6月2021

共に育てる

ゴプニックは「愛を知り、子どもを愛することは親にとってだけではなく、人が人であるために必要なことなのです」と言っています。人に愛の理論があるというのは人間が人間であるが故なのです。それはどういった意味でしょうか。まず、これまでの話において、人間の赤ちゃんは母親以外にもいろいろな人に愛着を持つことが分かりました。私たち人間は、自分と遺伝子が近い子どもだけではなく、子ども全般を気にかけるようになっています。人類の歴史を見ていても、子育ては両親だけではなく、祖父母やきょうだい、おば、いとこ、友人、さらにコミュニティ全体によって担われていました。

 

また、こういった必要がある背景に人類は未熟でいる期間が長いことが言われています。これは長いというよりも、延長されたと表現した方がいいようです。当然、未熟で生まれてくるということは、それだけ、親や身近な大人にとって子どものために未熟な分、大きな投資をしなければいけなくなります。しかし、その分、その見返りはその子どもの遺伝的な親だけではなく、集団全体が受けられるようになります。

 

よく「子どもは社会の宝」と言われることがあります。今の時代においても、結局のところ子どもたち世代が自分たちを支えてくれるような時代です。そして、これは今の時代だけではなく、どの時代においても、言われることです。若い人たちが労働力になったり、国を支えてくれたり、「国を支える」ということは正に遺伝的な親だけではなく、集団全体が利益を受けることになるのです。

 

そんな人間の集団ですが、人間の集団においては近い種類である霊長類以上に、単婚(一夫一妻制)や母親以外による育児行動(アロマザリング)が広く見られます。この理由は様々あるようですが、子どもに対して、母親だけでは賄えないほど大きな投資が必要な種において、共通して見られる行動です。このように異性との間に密接な社会的絆をつくり、ともに子育てするのが社会的単婚と言います。また、この様子は哺乳類よりも鳥類に多く見られるようです。この場合、雌雄は単なる交尾相手ではなく、社会的な同盟を結んだ夫婦になります。このように鳥類に社会的単婚がおきるのは、長期間巣ごもりしている間、捕食者や自己から身を守る必要があるからです。つまり、鳥類においても、社会的単婚が行われているのは、遺伝子を残すために効率の良い子どもに投資するときに二人一組で育児に関わる必要があったのでしょう。

 

仮母(アロマザー)は霊長類では多くの種にありますし、イルカやゾウ、一部の鳥類にも見られます。集団内で仮母となるメスは、遺伝的な実親でなくても、子育てに大きな役割をはたします。キツネザルやオナガザルの中のラングールでは、若者がベビーシッターをします。母キツネザルが餌を取りに行く間、若者ザルが赤ん坊を見るのです。ゾウの仮母は哺乳まで分担します。逆に仮父(アロファーザー)行動というものもあり、鳥類に見れますが、こちらは霊長類ではまれです。

 

仮母親に対して、仮父が少ないのはなぜなのでしょうか。母性というものがあるからなのでしょうか。そういった遺伝子が女性、メスにはあるということなんでしょうね。とはいえ、仮母や仮父があるということはそれが効率の良い子どもの守り方であり、特に人間はその頼る人が他の動物以上に多様であるということが分かります。そこにはそうでなければいけない理由があるのでしょう。

愛の理論

ゴプニックは幼児期の体験は後の信念に影響し、信念は行動に影響し、その行動がまた体験を持たせるというサイクルがあると言っています。だから、最初に否定的な体験をしてしまうと、それが繰り返されるリスクが上昇するのです。しかし、そういったことばかりではありません。統計的にはその数は多いかもしれませんが、克服できるケースもあるのです。それは新しい愛に出会えば、不幸な体験から生まれた理論も修正されるのです。

 

