言うを忍ぶ

先日に紹介した内容は「きく」ことにおける具体的な行動ですが、最も大事なのは「きく」際におけるマインドであり、心構えです。これを「きく技術」のマインドセットとして紹介しています。

 

その一つは「言うを忍ぶ」です。「きく」ことの何よりも大切なことは「認める」ことと「気づかせること」です。この「認める」ということは漢字をばらしてみると「いう」を「忍」と書きます。つまり、黙っているということです。よくあることとして紹介されているのが、部下が「ちょっといいですか」と相談してきたときに、上司は経験豊富ですから部下の話をちょっと聞いただけでもうわかってしまい「そういうときは、こうして、ああして」とアドバイスをしてしまう。といったことです。しかし、多くの場合、相手はアドバイスが欲しいわけではなく、話を聞いてほしい、状況を分かってもらうために話に来るのです。特に優秀な上司こそ、「言うを忍んで相手の話を聞くこと」が求められます。それによってあいては自分を認めてもらったと感じるのです。

 

つぎに「話すよりも聞く」ことです。これは武神氏の経験談からそう感じたそうです。彼はもともと外科医あり、精神科や心療内科ではなかったのです。そのため、産業医をはじめ、メンタウヘルスの面談をしている中で、何を言っていいかわからず相手の話を聞くことに徹していたそうです。しかし、不思議なことに、こちらは返したくても言葉が返せないのですが、相手は、話をきいているだけで最後はすっきりした顔になって帰っていくということがあり「きく」ということの効果に驚いたそうです。「きく」ことしかできなかったのが結果として相手に「気づかせ×認める」ということになったのです。

 

最後に「存在を認める」です。これは相手を想像することです。「傾聴」というとよく「共感しましょう」と言われますが、相手に共感するというのはそれほど簡単ではないですし、相手によってはそんな気になれないと思うこともあります。しかし、相手を想像することはしてみる必要があると言います。つまり、相手がどのくらい苦しいのかということを考えるのです。そして、その想像は相手を認めることにつながります。

 

これらの三つの心構えやマインドを見て、どう思ったでしょうか。私はまず初めに「間ぁ、そうだろうな」と思ったのが正直なところですが、その反面、見方考え方をシンプルに分かりやすく説明してくれているように思います。確かに「共感」と一言にいいますが、何を持って共感というのかと思うこともあります。しかし、「相手の思いを想像する」というのは結果的に共感と同じことのように思います。ほかの二つにおいても、結果として言っていることは「黙ること」なのですが、しかし、これがいかんせん難しい。答えをつい言いたくなるものですが、それは相手に「気づき」はもたらしません。いろいろな職員と話していても「ガス抜き」が必要だなと感じることがあります。しかし、その時に相手に保育論をぶつけても、ピンと来ていない時があります。それは結果として「きけていなかった」のでしょうね。当たり前のことなのですが、活字にしてみると、その大切さは改めてグッとくるように思います。