏はどのように考えているかというと、そもそもの子どもに対する教育に対する先入観に対して疑問を投げかけています。というのも、最近出てきた「小1プロブレム」という言葉は「小1はこうあるべきだ」といった専門家が一定の理想を掲げ、その理想から外れている子どもたちがいると使っている言葉だというのです。大人たちが「問題」と捉えることで「問題行動」になる。個々の子どもたちの発達の特性に視点を置けば問題行動ではなくなるというのです。

 

例えば、「不登校」においても、そもそも「学校に行かなければいけない」という固定概念があるから「問題行動」になり、「小1プロブレム」においても、その子どもの発達の一部の場面であって、環境を変えることで解決することが多くあるというのです。むしろ、大人が「~~しなさい」と叱りつけることで自己肯定感が失われてしまうことや守らせようとする大人の疲弊のほうが問題であるとしています。また、大人が取るに足らない問題を取り上げ、言葉にすることで、問題になることもあるというのです。このことは大人の関わり方から起きる様子を見ることがありますね。大した問題ではないことなのですが、「~こういうことがあった?」と聞くと「そういえば、あったかも」というように少しのきっかけが大きな問題に変わることはよくあることです。「忙しいでしょ、大丈夫?」と声を掛けることで元気がなくなる子どももいれば、「受験勉強、大変だね」と声を掛けられることでかえってプレッシャーに感じてしまう子どももいます。大人が良かれと思ってかけた言葉で、子どもは救われることもあれば、追い込まれることもあります。何かと子どもに手をかけてしまいがちな現代社会において、特に意識しておくべきだと工藤氏は言います。

 

このことは保育を進めていく中でもよく起きることです。大人が過剰に反応している反面、子どもたちは自分で解決していることもあります。以前、保育をしているときに子どもが「もう知らない!」といって離れた子どもを見て、私の先輩保育士が「仮にここで話が終っていても、喧嘩が完結していない子どもたちがモヤモヤしている気持ちって大事だよね。解決することがすべてではないよね」と言っていたのを思い出しました。大人はどうにか解決しようと思ってしまいます。しかし、子どもたちの心の発達を思うのであれば、解決の終わりも子どもたちに委ねなければいけないのだと思います。大切なのはその時の子どもたちの気持ちにどう共感し、寄り添っていけるのかなのだと思います。大人は子どもが必要な時にこそ手を差し伸べるのであって、すべて「やってあげなければいけない」というのは子どもたちにとっては「大きなお世話」なのでしょうね。