こういった子どもの心理学理論は多分に心理学者であるフロイトから大きく影響されています。愛着理論の創始者であるジョン・ボウルヴィもその影響を受けています。フロイトはピアジェと同様に、幼児期をめぐる天才的な洞察を多く示しています。愛着理論の研究者たちは、乳児期の体験、とりわけ親子関係によって後の情緒を形づくることが無意識のうちに行われている可能性を指摘しています。つまり、夕べであった女の子に取った態度は、知らない間に影響したママの理論のせいだというのです。さらに、幼児期の親子の愛と、大きくなってからする恋愛は同じ性質のものだという説もあります。確かに、自然と両親や親から影響を受けていることは多いかもしれません。それが恋愛観にまで影響しているかどうかは分かりませんが、親が一つのモデルとして、恋愛像や家庭像といったものに影響をもたらしているという部分があるのはあるように思います。

 

しかし、このフロイトの理論ですが、現在の心理学者においては、また少し違った解釈が行われているようです。現在の研究では、昔に比べ、もっと時間も労力もかかる実証的実験を入念に行います。その結果、現象論的、結果的にはフロイト流のように過去の影響を受けているというように解釈しますが、このフロイトの理論を別の理論でも説明できることが分かったのです。フロイトは人間の心を動かす原動力は精神的な衝動で、この心的エネルギーはそれを抑え込む「抑圧」やそれを移し換える「転移」などの仕組みによって、分散したり、方向を変えるのだと考えました。この考えに立てば、世界に対して私たちが抱く信念も、無意識の衝動に決定づけられたり、ゆがめられたりしていることになります。簡単に言うと人間の活動の本質は「衝動」により、動かされているというのです。

 

しかし、現在の認知科学や神経科学では、「エンジン」のように精神的な衝動によって動かされていた人の活動に対して、人の心を動かす原動力はエンジンのように突き動かされるものではなく、「コンピューター」のように緻密な計算によるものだと喩えています。これは私たちの脳の動きによって解釈されました。私たちの脳は正確に世界像をとらえ、その像を利用して、少なくとも全体的、長期的に世界にうまく働きかけられるように設計されていると言われています。そして、物理学や生物学を発見するのも、愛を見出すのも、同じ計算能力、神経学的な能力だと考えられているのです。

 

フロイトの心理学では、男の子は母親と性交渉をしたがっているという説があります。しかし、現在の考えにおいては、「性交渉を持ちたがっている」というのではなく、「性愛の相手に母親を求めている」というほうが真実に近いのではないかとゴプニックは言っています。つまり、「性愛の相手に母親を求めている」というのは「恋する相手に母親像を求めている」ということとも言えます。このことを示すように最近の研究では「母性愛」と「夫婦愛」の分かち難い関係が明らかにされているようです。子どもへの愛は生物学的な親子関係を越え、社会にも広がっていくのです。そのため、愛の理論というのはすべての人に関わる力となります。

子ども期と成人期の愛着

知識というのは、内容だけでなく、それがどんなふうにまとめられているかがこれまでの 研究で見えてきたとゴプニックは言っています。それはどういうことかというと、子どもの頃、親からいかに愛されたか多弁に語った母親の子どもは、安定型の愛着パターンをとる傾向がありました。一方で、子ども時代につらい思いをした母親のなかには過去を系統的に回想できる人と、つぎはぎで混乱した回想しかできない人がいたのです。親との関係がとても悪くても、当時の体験をきちんと振り返れる人は幼児期の体験が今の自分にどうつながっているか、きちんと順序だてて話すことができるようです。

 

このように因果的に一貫した世界像を描けるということは、そうではない世界も、反実仮想によって思い描けるということでもあります。つまり、親のしたことをきちんと理解し、そのうえで、別の可能性も思い描くことができるのです。これは、子どもとの安定した関わりにも影響します。こういった人は子どもと安定した関係を築く傾向があったのです。反対に、親に愛されていても、その状況を細部まで想起できない人たちは、自分の子どもとは安定した関係を築きにくい傾向がありました。

 

