遺伝要因と環境要因

ゴプニックは遺伝率が形質を作ることに大きな影響を与えると紹介しました。しかし、だからと言って環境要因がほとんど関係ないということではないとも言っています。そして、遺伝率とはしょせん、一定の環境内で示される傾向を数値化したものにすぎないというのです。それはどういったことなのか。

 

それは人間の特性にあります。人間は自分の環境、特に社会環境を自ら作り出せる動物で、そうして作り出された環境は、たいていもとの環境とは違ったものになります。なぜなら、これまでに紹介したように、人間は反実仮想と因果的な介入を行う能力(これも遺伝するもの)によって、自分の環境を変えることができるからです。そのため、これまでと違った環境の下では、同じ遺伝子でもまるで違った作用を発現することになります。こういったことが遺伝的要因と環境的要因を明確に区分するということは、そもそも原理的に難しい理由でもあるのです。確かに親子一世代違うだけでも、それぞれの年代での環境は大きく違います。そして、求められる形質も違ってくるでしょう。同じ遺伝子を持っていたからといって、環境要因によって形質の出現の仕方が違っていても当然であり、では、何が違うのか、どう区分されるのかというのは明確に分けることは難しいのです。

 

ゴプニックがあげる一例が、赤ちゃんのフェニルケトン尿症の検査です。この病気は稀に見られる先天性疾患で、PKUと略称されます。PKUの赤ちゃんは食品中のアミノ酸の一種を体の中で代謝できません。そのため、普通の食事を与えてしまうと重度の発達遅滞が起こります。ですが、特定物質を除いた食事を与えれば問題は起こりません。つまり、PKUによる発達遅滞は100%遺伝的要因によるものですが、見方を変えれば、100%環境要因によるものでもあります。発達遅滞をもたらす特定物質を摂らないですむ環境では確実に発症が防げますが、そうではない環境に生まれたば場合は防ぎようがないといったことが言えるのです。

 

このように人類はPKUと発達遅滞の因果関係を持ち前の認知能力によって解明しました。そのうえ、欠陥遺伝子を受け継いだ子どもの環境を変えるための介入も行いました。もし、人間がこうした能力のない動物であったら、PKUの発症は今も100%遺伝要因で決まっているでしょうとゴプニックは言います。

 

状況と環境によって、仮に遺伝的要因であったとしても、環境要因にすり替わってしまうということがあるのですね。それは時代によっても、社会や文化によっても大きく影響されているのだろうと思います。確かに太古の時代は攻撃的な人の方が獲物や狩りをすることには向いており、その時代であればヒーローであったかもしれません。しかし、今の時代にそれを出してしまうと、犯罪者になってしまう可能性もあります。形質や気質というのはそれを受ける受け皿を必要とします。遺伝的な要因と同時に環境や社会の在り方によって、形質の特性が生かされたり、そうではないこともあるということはよくよくその意味を考えなければいけないのだろうと思います。そのためには、それぞれがそれぞれの特性を受け入れ、それに向けた環境に身を寄せれる柔軟な社会、それぞれが生かされた社会構造をもつ必要があるのだろうと思います。