吉田松陰から学ぶ②

松下村塾では「課題作文」というレポートがあったそうです。出されたレポートに対しは、松陰が丁寧なコメントをつけています。テーマは各塾生が選ぶこともあれば松陰自体が出すこともありました。そこには現実の問題に対して、どのような解決策があるかを問うようなレポート課題も出しています。たとえば、日米修好通商条約締結といった当時現在進行中の国家的重大事をテーマとして、塾生がレポートを書き、皆で議論をします。この様子はまさにアクティブラーニングであり、問題解決型の学習方法であると言えると齋藤氏は言っています。

 

しかし、このようなアクティブラーニングのような問題解決型の学習だけではなく、古典の講読や解読も行われていたのは押さえ解かなければならないと齋藤氏は言っています。「孟子」などの古典をテキストにして、現在の問題を議論する。松陰はこのように古典を現在に活用する学習スタイルは得意とするところでした。そういった意味では、認知的な知識を覚える学習も同時に行っていたのでしょう。そして、知識を基にして、問題解決への糸口とすることにも重要性を考えていたのです。

 

松下村塾の中には情報網がありました。松陰は「飛耳長目」というキーワードを出しています。これは広く見聞きして情報を集めるということです。遠地の情報を集め、共有することが防衛のために必要だと考えていたのです。伊藤俊輔(のちの博文)、山県小輔(のちの有朋)たち六人が長州藩から幸とに派遣されたときなど、まさに藩が飛耳長目に務めていた例である。探索し、情報を積極的に集めることが重要であったのです。また、松陰は都会にいる弊害は、自然と情報が集まってしまうことにあると言っています。自然と情報が集まってしまうというのは気持ちが甘くなり、世間が広いようでいて実は狭くなったり、偏ったりしてしまうことであると指摘しています。

 

このことについて、齋藤氏は今の時代に照らし合わせて紹介しています。「現在はまさに、インターネットを通して、情報は手軽に大量に手に入る。そうしたことで、むしろ積極的な探求心が足りなくなるという状況も生まれる。」」といっています。確かに、今の時代、探求心を持たずとも、情報は外から入ってきます。特に今回の新型コロナウィルス感染症においても、同様に情報が錯綜しているのは否めません。インターネットだけではなく、テレビ、SNSなど様々な媒体も多くあり、その出所も、日本の政府機関から、大学の研究機関、世界中の研究機関など、一つの情報ではなく、探し出せば無数にある情報の中から有益な情報を取り出さなくてはいけない時代です。吉田松陰がいたころの時代とは全く逆で、かえって情報過多の時代にある今においては、自分自身が「なんのために」「どういった情報が欲しいのか」を割としっかりと持ったうえで、一方向からの情報だけにおいてもそれだけを信用するのではなく、二重三重にもエビデンスを重ねることや見通しを持つことが求められます。しかし、その根底には「その事柄を知りたい」という探求心や好奇心がなければ、それはできないのです。