反実仮想を描けるにしても、体験をつぎはぎになっている場合とまとまっている場合とでは大きく違うようです。つぎはぎの記憶であれば、その因果関係を理解するということは難しくなります。しかし、物事を一貫して記憶しているということは過去と今とがリンクしていることにも繋がりますし、それが結果として親のしたことを整理し、理解することにも繋がるのです。

 

現在こういった研究は起きていますが、かなり長期的な研究になっています。つまり、子どもが20歳、30~40歳になるまで追跡しなければ、その影響というのは見えてきません。しかし、現状においても、幼児期と成人後の愛着のパターンにかなり強い相関が認められるのです。ただ、こういったここから導き出された結果から見えてくるのは、あくまでここで言われているのは統計的に見てという事なので、細かい個々のデータを見ていくと、赤ちゃんのとき不安型や回避型でも、自分の子どもには愛情をたっぷり注ぎ、安定型の関係を築く人、逆に赤ちゃんのとき安定型だったけれども、自分の子どもは非安定型になるケース。先ほどあげた例でもあるように、不幸な子ども時代を系統的に振り返れる人は、自分の子どもと安定した関係を築く傾向がありました。

 

また、子どもの愛の理論は途中で修正されることもあり、その場合新しい体験が決定的な要因になります。たとえば、新しい養親、献身的な先生、友人の温かい家族などが、非安定型の子どもを安定型に変えることもあるのです。逆に、安定型だった子どもが、親の病気や離婚などによって愛を失うと、以前のように愛を信じられなくなってしまうこともあるのです。

 

統計というはあくまで「統計」というように見ていかなければいけません。すべてがそれであるということにはならないのです。しかし、その中で傾向から外れている要因は何なのかをみていくと、愛着における大切なことが見えてくるように思います。統計とはいえ、多くの場合、幼児期の愛着が大人になったときに自分の子どもにまで及ぶというのが見えているというのはしっかりと認識しておかなければいけませんね。そして、仮に悪い愛着状態であったとしても、新しい体験を通して、良いベクトルに変えることができるということも同様に認識しておかなければいけないと思います。

 

今の時代、保護者、特に母親における負担がかなり大きい時代であります。そういったときに幼稚園や保育園といった乳幼児教育において、どのようなアプローチができるのか、どういった位置づけで動くべきなのか、こういった研究を通して考えていく必要がありますね。

共通点と愛着

大人における愛の理論でも、乳幼児期の体験が影響することがいえるようです。また、セリータ・チェンとその同僚たちが行った調査では自分たちが感じている愛が、後々まで無意識のうちに微妙な影響を起こしているということが見えてきました。この調査では大学生を対象に自分が大切に思っている愛する人を1人選び、その人の特徴を用紙に箇条書きで書きます。さらに別の用紙に愛してはいないけれど知っている誰かの特徴も箇条書きにします。その数週間後、同じ学生たちを対象に、他の学生が書いた人物描写を読ませ、内容を飲み込んだ後に、実際にあって、どう感じるかを話してもらいました。

 

その際、他の学生が書いた2番目の調査の特徴の中に、その学生の愛する人の特徴の多くを潜り込ませます。すると、愛する人との共通の特徴を読んだ時の学生の反応は、そうではない特徴に対するものとは大きく異なりました。まず、愛する人と共通点を持つ人は、他の点でも愛する人に似ていると想像する傾向が見られたのです。他者に愛する人との共通点以外のところまで描写していたのです。

 

さらに、愛する人との共通点をもつ人への態度にも、愛する人に抱いている気持ちが反映されたのです。つまり、母親と中のいい学生であれば、母親と共通点が多い人とあってみたいという傾向があったり、母親に小言を言われるような学生は、母親と似た人と会うことに不安を感じていたのです。こういった反応は関心のない人物に似た描写を読んだときには示されなかったのです。

 

こういった傾向はよくありますね。人がうわさ話や陰口に振り回されたり、人の評価をしてしまったりするというのはこれと同じようなことが日常でも起きているからなのだろうと思います。それほど、人は相手に対して、見通しを持ち、想像しながら人と関わることを行っているのだというのです。

