社会脳と幸せ

藤森平司氏は脳科学者 藤井直敬の著書「ソーシャルブレインズ入門―〈社会脳〉って何だろう」の中で、「ソーシャルブレインズ研究は人を幸せにするか?」という章を紹介しています。そこには「がっかりさせてしまうかもしれませんが、脳科学が私たち個人を直接幸せにすることはできません。お金や社会的地位がヒトを幸せにできないように、脳科学の知見が私たちを変えることはありません」と言っています。

 

そして、このような例を出しています。「たとえば、記憶力を増大させる秘訣を教わったとしても、受験生でもない限りそれを生かすことはできませんし、そもそもいまどき、大量の知識を覚えるために時間を使うくらいなら、その時間を他のことに使って、困ったときには携帯で検索すればよいからです。」実際に社会に出てからの記憶力というものはそれほど重要ではないように思います。携帯やスマートフォンといったツールが出てきている中、それらで検索するほうがよほど大量な情報が手に入りますし、より正確です。そして、こういった考え方はこれ下の教育に対してある示唆をしているようだと藤森氏は言います。

 

また、こんな観点からの指摘もあると言っています。「もし脳科学が天才を作る秘密を明らかにするとしたら、そのおかげで天才になった人やその家族は幸せになるのでしょうか?天才の障害やその家族の話を見聞きするにつけ、あまりそうとも思えません。どうも個人の幸せは、そのような目に見える卓越した能力とは関係ないように思いえるのです」彼のいう言葉は脳科学における研究が個人を直接幸せにするかというだけではなく、私たちが何のために学問をするのか?なぜ、子どもたちに勉強を強いるのか?ということを問うている気がすると藤森氏は言います。そして、脳科学の研究は、私たちが普段何の疑問も持たずに漠然ととらえている人間の倫理というものも、かなりつかみどころのないもののようです。と言っています。

 

脳科学の研究を見ていく中で、今の保育と照らし合わせていくと、教育のあり方の様々な矛盾点を感じます。教育の中心となる目的は「社会に向けた資質を備えた人材の育成」にあり、その「社会に向けた資質」というものが果たして「学校の成績」とイコールなのでしょうか。幸せと成績はイコールなのでしょうか。幸せや社会というものはもしかしたら他のところにあるのかもしえれません。脳科学の研究を通して見るとヒトの本来の能力や本質的な部分が見えてきます。すべては社会でよりよく生きるために脳が進化してきたことを見ると、その脳の発達をどのように保障してあげることができるのか、子どもの環境としてどう用意することができるのか考える視点になります。