5月2021

学ぶ素養

これまで赤ちゃんが物の因果関係を知ることと心の因果関係を知るということをゴプニックの本を中心に紹介してきました。赤ちゃんがいかに物事を観察し、そして実験していく中でその因果関係を知っていくのかが分かります。かくゆう、私も子どもが生まれて、赤ちゃんの様子を見ていると、非常にいろんなことを見ているのを感じます。そして、見たことを実際に実験し、検証している姿もよく見ていると行っているということが分かります。

 

大切なことはこういった子どもの姿を楽しめるかどうかということが保育や育児をする上で重要なものであるように思います。子どもたちは生活の中で、いたずらもすれば、壊すこと、手のかかることをします。いっけん、それらの行動は大人を困らせる行動であるかもしれません。しかし、裏を返せば、それだけ興味関心が広がっているのだと赤ちゃんを見ていると常々感じます。

 

ゴプニックは子どもが因果構造について、特に心の因果関係を知ることが重要だと言っています。なぜなら、物理的な因果関係の探求は今の時代かなり進んでいます。人類が発明した道具、車輪や梃子といった発明は世界を大きく変えました。そして、人類は地球のみならず、宇宙探検ができるほどの発展を見せています。それと同時に世界を破壊する手段すら手に入れました。しかし、いくら機械やロケット、爆弾といったものが発展して新しい技術ができたとしても、それを使うのは人間であって、心の因果関係、人が人に伝える言葉にかかってきます。心の理論というものが土台にあるからこそ、技術が生かされるのです。

 

世界や心の因果マップを作り、それを使って新しい可能性を思い描き、実現させていくことは、人間が自らを変革していく原動力になります、この力は観察や実験を行ってはマップを見直し、修正することで強められます。たった一枚の正確な因果マップから無数の可能性が生まれるのです。世界と私たち自身の正確なマップが増えるにつれ、可能性はさらに広がります。

 

ゴプニックは「私たちを人間らしくしているものの核心は、世界の因果構造を学ぶこの能力なのかもしれません。」と言っています。人間の知性の進化については、よく知られる2つの説があります。1つは、物理的因果関係の理解から生まれる複雑な道具使用に着目したもの、2つ目は心理的な因果関係の理解から生まれる、複雑な社会ネットワークの維持と文化の発展を重視するものです。この2つにおいても因果関係を重く見ている点は同じなのです。

 

この力が人間が他の生物よりもずば抜けた学習能力によって高められているのです。そして、この学習能力にゴプニックは「子ども期」というのが非常に関与していると考えています。子どもたちがなぜ飽きずに人のまねをするのか、なぜ観察をするのか。それは幼児というものが、物理的世界と心の世界の因果構造を素早く正確に学ぶように作られているからなのです。

 

私たちの脳にはほんのちいさな赤ちゃんの頃から、実験と統計的分析をするプログラムがあり、無意識のうちにこのプログラムを使い、世界を表す因果マップを少しずつ作り変えていきます。赤ちゃんも、私たち大人も、このプラグラムがあるおかげで、真実を見つけられるのだとゴプニックは言っています。

 

「もともと子どもたちは能動的に学ぶ力を持っている」というのは前提にあるということを私たちは理解していなければいけないのだろうと思います。だから「教育」が必要なのです。そして、その教育は「環境を通すこと」が必要なのです。私たちは教育を子どもに「施すこと」と考えていることがあるように思います。そうではなく、子ども自らが学ぼうとする力を信じ、その力を発揮できるための「援助」をしなければいけないのです。

共通言語と心の理解

ゴプニックはこれまでの心の学習において非常に大きな役割を果たすのが「言語」だと言っています。これは子どもの言語能力と他人の心を理解する能力には常に強い相関関係が認められているからです。他人が考えていることを知るうえで言葉は最も重要な手段です。私たちは物を観察してその仕組みを知り、人の行動を観察してその人の意図を推察します。しかし、相手の考えいることを知るには、その人の言葉を聞くことが必要になってくるとゴプニックは言います。

 

