1月2020

事件から見えてくるもの

エリザベス・ドージアが赴任したフェンガー高校に来ている生徒たちは経済的にも恵まれていなく、ギャングの問題のある地域に住んでいます。そして、こういった暴力の脅威は生徒たちの上にも大きく影を落としていました。シカゴの殺人発生率はロサンゼルス、ニューヨーク市の倍以上にのぼります。ギャングは他のどの主要都市よりも多きな、しかも破壊的な存在で、ドージアがフェンガー高校に着任したのはちょうどティーンエイジャーの間で銃撃事件が急増していた時期だった。

 

そんななか、ドージアが着任して16日目に事件が起こりました。学校から数ブロックのところで大規模な喧嘩騒ぎがおき、およそ50人のティーンエイジャーが巻き込まれました。そのうちの大部分がフェンガー高校の生徒でした。銃もナイフも使われなかったが、一部の生徒たちが線路の枕木を取ってきてこん棒にし、争いに割って入ったデリオン・アルバートという16歳のフェンガーの生徒をなぐり、ついで顔を殴り、意識をうしない、地面に倒れている間に他の数名から頭をけられ、その外傷がもとで死亡しました。彼の死は他の何十もの死亡事故とさほど変わらなかったが、この様子を動画で撮影した目撃者がYouTubeに流し大きな話題になりました。様々なニュースの取材や学校の正面での追悼集会や抗議集会が開かれた。その一か月後の10月になると非行グループによる激しい喧嘩が校内の3つのフロアで同時に起こり、フェンガー高校は再びニュースを騒がすことになります。

 

学校内の喧喧囂囂(けんけんごうごう)たる議論の末、ドージアは暴力行為および、暴力につながりかねない行為を一切容認しない方針を導入。ギャングを真似たハンドサインを使ったり、ギャング風の握手をしたりする生徒を廊下で見かければ、自動的に10日間の停学を言い渡しました。喧嘩をした生徒は警察に通報し逮捕してもらい、あらゆる手段を尽くして退学にした。廊下には重武装下警備員が巡回し、生徒は専用のひもで首から下げた身分証明書がなければどこにも行けない。休み時間には<ビバリーヒルズ・コップ>の曲が流れ、その曲が終わるまでに教室に移動しなければいけない。こうした堅固な規則があるにもかかわらず、まだ騒ぎは起こっていました。

 

校長になって2年目も半ばのころ、ドージアは自分の役割の中で一番重要なのは授業を指導することではないと思うようになりました。デリオン・アルバートの殺人事件をきっかけに、学校組織のトップのアーン・ダンカンと司法長官のエリック・ホルダーはフェンガー高校で放課後のプログラムを実施するために連邦の資金から50万ドルを支出することを約束しました。そのプログラムの内容は怒りの抑制や心的外傷のカウンセリングで、学校側は対象を生徒だけではなく、生徒の家族にまで広げました。ドージアは生徒の中で最も大きな問題を抱える25名を集中指導プログラムに登録した。

 

今現在、ドージアがフェンガーにおける差し迫った危機は生徒の学業成績の不振ではなく(それも気が滅入るほど深刻なままではあるが)もっと根深い問題、つまり生徒の毎日をつらいものにしている、心的外傷の引き金になるほどの困難な家庭環境から生じていた問題を解決する糸口となるものを彼女は探していました。「この仕事に就いたばかりの頃は“個ここの子どもたちにはどんな家族がいるのか”“貧困は子どもたちにどういう影響を与えるのか”といった疑問を軽視していた」と言っています。それと同時に「けれどもフェンガー高校で働くようになってから考えが変わりました」と言っています。

 

家庭環境の貧困と学業における姿勢が大きく影響しているということが分かるのと同時に、たとえルールを厳格化したとしても、それが問題の解決には至らない、もっと根本的なところからアプローチする必要があるということが分かります。困難な環境からどう支援していなければいけないのか。それはただの授業支援といった部分ではないということが分かります。

