5月2021

赤ちゃんの観察

赤ちゃんも大人と同様に外因性注意や内因性注意を通して周りを意識しますが、赤ちゃんの場合は内因性注意よりも、外因性注意の方がずっと支配的だとゴプニックは言います。赤ちゃんであっても、自分の注意をコントロールするといった内因性注意をしないことはないのですが、幼くなるほどそのようなことはまれで、注意はもっぱら外の世界の興味深い出来事に注がれ、心の中の計画だとか目的だとかに従うことは少ないと言います。これを以前紹介したボールのやり取りの中にゴリラが横切るといった例でいうと、赤ちゃんはボールを追うのをやめてしまうのです。内因性注意は、幼児期を通じて、時間をかけて発達していくのだと言います。

 

2歳児からお気に入りのおもちゃを取り上げたいときは、言い聞かせたり、鉱物で釣るより、別の注意を引いそうなおもちゃをあげるほうがずっと手っ取り早いです。こうすることで、子どもは自分から古いおもちゃを手放します。赤ちゃんは嫌いなのだけれどつい、興味をひかれてしまうもの、強い光とか大きな音に注意を向けるところもあって、べそをかきながらも、目を話せないところがあるのです。ある意味、人間の「見てはいけないものほど、見たくなる心理」みたいなものは赤ちゃんにも同様にあるのです。

 

しかし、このように馴化のプロセスを逆手にとって古いおもちゃを手放させるこのやり方は、赤ちゃんの成長と共に通用しなくなります。それは年齢が上がるにつれ、外部の出来事よりも、内部の思惑で注意がコントロールされるようになるからです。こうなると、新しいものや珍しいものにいつも注意してくれるとは限りません。そうして大人になったときには、ボールから目を離さないといったん心に決めたら、突然出てきたゴリラにも気づかなくなるのです。

 

確かに、保育の中で見る赤ちゃんは常に目をキョロキョロとさせ、何か音が鳴るたびに、そちらに目を向けます。逆にその音の出どころが分からないと不安になり、泣いてしまう子どももいるくらいです。こういった活動には何か意味があるのだろうといつも見ていました。ゴプニックが言うように周りの環境に目を配らせ、外の要因に目を向けることで、学ぼうとしているのです。ある意味で集中してはいない状態です、その集中しないということ自体が必要な時期なのですね。様々なものを「馴化」が起きるまで観察し、興味のある者や目につくものを分析し、学んでいるのでしょう。

 

つまり、この頃の子どもたちの対応は「あ~しなさい、こ~しなさい」と指示するのではなく、その子どもたちが注意しそうなことや興味のありそうなもの、楽しいことを環境の中に用意する必要があるようです。

大人の意識と子どもの意識

これまで、意識と注意の関連から内因性注意と外因性注意の紹介をしました。人は外の世界の要因から注意する外因性注意があり、外の対象に対して注意を向けます。これに対し、内因性注意は自発的に目的に向けて意識を向けることがあります。また、これらの反応においては脳の神経伝達物質による影響が大きいことも同時に見えてきました。常に脳は注意を向けるにあたり、抑制と興奮のバランスで決まってくるのです。

 

では、赤ちゃんの注意や意識といった物はどのようなものなのでしょうか。このことに関して、赤ちゃんの意識体験については、正確なことはまだわかっていないのですが、赤ちゃんの注意力、脳については多少のことが分かってきています。それにおいて、赤ちゃんや幼児の意識は大人と似ているともいえ、違うともいえます。

 

一昔前は赤ちゃんの注意は完全に自動的、反射的で、高次の脳中枢は使われていないと考えられていました。このことにおいてゴプニックは「赤ちゃんには脳がないという神話の一つに過ぎない」と言っています。しかし、そんなことはありません。赤ちゃんが何かに注意を向けるときは、大人と同じように対象の情報を取り入れていますし、意識もあると思われます。そして、わずかに予想とズレた出来事をみたときは、大人と同じ種類の脳波が現れますし、対象をじっと見つめ、特徴を目で調べ、その間、心拍数が低下するところも大人と同じです。これらの徴候はどれも、赤ちゃんが大人と同じように、その出来事を鮮明に意識していることを示しています。その出来事が面白ければ、驚くほど長い時間見つめ、しばらくすると飽きてしまい、目をそらします。これは大人も赤ちゃんも同じなのです。

 

このプロセスはまさに「馴化」のプロセスですね。わずかに予想とズレた出来事を見ると、赤ちゃんの注意はそれにくぎづけになり、予想通りだった出来事よりも長く見つめます。赤ちゃんは予想外の出来事に対してはとても貪欲に見えます。

 

このような赤ちゃんの意識を利用すると、赤ちゃんがどんな風に世界を把握していくかを知ることができます。また、こういった貪欲さが必要であるのは、人間が予想外の出来事にあるチャンスというのは若い時期ほど多いからです。そして、それは外界の物とはかぎりません。心の中にも予想外の事態が発生が発生するということに他ならないのです。

 