そして、このような言葉の力をとてもよく示す例に、耳の聞こえない子どもの言語環境があると言っています。両親ともに耳が聞こえない家族にろうの子どもが生まれた場合、その子の言葉、母語は手話になり、手話で会話する人たちに囲まれて育ています。この場合、心の理解に支障は生じないようです。しかし、両親がろうでない場合は、子どもが生まれてから手話を学んでも、突然、スペイン語を習うようなもので、会話がスムーズにできません。すると子どもの方も、周りの人が何を話しているのか分からない場合が生じ、周りの人たちの心の交流にも気づかず、心の理解に支障を生じることがあるのです。

 

また、以前紹介した中に、キャンディの箱に鉛筆しか入ってなくても、他の人はキャンディが入っているだろうと推測する実験を紹介しました。通常、答えを知った5歳児頃の子どもは、自分と同じように他の人もキャンディが入っているだろうと推測します。しかし、答えを知った3歳児は他の人も鉛筆が入っていると思うと推測し、自分の知っていることと相手の思考とが同じというように推測してしまう結果が出ました。つまり、人は自分とは違うといった「誤信念」を持つということを5歳頃に理解します。しかし、手話を使わない両親のもとで育ったろうのこどもは、8・9歳にならないとこの課題に正しく答えられないそうです。

 

このことを証明するような事例がニカラグアのろうの子どもたちが自力で独自の言葉を編み出した出来事です。中南米のニカラグアにはろうの子どもたちの専門学校はありませんでした。そのため、個々の子どもたちは共通語がなく、手話を教えてくれる人も当然いません。ところが1970年代になり最初のろう学校が開かれ、子ども同士の交流が始まると、独自の手話が開発されたのです。その後、新しく入学する子どもたちは、先輩たちが発明した言語を覚えていきました。これは言語がいかに便利で役に立つかを確かめる実験がひとりでに行われてきたということです。

 

ジェニー・ピアスはこの子どもたちを調査したところ、第一世代の子どもたち、つまり言語の開発者は耳の聞こえる両親の元に生まれたであろう子どもと同じように、他人の心を理解するのに苦労しました。これは研究室で起きたテストでも、日常生活でもそういった傾向があることが分かったのです。たとえば、彼らは大人になっても、キャンディと鉛筆の課題ができなかったり、1人の男性が棚から帽子の代わりにぬいぐるみのクマを頭にのせるビデオを見ても、男性が取るものを間違えたとは思わなかったりしたのです。また、日常生活においても、先輩たち(開発者たち)は秘密を守ったり、他人を操ったりするのがとても苦手など、在学生たちが言っていたのです。しかし、これに対し、第二世代、つまり、共通語を持っている世代の生徒は前世代より年齢は低くても、キャンディと鉛筆の課題やぬいぐるみのクマを帽子と間違える課題においても、理解していたのです。

 

それほど、相手との共通の意思疎通ができるツールがあるかないかということは心の理解をする上で大きな意味合いを持つことになります。

「観察」と「実験」

子どもは観察によって心を理解するということが分かってきました。また、ゴプニックはそれと同時に「実験」を通じてでも人の心を研究すると言っています。それにおける実験を行ったのが、エド・トロニックです。トロニックは9ヶ月の赤ちゃんの目の前で母親が急に凍り付いたようにじっとして、無表情になる実験をおこないました。すると予想通り、赤ちゃんはおろおろし、泣きだすことまであります。ところがそれだけではありませんでした。赤ちゃんは一体どうしたのかを調べでもするように、母親に向かって、普段したことのない表現豊かな仕草をいろいろして見せたのです。別の実験では、大人の方が1歳児の真似をします。すると、動作をことごとく真似する大人の異様な振る舞いに気づいた1歳児も、先ほどと同じような違う種類の「実験」をしました。大人が本当に自分の動きを真似ているのか確かめるかのように、誇張したおかしな仕草をするのです。片手を不自然に不利、大人がそれを真似するかどうかを試します。赤ちゃんは、大人の無表情な顔、ものまね、どちらにも興味をひかれ、何が起きたのか知る手がかりを大人の反応から得ようとするのです。

 