困難な環境

「子どもたち、とくに困難な環境にいる子どもたちを支援すること」というのは様々な国で取り上げられています。ここで紹介するエリザベス・ドージアと後に紹介するナディーン・バーグ・ハリスもその一人です。彼女たちは「困難な環境にいる子どもたちを支援する」ということを共に使命感を持っているだけでなく、似たような根深い不満を抱えていました。二人とも、職務の範囲で最善の手段をもってしても、目の前の問題を解決することができないといった結論に達したばかりで、キャリアにおいても、人生においても、転機を迎えていました。そして、いままでにない新たな戦略の手引きを探していたのです。

 

2009年にエリザベス・ドージアはシカゴのサウスサイド、ローズランドの中心にあるクリスチャン・フェンガー高校の校長に任命されます。しかし、その学校は危機に直面していました。いやむしろ、その学校は過去20年以上を遡っても危機的状況にない瞬間を探す方が難しいような学校です。このローズランドという土地はいまや市内でもあらゆる尺度から見て(貧困率・失業率・犯罪率・あるいは荒れ果てて閑散とした通りの雰囲気など)をみても最悪の部類に属する場所の一つです。また、ローズランドは辺鄙な土地で、人種隔離に使われているかのような地域です。そして、98%が黒人の土地です。フェンガー高校はこういった貧困地域にある多くの大規模公立高校の例にもれず、惨憺たる記録を保持していた。試験における得点は常に低く、出席率も低い。校内は慢性的に荒れており、退学率が高かった。しかし、こういった「行くところまで行った学校」は町の有力者やワシントンの官僚からも無視され、放置されるものでしたが、このフェンガー高校は無視されてきたわけではないのです。むしろ、ここ20年以上、なんども大掛かりな改革の対象となってきました。予算もたっぷりと割かれ、国内の有名な教育官僚や慈善家が何人も関わってきた。教育困難校に対する改善策としておおよそ思いつく限りのすべての戦略が手をかえ品をかえ試されてきました。その中で校長に任命されたのが、エリザベス・ドージアです。

 

彼女は着任したとき、事態を好転させるために必要な道具はすべて現代的な教育改革理論の中にそろっていると信じ込んでいた。そして、着任前の一年、彼女はニュー・リーダー・フォー・ニュー・スクールズと呼ばれる最高峰の研修プログラムを受けて過ごしました。研修では、行動力のあるリーダーなら生徒の成績を高いレベルまで引き上げることができる、熱心な教員が指導に当たる限り生徒の経済状況は関係ないとたたき込まれたのです。そこで彼女はフェンガー高校の事務員や教員を入れ替えました。ドージアは求める基準に達しないものを容易に解雇できるのです。そうして学校の環境を思うように作っていきました。

 

しかし、ドージアはこう言っています。「学校がうまく機能しないのは校長が悪いか、教員が悪いせいだとずっと思っていました。だけど、現実にはフェンガーは地元に根差した公立高校であり、地域社会のありようを反映しているにすぎません。学校の問題を解決しようと思うなら、地域で怒っていることに目を向けないと」

 

フェンガー高校について知っていく中で、生徒たちが家庭で直面している問題の深刻さに何度も驚かされたと言います。「ここの生徒の大半は経済的に恵まれていません。常にお金に困っています。そして、多くが、ギャングの問題のある地域に住んでいます。深刻な逆行を免れている生徒なんて一人もいないのです。」事実、女子生徒の4分の1は妊娠しているか、10代にしてすでに母親である。実の両親と暮らしている生徒はどれくらいいるのかと聞くと「思いつきません。そういう生徒もいるはずなのですが」とドージアは言います。

 

そんな中、大きな事件が発生します。

非認知的スキル

ペリー・プレスクールに通っていた子どもたちは短期的に見ると、それほど成果のなかったプロジェクトですが、ヘックマンは長期的な効果に注目すると、有望なデータになるということを見つけました。それは確かに、プレスクールに行ったとはいえ、知能指数においては3年生ごろにはIQのスコアはそれほど変わらなかったのです。つまり、プレスクールに関して知能指数に及ぼす効果は持続しないということです。しかし、ヘックマンはペリーの子どもたちにはプレスクールの間に「何か重要なこと」が起こっていたということを注目します。その「何か」がなんであれ、ポジティブな影響が何十年も残っていた。対照群と比べると、ペリーのせいとは高校を卒業している割合が高く、27歳の時点で雇用されていた割合が高く、40歳の時点で2万5千ドル以上の年収を得ていた割合が高かった。そして、逮捕歴のある割合は低く、生活保護を受けたことのある割合も低かった。