こういった実験をもとに見ていると、赤ちゃんにおいても、言葉には表さず、態度で示しますが、大人と同じように感じ、不思議に思い、周りの環境に能動的に働きかけ学んでいるということが分かります。また、最後の文にある「予想外の出来事にあるチャンスというのは若い時期ほど多い」というのはまさに経験値の問題なのでしょうね。大人は赤ちゃんと比べ、経験が多くあります。その分、様々な新しいことをその都度経験していることにもなり、「馴化」された出来事は赤ちゃんと比べて多いのは当然のことです。このように考えると、赤ちゃんが様々なことを考え、環境の中で自発的に感じることが多い状況を作り体験を通したことが多くできるような関わりをしなければいけません。だからこそ、「応答的な関わり」というものが重要視されるのでしょうね。

脳の抑制プロセス

人が物事に集中するがあまり、他のことに意識が言っていないことがあるとゴプニックは言います。これには神経学的に裏付けがあり、脳の特定の神経伝達物質の影響を受けているからなのです。この物質はヒトが何かに注意を向けたときに放出される物質であり、ニューロンに働きかけ情報伝達を促します。それによって、注意の情報処理をする脳の特定部分だけを選んで、そこに向けて放出されます。しかし、それと同時に、それ以外の部分に対しては、抑制性の神経伝達物質を放出し、抑制ニューロンの働きを高めます。

 

ちなみにコーヒーやタバコにもこれに似た作用がありますが、コーヒーは集中力を高めますが、それは抑制ニューロンを抑制することで生じ、タバコに含まれるニコチンは集中を向ける神経伝達物質に似ているので注意力を高めます。つまり、「コーヒーは注意を解放し、タバコは集中させる。」と言えます。このように私たちの脳の働きは抑制と興奮のバランスで決まるのです。何かに注意を向けるというのは、脳の一部の働きを高め、他の部分を閉ざすことなのです。

 

また、注意は脳の一部の働きを高めるばかりでなく、他の部分より変化しやすくすると言います。その証拠に神経学者のマイケル・メルゼニッヒらのサルを使った研究から明らかになっています。これはサルの脳細胞の活動を実際に記録し、特定の音を聴く、体に触られるといった出来事には、其れ異なる細胞が反応することを確かめました。実験では、特定の音が聞こえたとき、サルが手を伸ばせばジュースをもらえます。しかし、体に触れたときは何ももらえません。するとサルは、ジュースをもらえる音に注意を強く向けるようになります。これは人が雑踏の中で、話し相手の声だけに注意を集中し、他の声が聞こえないというのと同じ状況です。また、このサルの脳細胞を調べると、聴覚に関わる脳細胞の接続が、この体験の前後で変化していることが分かり、以前とは違う反応を示すようになったのです。一方で、触覚に関わる脳細胞の方には変化がありませんでした。では、このサルに伝達物質を抑制する化学物質を投与するとどうなるでしょうか。結果は抑制する化学物質を投与されたことによって脳の変化が起こりにくくなります。結果、集中度によって学習の効果が違うということが分かりました。これは何かを学び、新しい情報を受け取った脳と心は、文字通り変化するのです。

 

それは人から注意を促されるだけではなく、「車に気を付けて」と自分に注意する場合のように、自発的な内因性注意でも、脳に学習を促します。これは人が目的に向かって特定の情報を求めることにも役立ちます。たとえば、本を正確に書くのに役立ちそうな情報をえるには、注意をテーマにした神経心理学の退屈な論文も読み通さなければならない時のように目的に応じた注意や意識が求められます。

 

このように意識とは何かという問いにおいて、鮮明で対象を絞り込んだある種の意識が心と脳に関連しているということはある程度説明がつきます。この種の意識をもつとき、心は世界の一部についての情報だけを取り入れ、それ以外の邪魔になる情報を抑制します。そして、取り入れられた情報は新しい学習に使われるのです。

 

これと関連して、ある種の無意識状態も説明がつきます。それは先に紹介したように「馴化」によっておきることです。ある出来事や作業に慣れて、理解や習熟が進むと、殆どが意識に上らない自動化された状態になるのです。そして、心や脳の中で起きていることは、多くが全く意識に上ることもなかったり、本来なら意識に上るような出来事をあまり意識せずに済ませることもできるのです。いずれにしても、脳の抑制プロセスが大きく関わっていると思われるのです。

 

では、赤ちゃんの意識はどのようなものなのでしょうか。

人の意識

まず、赤ちゃんの意識に入るまでに、そもそも「意識する」というのはどういったことをいうのでしょうか。ゴプニックは「意識は、注意と密接な関連を持っていると思われる」と言っています。何かに対し、注意するということはその対象自体を意識し、より鮮明にその対象を見ることだというのです。その注意には2種類あり、一つは外因性注意、2つ目は内因性注意です。

 