赤ちゃんはそれだけ、周囲の環境において、観察するだけではなく、働きかけることも実は多くしていたということが実験からわかったようです。これは私たちの赤ちゃんは何もできないといった「白紙論」を見直す見方がここにあるように思います。実際、保育現場において、よく見学に来られる先生や保護者が口々に言うのが「赤ちゃんでもこんなことできるのですね」といった言葉でした。しかし、特別なことはしていませんと話すと「では、どうやったらこういったことができるのでしょうか」となります。私は子どもたちの様子を見ているとやはり観察におけるモデルを見るということがとても大きいように思います。これはゴプニックの説にもあったように「因果関係」を人を使うことで知るということにつながってくるのでしょうが、それほど、赤ちゃんは外の動きに敏感で、キョロキョロと情報を取り入れています。「泣く」という行為も一つはその原因を解明するために大人を使っているのかもしれません。そう考えると、赤ちゃんは非常に能動的な存在だと感じます。

 

次に、ゴプニックは子どもが他人の心を学ぶのに最も効果的な学習方法に言及しています。これまでの「観察」「実験」からも分かる通り、子どもが多くを学ぶのは周囲の人同士の交流や介入の観察です。周りの人がどのように働きかけ、どう操るかを見ていると、心理的な因果関係について豊富な情報を得ることができます。

 

例えば、兄弟姉妹を比べると、知能テストや口頭テストでは下の子の方が成績が悪い傾向がありますが、心の学習は逆に下の子の方が驚くほど早いようです。これはあくまで傾向ですが、上の子は学校の成績で測れるような知性、下の子は情緒的、社会的な知性が発達しやすいようです。また、どちらかと言えば、上の子は物事を一途に追求し、下の子は仲介役になろうとする傾向もあるようです。兄や姉は両親のやりとりをするのを観察することが、心の学習に大いに役立つのかもしれません。そして、下の子はマキャベリ的知性、つまり他を欺く力を実地で見聞する機会に恵まれていると言えるのです。

 

確かにこういった側面はあるかもしれません。私も兄の様子を伺いながら、我ながらずるがしこかった幼少期であったと思います。このように、身近にいる人は子どもたちにとって、様々な刺激となり、心の学習にも役に立ちます。また、これは今の時代の子ども社会の少なさにも同時に問題視されるものではないでしょうか。今の時代核家族が増えています。また、地域でのコミュニティも昔ほど活発ではありません。ということは、こういった関係性や学びの場は乳幼児施設でしかできないのかもしれません。つまり、乳児からの保育は何も預かることだけではなく、心の学習も含め、他と自分とを学ぶ環境でもあるのです。もちろん、母子関係や愛着というものあるので、それほど無理をさせることもできません。しかし、子どもの環境において、他と関わることが少なくなっている昨今で、乳幼児施設の重要性はより考えられるべきではないかとおもいます。

観察からの心の理解

乳児は自分の反応にものに対して、心があると考えるようです。そして、かなり奇妙な姿をしたものでも、心があると考え、鳴き声や光、動きのパターンはそれが見たいもの、したいことを表しているのだと思い、それに応じて振る舞ったのが分かりました。赤ちゃんが心があるかどうかを判断する基準はそのもの自体がどういった反応をするのかを観察するところにあるのですね。

 

では、次に幼児はどのような心の理解をしているのでしょうか。4歳児になると他人の心を統計的パターンから推論できるようになるとゴプニックは言います。これもブリケット探知機と同じ手法で確かめた実験があります。この実験ではブリケット(ブロック)ではなく、おもちゃのウサギを使います。ウサギをバスケットに入れて、子どもに「ウサちゃんには怖い動物と怖くない動物がいます。怖いのはどれでしょう?」と聞いて、バスケットに他の動物のおもちゃを入れたときのウサギの反応をいろいろなパターンで見せます。バスケットにシマウマが入るとウサギは怖がって震えます。しかし、ゾウが入ったときには、ウサギは喜びます。次にシマウマとゾウが一緒に現れると、ウサギはまた震えます。ここまでのパターンを見た子どもはゾウという要因を排除して、ウサちゃんが怖いのはシマウマだという正解を出せるかを実験しました。そうすると4歳の子どもは、パターンを正しく分析し、正解を答えました。それだけではなく、ウサちゃんが安心するようシマウマをバスケットから出してあげることもできます。つまりこれは、得たばかりの知識に基づいて、介入を行いウサギの世界を変えられたのです。

 