 

そこでヘックマンはペリー・プレスクールの研究をもっと深く調べ始め、1960年代と1970年代の調査結果で未分析のデータがあることが分かりました。それは小学校の教員からのレポートで、実験グループと対照群の両方の生徒について、「生活態度」と「社会性の発達」を評価したものだった。前者はそれぞれの生徒がどれくらい頻繁に罵り言葉を吐くのか、嘘をつくのか、盗むか、欠席や遅刻をするかを見たもの、後者はクラスメートや教員との人間関係にどの程度関心があるかを評価したものである。ヘックマンはこれに「非認知的スキル」と名前を付けました。なぜなら、それはIQなどの認知的スキルとは完全に別物だからです。ヘックマンと研究者たちは3年かけて慎重に慎重に分析した後、ペリー・プレスクールが生徒たちに与えた恩恵の三分の二はこうした非認知的な要素(たとえば、好奇心、自制心、社会性といったもの)であると確信するに至った。

 

それはいいかえれば、ペリー・プレスクール・プロジェクトは誰もが信じていたものとは全く別の機能を持っていたのである。60年代にこれを立ちあげた善意の教育者たちは、低所得層の子どもの知能を向上させるプログラムを作ったつもりでした。ほかの誰もがそうだったように、それが貧しい子どもたちのアメリカ社会での成功を助ける方法だと信じていたからです。しかし、そこには2つの驚きがあったのです。一つは彼らがつくったプログラムには長期的にわたる知能への効果はなかったが行動や社会性に関わるスキルは確かに向上したということ。二つ目は失敗ではなく、そこにはプログラムが役に立った部分があったことです。イプランティの子どもたちにとって、こうしたスキルとその根底にある気質は実際のところ非常に価値のあるものだったのです。

 

研究結果の見る視点をかえることで、見えてきた「非認知的スキル」その効果は、長期的な調査をしていなければ見えてこないものでした。しかし、ここから見えることはこれまでのIQばかりおっている教育や保育の世界において、大きな問題提起になっていることは疑いようもありません。そして、これからのAIがますます進化していく社会の中で、この非認知スキルというものはとても重要な能力になってくると言われています。

長期的な調査

ヘックマンはGEDテストの合格者と高校の卒業生が高等教育に行ったときに、成績において差は見られなかったにもかかわらず、その後の人生で大きく違うこと(年収や失業率、離婚、違法ドラッグの使用率)が分かってきました。ヘックマンはこの結果を受けて、ではこういったいわゆる「非認知的スキル」は伸ばすことができるのでしょうか。

 

それはGEDプログラムを研究するだけでは分かりませんでした。答えを求めて調査を進めていくうちに、ヘックマンはミシガン州イプシランティにたどり着きました。イプシランティはデトロイトの西にある古い工場町で、「貧困との戦い」(ジョンソン政権の貧困撲滅対策。さまざまな社会福祉制度がつくられた)の初期にあたる1960年代のなかばに児童心理学者と教育学者のグループがある実験を行った場所でした。

 

実験者たちは3歳~4歳の子どもを「ペリー・プレスクール」に入れても構わないという低所得者かつ比較的IQの低い親を街の黒人地区で募集しました。集められた子どもたちは無作為に実験グループと対照群に分けられます。実験グループの子どもたちはペリーに入学して質の高い2年間の就学前プログラムに参加し、対照群の子どもたちには自力で勉強してもらいました。その後、子どもたちは追跡調査を受けます。それは1年や2年のことではなく、何十年もの間である。一生にわたり追跡をつづける研究が今も進行しています。対象者は現在40代。ペリー・プレスクールの評価は対象者が成人になるまできちんと続いてきたことになる。かなり長い間の追跡調査ですね。