外因性注意はたとえば、突然目の前に大きなトラックが現れたような場合、それに注意を向けることを心理学用語でそう言います。一方、内因性注意はある物体から他の物体へ、自発的に注意や意識を移すことを呼びます。これはたとえば、「このコーナーは危ないから気を付けて」と言われた場合、気を引き締めたとたんに、車にピントが合ってよく見えるようになることです。

 

外因性注意は新しい出来事、予想外の出来事は注意を引きやすく、大きな物音のように本質的に人を驚かせやすい出来事によっておこることもあります。また、それとは逆に線路沿いに住む人は列車の音になれてしまって、いつもの時間に列車が通らないと逆に驚くこともあります。これは人間の意識が以前も紹介した「馴化」によって、刺激に飽きてしまい、注意も鮮明な意識も減退したことにより起きたのです。ある出来事に「馴化」していくことで、ほとんど意識に上らなくなるというのです。これは自転車の乗り方や新しいコンピュータ・ソフトの使い方を覚えるときも、初めは慎重であっても、熟練してしまうと無意識のうちにできてしまうということもこの「馴化」によって起きることです。出来事であれ、技術であれ、もうこれ以上の情報も学習も不要になれば、あとはひたすらこなしていくだけになります。こうして、自動操縦状態ができるようになります。

 

次に内因性の注意です。これは特定の対象に、自発的にスポットライトで照らすように向けられる注意です。この場合一つの対象に注意する反面、周りの物事への意識は薄れることがあります。本来なら気が付くはずの目立ったもの、新しいもの未知のものにも気が付きません。この現象はダン・シモンズが考案した実験によって証明されています。まず、参加者に、何人かがボールをパスし合っているビデオをみせ、ボールが人から人へ何回移動するか数えてもらいます。プレーヤーが錯綜した動きをするため、どこにボールがあるか目で追うのは簡単ではありません。そして、ビデオが終わった後に「なにかおかしなことが起きませんでしたか?」と聞きます。しかし、参加者は「いいえ何も」と答えたのです。そこで実験者はもう一度同じビデオを流します。すると、ゴリラの着ぐるみを着た人物が画面の真ん中をゆっくり歩いていくのに気が付くのです。つまり、最初に見たときもゴリラは視界に入っていたはずなのに、まったく見えていなかったのです。それは、ボールに極度に意識を集中させていたためです。なぜ、こういった現象がおきるのでしょうか。そこには私たちの脳における神経伝達物質に影響を受けているからだとゴプニックは言います。

赤ちゃんの意識

赤ちゃんの様子を観察していると、実に落ち着きなくキョロキョロしています。いったい、なにを見ているのかと思うくらい、一つのことに集中するよりも、いろんなところに注意を向け、何かを必死に学び取ろうとしています。そして、大人が話している様子をジッと見たり、声を上げて自分の方に注意を向けさせたりと大忙しです。なぜ、こういった行動をとるのでしょうか。このことはこれまでのゴプニックの話にもあったように、世の中の因果関係を赤ちゃんは吸収するために、モデルとして大人を見ているのでしょう。ずりばいができるようになると、いろんなところに向かい、手あたり次第に手に取ったり口に入れたりするというのはこういった触覚や視覚を使って、物の性質を確認しているのかもしれません。これらの行動はおとなにとっては非常に厄介です。怪我もしそうになりますし、埃をついたものを口に入れるのは不衛生です。しかし、こういった行動自体が百聞は一見にしかずで、赤ちゃん自身の体験を通した学びであるとするなら、その行動をゆったりと見ていたいものだと感じます。

 

ゴプニックはつぎに赤ちゃんの意識をより深く注目していきます。赤ちゃんはどんなふうに世界を体験するのか。赤ちゃんや幼児に注目することで、意識のどんな性質がわかるのかということを見ていきます。では、その「赤ちゃんの意識」とは実際にどういったものなのでしょうか。

 

そもそも赤ちゃんは大人の意識の構造は違ったものがあるといいます。大人は、注意を向けた対象をはっきりと意識します。そして、何らかの対象に注意を向けると、脳は特定のニューロンの働きを高め。変化を促す神経伝達物質を作ります。ところが、赤ちゃんの注意は、大人の注意とは体系的な違いがあって、脳の働き方も大人とは違います。そうであるならば、赤ちゃんの意識も、大人の意識とは体系的な違いがあるのではないかとゴプニックは言います。

 

哲学者の多くは赤ちゃんが仮に意識を持つとしても、そのレベルは大人よりも低いだろうと考えてきました。確かに、赤ちゃんは言葉も話せず、筋道を立てて問題を解決したり複雑な計画を立てることはできないですね。しかし、赤ちゃんの研究していく中で見えてきたデータを見ていくとあることが分かってきました。実際のデータから導かれるのは赤ちゃんの意識は大人よりも低いだろうという回答とはまったく逆で、赤ちゃんの意識は、すくなくともいくつかの尺度では大人の意識レベルを上回ると言っています。

 

では、「意識」というのはどういったことをいうのでしょうか。「意識」は注意と密接な関連を持っているとゴプニックは言います。では、その注意とはどういったものがあるのでしょうか。