説明の要素

前回紹介した「説明できる」3つの要素 ①主観的判断が伝わる ②客観的事実を伝えられる ③個人全体の評価 といった三つの要素はどういったことを言うのでしょうか。

 

まず、1つ目の「主体的判断ができる」ということから説明していくと、これは「主体的判断は個人的な評価ではありますが、それを誰もが納得できるフレーム(基礎)で説明できるということが重要です。つまり、その評価の判断基準やフレーム・軸が誰にでも理解可能で説明可能なのかということです。具体的に言うと、例えばあるチームの集まりで社内運動会にリレーの選手を一人選出しなければいけない時、「あの人は学生時代駅伝に出ていた」や「あの人は大学時代陸上部だった」という主観的判断は、話している内容と判断基準が誰にでも理解が可能です。しかし、その時誰かが「いや、〇〇さんは囲碁大会で優勝したことがある」といったら、その主観的判断は他の人とはフレーム(内容)が違うので話になりません。誰にでもわかる内容だからこそ、説得力があり、全員が納得できるのです。逆に言えば、誰かについて話しているつもりでも相手にうまく伝わらない場合、本人には見えてるつもりでも、相手との判断基準やフレームがズレていることが少なくなく、どちらかがじつはちゃんと「みて」いないということになります。

 

2つ目の「客観的事実を伝えられる」ということは、再現性があり、相手と同僚の他者を数字などで比べやすい点を特徴としています。たとえば、「性別」「年齢」や「資格」「家族構成」などいろいろとあります。会社なら「遅刻が何回」「欠席が何回」、不自然な言動とかヒヤリハットがあるなどの行動も客観的事実です。つまりはだあれが伝えても同じで、同じように受け止められるという点で大切です。救急医療の現場で見ると分かりやすいです。「名前」「性別」「年齢」「体温」「心拍数」「出血量」といったことは客観的事実が必要とされます。しかし、「この患者さん、ヤバいと思います」といった主観的判断の申し送りは必要ではありません。「みる技術」を持っている人はこういった客観的事実と主観的判断を分けて説明できるというのです。逆に説明するときにこのことがこんがらがる人は自分の中でも混乱していて、なかなか部下のこと、チームのことを把握できません。

 

上手に「みる」ことのできる人は、「~かもしれない」という考えで、「相手を知る」という思考回路を持っている人であって、そして、自分が把握できることについては、客観的事実と主観的判断を分けて考えらえる人です。

 

3つ目の「個人全体の評価」は何かできないところといった「部分」だけを見るのではなく、個人・相手のことを全人的に、つまり環境や人間関係、個性や個人的生活、行動や兆候なども含めてトータルに考えられるかどうかも大切だと言います。

 

これらの3つの点を含めて、考えることができることが「みる技術」の第2のマインド「説明できる」ということなのです。これは「知る」ということにもつながることです。メンタルヘルスをする以上、相手のことをしっかりと「みる」うえで対応を取らなければいけません。そして、その見方は「何気なく」していることでもあります。改めてこういった見方の技術を知ることで、ずいぶんと整理して、どう相手をみることが重要であり、コミュニケーションをとることにつながるのかということが理解できます。