変遷

PISAの学力調査では、各国がどういった教育を行っているかということまで、調整してテスト内容を決めているわけではありません。当然、議論の中には生徒に学校で習得していないことをテストに出ることが不公平だという批判的なものあったそうです。しかし、アンドレアス氏は「人生における試練は、昨日学校で習ったことを覚えているかどうかを問うものではない。今日想定しえなかったことに将来対応できるかどうかが問題になる。現在の世の中では何を知っているかではなく、知っていることで何ができるかが試される」と述べています。

 

これはまさに今日本が教育改革を行う上で、目的としているものそのものです。そして、日本がPISAの学力調査において、弱い部分でもあります。日本は科学的リテラシーや数学的リテラシーは未だトップクラスに良いのですが、読解力においては大幅な低下が見られます。その中でも記述式の自由回答においては無回答が多かったそうです。つまり、問題を解くということは今でも十分すぎるほどのスキルはあるが、自分の考えを伝えることが苦手なのです。このことから日本では読解力の育成を念頭に教育が見直されることになり、それが「思考力・判断力・表現力等の育成」という教育が進められるようになったのです。

 

このように進められたPISAの学力調査ですが、その進み具合は当然順風満帆ではなく、2001年から結果における議論は白熱したものになります。なぜなら調査結果により明らかになった教育の姿は、大多数の人が思い描いていたものとは大幅に異なったからです。はじめ、アンドレアス氏が開発したシステムは、自国の成績を知ることができるが、他の国や地域との比較した結果は分からないようになっていたのです。2006年の調査結果が公表されると議論は最高潮に達します。それは各国のその時点での位置を示すだけでなく、2000年の最初のPISAの学力調査以来、状況がいかに変化したかを測定する3つのデータポイントも含めてあったからです。

 

状況が改善していないというのは政府の政策にも影響があります。しかし、政策立案者にとっては認めたくないものです。結果、政治的な圧力もかかることは避けれない状況になりました。しかし、2006年OECDに着任して間もないアンヘル・グリア事務総長は、PISAの教育改革への影響力を見出し、PISAを成功に導くべく尽力しました。

 

OECDは経済開発協力機構が日本名で、世界経済について話し合わされている中、経済の国際機関が教育についても、研究や政策が行われています。つまり、教育は経済にもつながると考えられているのです。つまり国を維持し発展させるのはその時期の大人だけではなく、もうすでに教育を受ける時点から始まっていると考えているのです。もう少し、我々はこのことを意識すべきなのかもしれません。「生きる力」といっても、なにをどう意識すればいいのかが分からない人は多いような気がします。しかし、もう少し、社会の変遷に目を向け、考えていくと「生きる力」というものが何を意味するのかは想像しやすくなるかもしれません。