愛の理論

次にゴプニックは赤ちゃんの「愛の理論」について話しています。人間の赤ちゃんは未熟な状態で生まれてきます。それは人が社会の中で生きるために赤ちゃんは他の動物とは違い、あえて一人で産めなくなっていたり、1人で育つことができなくなっていると言われています。それは、つまり養育者がいなければ生きていくことができないのです。そして、一番の養育者となるのが両親です。特に母親に関しては特に重要な意味を成します。赤ちゃんは生まれてから養育と保護を求めるために「守られた未熟さ」という進化の戦略にとって愛が欠かせなくなります。

 

では、赤ちゃんはどんなふうに愛を理解しているのでしょうか。それは養育者がいったん離れ、再び戻ってきたときに赤ちゃんがとる行動を見ると分かるとゴプニックは言います。赤ちゃんは生後間もないころは、相手がだれであってもうれしそうな笑顔と声で歓迎しますが、まもなく母親の顔と声を認識し、母親を特別に好くようになります。1歳ぐらいになると、自分を特別扱いしてくれる人たちがいること、自分はその人たちの愛を求めなくてはいけないのだということが分かってきます。1歳を過ぎるころからは、愛情と信頼を、母親以外にも、父親、ベビーシッター、きょうだいなど身近な人々に振り向けるようになります。このころの赤ちゃんの多くは 、見知らぬ人が違づくと不安を感じ、親の腕の中に逃げ込みますし、親と引き離すと悲しみます。ところが愛する親が戻ってくれば、たちまち機嫌を直し、注意を何か別のことに向けます。では、なぜ、子どもはこのような行動をとるのでしょうか。

 

そこには赤ちゃんが他人の動向に注目していることにあります。赤ちゃんは自分の行動や情緒と、他人の行動や情緒との間にある随伴関係、ゴプニックはこのことを「愛の統計学」と言っていますが、こういったことに格別な注意を払っています。たとえば、自分が笑うと母親も笑う。自分が泣くと母親も悲しい顔をし、あやしてくれることに気が付きます。他にも、自分が笑うと母親は笑うこともあるけど、悲しい顔をしていたり、別のことに気を取られていることもあります。時に自分が泣いているのに母親が笑っていたり、ひどいときには怒ることもあります。すると自分はよけいみじめになります。

 

1歳になることまでに、赤ちゃんは母親の様々な反応パターンを学びます。そして、それは母親だけに限らず、色々な人が様々なパターンを行うことを学んでいきます。たとえば、親であれば敏感に反応してくれるのに、知らない人は反応を示さなかったりするのです。大勢の中で、とびきり反応が強い人がいることに気づいた赤ちゃんはその人に頼るようになるのです。

 

このようにして赤ちゃんは人を見分け、自分を守ってくれる養育者を判断していくようですが、もし、そういった環境になかった場合はどうなるのでしょうか。このことについても、以前紹介したルーマニアの孤児院の様子から見えてきます。