 

このペリー・プリスクール・プロジェクトは社会学者の間では有名です。しかし、これは子どもの教育に関する幼少期の支援策の実験としては失敗とみなされています。というのも、研究対象の子どもたちはプレスクールに通っていたあいだとその後1年か2年は目に見えてテストの結果が良かった。しかし、その効果はつづかず、3年生になったころには実験グループの子どもたちのIQテストのスコアは対照群のスコアとほとんど変わらなくなっていたのです。幼少期に学力を上げるための支援策を行ったとしても、結局は3年生の時点でほとんど変わらなくなってしまうのが見えるとその時点での支援策は意味がないということが見えてきます。

 

このようにペリー・プレスクール・プロジェクトはかなり長期的な子どもの追跡調査をおこなっているのですが、かなり根気のいる内容です。しかし、この長期的な調査によって、いくつかのことが見えてきました。一見、知能指数に及ぼす影響がないように見え失敗かとみられていたこのプロジェクトですが、ヘックマンら研究者はこの長期的な効果に注目し見ていくなかで、これらのデータが有望であるように見えたというのです。それはどういったところにあるのでしょうか。

GEDから見えてくるもの

経済学者のジェームス・ヘックマン氏は高校修了同等資格(GED)のデータベースを分析した結果、多くの重要な点でGEDテストの合格者は高校の卒業生とまったくおなじようにより高度な学問への準備ができているという考え方が妥当だということが分かりました。というのも、学力テストの得点(IQと密接な関係にあるスコア)を見ると、GEDテスト合格者はふつうに高校を卒業した者に全く劣らなかったのです。

 

しかし、その後の高等教育まで見てみると、二者は似ても似つかなかったのです。ヘックマンが気付いたところによれば、22歳の時点で四年制の大学に在学中か、すでに何らかの高等教育を終えている若者は、GED取得者では3%しかなかった。これに対し、高校の卒業生では46%に上りました。また、将来的に生じうるあらゆる重要な数字(年収・失業率・離婚率・違法ドラッグの使用率など)についてみると、GED取得者は価値があるはずの特別な証書を獲得したにも関わらず、中退者とそっくりな結果が出た。

 

この結果は望ましい結果ではないにしろ、政策を考える上では有益な発見だった。人生を改善する手段として長い目で見たときに、GEDは本質的に役に立っていなかった。どちらかといえば若者を安易な中退へと誘導するマイナスの効果があったのかもしれない。ヘックマンは多くの経済学者同様、ある人物の先ゆきがどうなるかを考えるときに信頼のおける決定要素は学力だけであると信じていました。しかし、実際これらの結果を受けると、たとえテストの得点がよくても人生になんらいい影響のない人々のグループ(GEDテストの合格者たち)があることを発見してしまったのである。

 

ヘックマンはこのような結果になったのは、高校の卒業生が最後まで学校に残るために必要だった心理上の特質にあるとヘックマンは結論づけた。では、そういった特質(報われることの少ない退屈な作業にあたるときの粘り強さだったり、喜びや楽しみを先送りにできる能力だったり、計画に沿ってやり遂げる傾向だったりするわけだが)は大学でも、職場でも、人生全般においても価値のあるものだった。ヘックマンはあるレポートにこう書いている。「GEDは意図せずして、頭はいいが粘り強さと規律に欠ける中退者と従来の中退者を区別するテストとなった」そして、GEDテストの合格者は「先のことを考える能力や作業にあたる際の粘り、環境への適応能力を欠いたただの物知りである」

 

高校をちゃんと卒業してから大学に行った生徒とGEDテストで高校修了資格を取得した生徒では、成績においては同じだったとしても、その後の人生においては大きな違いが見られたのですね。そして、その問題において、ヘックマンは学校に残るために必要だった心理上の特質に意味があるということを言っています。それが「非認知スキル」というものなのです。では、このスキルはどのようすれば伸ばすことができるのでしょうか。