生存戦略と集団

四足歩行から二足歩行に変化していった我々人間の祖先ですが、その後とおよそ180万~120万年前にユーラシア大陸へ進出していきます。そして、各地へ分散した原人の集団は地域ごとに独特の特徴を示すようになり、ジャワ島のジャワ原人のように多数のグループが現れます。80万年~50万年前になるとアフリカで進化した求人が出現し、ヨーロッパ地域へと拡散していきます。その後6万年前、ヨーロッパから西・中央アジアにかけて分布していた旧人の集団はネアンデルタール人と呼ばれています。そして、アフリカでは20万年前、新人が出現したと考えられています。やがて、新人の集団は中央アフリカから世界へと広がっていき、その過程でユーラシアにいた原人や旧人たちは次第に姿を消していったと考えられています。そして、3万年前にはヒト属の中のホモサピエンス(新人)以外はすべて全滅してしまい、ホモサピエンスは1万年前までに、五大陸すべてに進出していき、さらに、その後航海技術を発達させた集団が、太平洋やインド洋の島々にも到達し、難局を除く地球上のほぼすべての陸地に分布するようになったのです。

 

当時は火山の爆発や地震、津波、気温の変化、さらに隕石の衝突など自然の驚異にさらされ、肉食動物から襲われる危険もあります。そのため、遺伝子を残すために様々な方法をとって生存戦略をとります。ある種は肉食動物と戦うための強い力と優れた運動能力を、またある種は敵が追いかけてくることができない場所で生活をする能力、さらには鋭い歯や爪など敵と戦うための武器を備えたものもありました。身を守るために皮膚が硬くなったものやすぐに再生する力を得たものもありました。しかし、そんな中、我々人類は体はそれほど強くもなく、運動能力もさほどではなく、体はさしたる武器も兼ね備えていません。しかし、現在のように過酷な生存戦略を生き延びています。生きるために人はどのような生存戦略をとったのでしょうか。

 

その大きな要因がお互いが「協力する」という戦略をとったからだと言われています。「仲間」で社会を形成して、助け合うことで生き延びてきたようです。一人一人は弱者だった私たちの祖先は家族を形成し、いくつかの家族が集まる小さな社会を構成していきます。そして、社会ができることで人間関係という(ほかの生物にない)問題が生まれます。人との関係のなかで社会を形成するために発達させなければならなかった身体器官は何よりも「脳」だったのです。社会の形成するために、大きな脳が必要だったというのです。

 

常々、保育を考えていく上で「社会」というものはもっと意識されるべきだと思っています。そして、こうやった人類の進化をひも解いていくと人の一番の強みは「社会を形成する」ということだったということがよくわかります。逆に「社会が形成できない」つまり、「人と交われない」ということは人の一番の力を失っているということなのだと思います。そんな環境のなか、赤ちゃんを産むということは重要な意味合いを持つことになります。そして、その過程を見ていくと感動的なほど、今の人間の社会を形成するための役割としても、育児があるように思える事柄が見えてきます。生存戦略と赤ちゃん、そこには切っても切れない関係性が見えてきます。