子どもは人の性格もこれと同じように判断していることもわかりました。このほかにもゴプニックはエリザベス・シーヴァーと共に4歳の子どもにトランポリンと自転車で遊ぶ人形のアンナとジョシ―の様子を見せる実験をしました。その内容は子どもたちを2つのグループに分けます。半分にはアンナはトランポリンで楽しそうに跳ね。自転車に4回のうち3回飛び乗れました。ジョシ―はトランポリンで跳ねれず。自転車にも4回のうち1回しか乗れません。次にもう一方の子どもたちにはアンナもジョシ―もトランポリンで4回のうち3回楽しそうに跳ねますが、自転車には4回のうち1回しか乗れないのを見せます。

 

その後、子どもたちにアンナとジョシーがこのような行動をした理由を説明してもらいます。すると、最初のグループはアンナは勇敢でジョシーは臆病だからだと言いました。さらに、見ていない場面、たとえば、飛び込み合いに上ったときも、アンナは勇敢に飛び込むだろうと予測しました。後のグループはアンナとジョシーがこのようにふるまったのは、トランポリンは安全で自転車は危ないと思ったからだと答えたのです。つまり、行動パターンの観察から性格を推論したのがわかります。

 

ただ、このような推論は当たることもありますが幼児であっても、大人であっても、乏しいデータから人の性格を判断しようとすると、間違いも起こると言います。確かに、一見、良い人のように見えても、実際のところはそうではないということはよくあります。詐欺なんかもこういった推論の間違いをうまく使って言える犯罪です。イランのアブグレイブ刑務所で囚人を虐待して罪に囚われた米軍の看守たちは、世間から悪魔のような奴と決めつけられましたが、心理学者が行った実験によれば、これと同じ状況に置かれたら、多くの人がこの看守と同じことをするだろう言ったのです。

 

この様子から見ていると4歳の子どもであっても、大人と同じくらいの相手の性格の推論を行っているということが見えてきます。また、ゴプニックは子どもの心の理解において、観察だけではなく、実験を通じても心を理解すると言っています。

乳児の心の理解

ゴプニックは1歳の赤ちゃんでも、物事への反応によって、人と物を判別していると言います。心理学者スーザン・ジョンソンはどう見ても人間ではない土くれのような塊を作り、赤ちゃんが声を立てれば鳴き返し、赤ちゃんが動けば光るというふうに、赤ちゃんの行動に随伴した反応をさせました。さらに、まったく同じものをもう一体作り、こちらは赤ちゃんの行動とは無関係に勝手に鳴いたり光ったりするようにしました。塊の行動と赤ちゃんの行動の関係を変えたのです。

 

次にそれぞれの塊をクルリと回し、赤ちゃんと正反対を向かせました。すると赤ちゃんは自分に反応して鳴いたり光ったりする塊が「見ている」方向は目で追いますが、そうではない塊の「目線」は追いませんでした。赤ちゃんは、自分に反応する塊だけに物が見えていると考えたのでしょう。赤ちゃんは自分に反応する塊に対して、より多く発声したり、体を動かしたりしました。さらに赤ちゃんは、自分に反応する塊には意図があり、願望を持つとも考えたようでした。

 

以前紹介したダンベル実験でも、大人がおもちゃのダンベルを切り離せないのを見た赤ちゃんは、その人がやろうとしていた意図を理解し、ダンベルを受け取るとこれを切り離しました。ジョンソンはこれと同じことを機会にやらせ、それを赤ちゃんに見せても、赤ちゃんはダンベルを切り離そうとはしませんでした。ところが、その機会に反応性をもたせ、鳴いたり、光ったりできるようにすると、赤ちゃんはその機械がおもちゃを切り離したがっているかのように振る舞いました。このように赤ちゃんは、反応するものであれば、かなり奇妙な姿をしたものでも心があると考え、鳴き声や光、動きのパターンはそれが見たいもの、したいことを表しているのだと思い、それに応じて振る舞ったといいます。

 

人と物との区別というのはあまりこれまで考えたことはなかったですが、確かに赤ちゃんはものと人とを明確に区別しているというのは分かります。しかも、反応するものであれば、光でも泣き声でも、動きのパターンでも、その意図を理解し、それに応じて振る舞いをしたと言います。それだけ、物においても、「心」があったり、「意図」があるということを理解しているのです。

 

では、次に幼児はどのようにして心の理解を示すのでしょうか。赤ちゃんにおいては相手に意図や心があるということが先ほどまでの様子で見えてきました。幼児は4歳になると「他人の心の統計的パターンから推論できるようになる」ということがブリケット探知機と同じ手法で行われた実験で見えてきました。