社会脳と教育

共感が意識されることなく伝染していくことがあります。集団心理などはまさにそれにあたるもので、集団の中心になる人間の激情が、その場にいる人々に集団感染した場合、個人の感情が全員の共通した感情となり、最初に共感した内容とは別の感情を持ってしまい暴走してしまうことがあると藤森氏は言います。共感とは、他者とつながりを持つうえで大切な能力なのですが、そのためには相手に意識を向け、事態をしっかり理解し判断することが必要になってきます。それは脳の前頭前野の役目だと言われているのですが、この部分が十分に発達していなければ、共感によって、行動までそっくりまねてしまいます。前頭前野がしっかりと働くことで、事態を理解する能力は、学習や経験によって得られる知識や他人の人権を認め、思いやることのできる心に支えられ十分に発揮することできるのです。つまり、感情や激情にただ共感し、衝動的に判断してしまうと社会は作れません。それと同時に知識や他人の人権などのバランスをとれるようにならなければいけないのです。そして、そのためには脳の前頭前野を発達させる必要があるのですね。

 

他人と共感するとき、人が他者と対するとき、即座に好意などの感情的な親近感をもたらすものが「裏の道」とすると、より洗練された社会的感覚をもたらし、適切な反応を導き出すのが「表の道」です。

 

ミラーニューロンの働きは裏の道で、この能力は人と人がうまく同調するために必要です。同調には、お互いが考えるのではなく、非言語的ヒントを即座に読み取って円滑に反応することが必要です。一方で社会における自己存在の位置の自覚、社会の潮流の把握、必要な情報を収集して冷静に解決策を練る能力は表の道であり、それらを支えるのは教育、学習によって得られる多くの知識です。社会でうまくやっていけるための社会的意識が能力を発揮するにはこれらの裏の道と表の道が補い合う必要があると藤森氏は言います。

 

そして「しかし、表の道は裏の道がきちんと整備されていなければ、開通が困難になります。そのために学校教育は社会的認知能力に役立つ知識である表の道を子どもたちに与えるためにあるといわれ、乳幼児教育は豊かな人間関係を築くための、原共感、情動チューニング、共感的正確性、社会認知能力からなる社会脳(社会の一員であるという意識)である裏の道を育てる期間ともいえる。ですから、乳幼児期こそ、生きた人間同士が顔と顔を直接向き合わせることが必要になるのです。」ということを言っています。

 

つまり、人が社会で生きる力をつけるためには乳幼児期と児童期とでは、教育の目的や目標となるものが違うのですね。乳幼児期は特に社会脳の裏の道をしっかりと土台として育てる必要がある時期なのです。とするのであれば「生きた人間同士が顔と顔を直接向き合わせる」環境がより必要になってきます。そして、逆に大人が一方的に教えることやプレ小学校のようなことはかえって子どもたちの発達を阻害する可能性もあるのかもしれません。それよりも子どもたちが関わり合いながら、物事を考えていくことが重要になってくるのですね。本質として乳幼児教育の目的がどういったところにあるのかを「ヒト」を知ることでより明確になってきます。そして、その情報を基に保育を進めることは社会につながる生きる力にそのままつながるというのはとても身が引き締まる思いです。