説明できる

「みる技術」を持っている人は「知る」だけではなく、その先の「説明できる」というところまで相手のことを「知っている」というのですが、説明できるということはどういったことなのでしょうか。説明できるということはつまり「相手のことを評価して第三者にそれを伝えられる」ということです。自分が理解しているだけでは説明できるとは言えません。相手が何をやったら喜んで、何をやったら嫌がって、どういう風にすれば長く仲良く付き合えるのかをということを言えることが「説明できる」ということです。つまりは相手の取扱説明書を作ることができるかどうかということですね。

 

職場の相手の取扱説明書というのであれば、その相手が ①何を言われる・やられると、うれしい、楽しい、清々しい誇らしいなどのプラスの感情となり、その結果、仕事がはかどる・仕事をがんばる・積極的になるのか。②何を言われる・やられると、不快・不満・不安などのマイナスの感情となり、その結果、仕事が嫌になる・消極的になる・結果が出てこなくなるのか ③その相手が、得意なこと・やりたいこと・できること、やりたくないこと・不得意なこと・できあないことが何なのか こういったことが他人に伝えることができるくらい相手のことを理解していないと説明はできないのです。そして、「みる技術」を持っている上司は、部下の取扱説明書を書くことができるというのです。何をやったら部下は喜ぶのか、どういったら凹んで仕事がはかどらないか。なにについては大目に見ておこうか。こういった理解を持つ必要があると言います。

 

これらのことを見ていると相手のことを理解するだけではなく、こういった理解を通して、自分自身の動きも変えていかなければいけません。そのため、「大目に見る」といった行動などに移せるためには自分が納得できるかどうかや自分自身の自制心や気持ちのコントロールというもの同時にできるようになっておかなければいけないということが分かります。そして、そのためにはその後の行動においても、相手がどういうように出てくるのかといったように見通しが持てるかどうかにもかかってくるのだろうと思います。そのためには自己分析や自己評価も同時に行っていかなければいけないということが見えてくるのではないでしょうか。このことが単純なようで、難しいと感じることがよくあります。

 

つぎに、武神氏は「説明できる」の3つの要素を紹介しています。①「主観的判断が伝わる」②「客観的事実を伝えられる」③「個人全体の評価」 の3つです。これら3つのことはどういったことがいえるのでしょうか。どういった視点が求められるのでしょうか。見ていきたいと思います。