進化と共同保育

チンパンジーやオラウータン、ゴリラといった霊長類は離乳が3以上になっていることに対して、人間の赤ちゃんは1歳頃に離乳を始めます。しかし、離乳したといっても1歳の赤ちゃんなので、まだ一人で生きていくことはできません。そのため、父親や祖父母などいろいろな大人に抱っこをされて育つようになったと言われています。

 

 

このように赤ちゃんを母親だけで育てず、近くにいるみんなが手伝う。赤ちゃんは生まれてすぐに家族の手に委ねられて、家族みんなに育てられる。他の動物と違い、なぜ人類だけがこのように進化してきたのかという長い間考えられてきた問いへの答えの一つが、この「協同保育」という形にあることが最新の類人猿研究によって明らかになってきたのだそうです。

 

 

そして、私たちの祖先は家族みんなで育児をしてきた中で、特に育児を中心的に担ったのは祖母だったと言います。他の動物の寿命が出産可能期間と大差がないのとは違い、人類は、出産期が終わった後に長い適齢期が続きます。その理由も、共同保育であると考えられているのだそうです。人類が出産可能期を終えても長生きするようになったのは、この脅威どう保育の暮らしの中で、孫の育児を手伝ってきたからではないかというのです。実際のところ、健康寿命という視点からも、孫の世話をして感謝されることで老人の免疫力が高まるとも言われているそうです。一緒に子育てをする最小単位としての家族が集まり、もう少し大きな集団である「ムラ(村)」が形成されてきました。家族からムラ=社会で共同保育をしていくなかで、人類はコミュニケーション能力を持つようになり、赤ちゃん自身も社会の一員となるための「社会脳」をおのずから学んでいき、その中で、共感力や感情をコントロールする力、自己抑制力などの「非認知的能力」を身につけていったと言います。

 

 

最近、「非認知的能力」という言葉はかなりいろいろなところで聞きます。それは乳幼児期だけに限らず、以前紹介した「学校の当たり前をやめた」といった本の中でも、すこしだけ触れられてもいました。コミュニケーション能力や問題解決能力、これらのことが教育の中で注目され、重要視されているということはとても考えなければいけないように思います。なぜならば、それ自体がヒトの進化の中で非常に特徴的な能力であり、「ヒトがヒトである」ということにつながるからです。この能力が今、その特徴的な能力が失われているということはとても危機感のあることなのかもしれません。藤森先生は保育の起源の中で「乳幼児教育の大切さは人類の始原にルーツを持っている」と言っています。本来の人間の能力を「そもそも」といった視点で見ていくことで、保育にもつながるものがたくさん出てきます。

 

 

「人を育てるには、そもそもヒトを知らなければいけない」そんなことを感じます。