幼児期の体験を取り戻す

 

乳児期に子どもに与える影響というのはどれくらい影響するのしょうか。幼児期の出来事や親のすること(あるいはしないこと)で、子どもの後の人生に直接影響を及ぼすものには、どんなものがあるのでしょうか。このようにゴプニックは育児の中で疑問を持ちながら、自分の育児法をずっと問い続けてきたそうです。その結果、幼児体験が後の人生に直接影響するという単純な見方を裏付ける科学的証拠は、ほとんどないのだということが分かったそうです。

 

このことについて、有名な研究の一つに、ルーマニアのニコラエ・チャウシェスク政権独裁下の孤児院の事例があります。この事例は子どもの愛着研究において、必ずと言ってもいいほど取り上げられる事例です。当時、人口増加のため多産することを民衆に強制していた政権でしたが、民衆にとっては経済的な改善もなく、産んだものの育てられない子どもがものすごい人数に上り、捨てられる子どもたちも多くいました。こういった孤児院にいた子どもたちは、身体的虐待こそ受けませんでしたが、社会的・情緒的にすさまじい剥奪を受けたのです。孤児院では誰も遊んでくれず、抱いてくれず、話しかけてくれず、愛してもくれませんでした。赤ちゃんは数時間どころか何日も、何週間も、ベットに寝かせきりだったのです。

 

政権が崩壊し、孤児院の恐ろしい実態が明るみに出ると、当時、3歳・4歳だった子どもの多くはイギリスの中流家庭に引き取られていきました。その子たちの様子は同年代の他の子どもとはまるで違いました。体がとても小さく、ひどい発達遅滞があって、ほとんど口がきけない上に、突飛な社会行動も見られたのです。しかし、それでも6歳になると、遅れはおおかた取り戻されました。IQの平均スコアは同年代のより恵まれた子どもたちと比べ、わずかに低いだけとなったのです。普通の家庭で育った子どもが実の親を愛するように、この子どもたちも養い親を愛するようになったのです。こうしていく中で、孤児院出身の子どもたちは他の子どもと区別がつかなくなっていったというのです。しかし、その中でも一部の子どもたちは、受けた傷から完全に回復することができず認知的、社会的な遅れが完全に取り戻せていないようでした。孤児院にいた期間が長い子ほど問題が残りやすく、その程度が深くなる傾向が見えてきたのです。

 

このルーマニアの孤児院の子どもたちの様子は何を示しているのでしょうか。一つは過去の体験があっても、後の体験によって克服するというケースが見えてきます。しかし、一方で過去の体験から回復できず、後の人生に影響を及ぼすということも事実として見えてきます。

 

その他にも、一般的な状況で行った発達研究では、幼児期のリスクは後に取り戻されることが示されています。たとえば、子どもの時に虐待をされた人は、そうでない人より我が子を虐待する傾向があります。しかし、その一方で、そんなことをしない親になるほうが圧倒的に多数であるのも事実なのです。ゴプニックは幼児期に受けた傷というのは、何とか克服することができることを示しています。

 

では、いったい子どもたちが人生に影響を与えるのはどういったものなのでしょうか。ゴプニックはこのことについて「遺伝子」にも話を広げて考えを広げていきます。