 

幼児期に形づくられた愛の理論は、大人になってから他人に抱く期待にも影響を及ぼしているようです。また、それは後に自分の子どもへの接し方にも影響が出てくるようです。ゴプニックが紹介している研究では、初めて出産を控えた女性に面接し、子どもの時代のとりわけ愛着に関わる話を聞きました。その後、生まれた赤ちゃんの別離行動がどんなふうになるかを観察すると、それは母親の子ども時代の愛着パターンにそっくりだったそうです。つまり、それは子どもの深層心理の中に母親の親の影響があるということが、見えてくるのです。

大人の愛の理論

これまで赤ちゃんの愛着の型など愛の理論をゴプニックは紹介していました。では、この愛の理論とそのほかの理論はどのように違うのでしょうか。その一つはデータの違いです。物理的や生物的な世界のことであれば、赤ちゃんはたくさんの安定したデータを採ることができます。たとえば、ボールは落下する。ほとんどの種は芽を出してやがて花が咲く。といったことや、ほとんどの魚は、飼ってもすぐに死んでしまうといったことです。しかし、愛の理論の場合は、両親やきょうだい、祖父母、場合によってはベビーシッターと少ない顔ぶれからの量も変化も乏しいデータです。しかも、ボールや種や魚は、どれも同じようにふるまいますが、人間の養育者には個人差があり、しかも、同じ人がいつも同じ振る舞いをするわけでもありません。母親とはいっても、人それぞれである上、その時々の悩みや強さ、弱さを抱えています。赤ちゃんのご機嫌が変わったらぱっと対応できるときもあります。でも、どんな母親にも、ほかのことで頭がいっぱいだったり、自分の怒り、悲しみに気を取られているときがあるのです。

 

このように養育者と子どもの間の不均衡な関係、つまり、人によっても、時と場合によっても、関わり方が変わることは、実際に恐ろしいまでの情念をはぐくむことになるとゴプニックは言っています。客観的に見ると、煩雑な暮らしのなかで精一杯頑張っている個人に過ぎない養育者ですが、赤ちゃんにとっては、、絶大な存在となります。一人か二人かの弱い人間が、子どもの愛の観念を規定してしまうかもしれないのです。

 

また、物理的世界では、幼児期の理論と大人の理論の連続性がつかみにくく、大人になると誰もがほぼ同じ理論に収束していきますが、愛の理論ではそうではないからです。愛の理論においては、赤ちゃんの時の個人差が大人になっても残されているという証拠が最近では多々見つかっているようです。では、大人の場合、愛の理論はどのようにして調べるのでしょうか。

 

大人の場合は、面接で親との関係を質問したり、自分にとって大切な人を言葉で描写してもらい、その時に使われた形容詞を拾い出したり、恋愛体験について質問に答えてもらったりします。空港で大事な人に別れを告げるときの振る舞いを見るというのもあります。このように調べていくと、大人の中にも、赤ちゃんと同じようにm自分はこれまでもこれからも、ずっと愛されていると信じきっている人がいるかと思うと、過去や未来の愛のことなど考えたくないという人がいます。後者は親がどんな風に接してくれたかよく覚えていないとか、恋愛でストレスを感じたときはパソコンに向かって仕事に没頭するなどと答えます。

 

一方で、いつも自分が愛する以上の愛を相手に求めてしまう人や、人を愛しても報われるより拒絶される方がずっと多いと感じている人もいます。その場合、出発ロビーでも、ゲートをくぐる最後の瞬間まで恋人にしがみついている人と、できるだけさりげない別れを装う人がいるのです。大人においても赤ちゃんと同じように、いくつかのカテゴリーに分かれているようです。また、大人の場合も、愛している人を中心に、相手への共通点を持つことで好感をもったり、逆に影響を受けていることがあるようです。