7月2020

スポーツと実行機能

森口氏は単純な運動よりも、スポーツのほうが実行機能を向上させると言っています。その中でも有名なものがテニスとサッカーがあげられるそうです。テニスは個人競技ですが、相手との戦いの中で、自分の感情や行動を持続的にコントロールする必要があります。たとえば、思い通りにボールを打てなかった時や、サーブが入らない時にどうしてもイライラしてしまいます。これはテニスの試合を見ているとよくわかります。プロのトッププレーヤーでも自分の思い通りに試合が進まない時はラケットを地面にたたきつけたり、感情をむき出しにしている様子が見られます。こういった時に頭の切り替えが必須になると森口氏は言います。そして、森口氏はスイスのテニスプレーヤーのロジャー・フェデラー選手を紹介しています。

 

ロジャー・フェデラー選手はテニス界史上最強とも言われるスイスのテニスプレーヤーです。彼は今でこそ、スポーツマンシップにあふれ、試合中も紳士的な振る舞いで世界中にファンがいますが、若い頃はお世辞にも自制心がある選手とは言えなかったそうです。子どもの頃は、集中力がなく、感情的でいつもエネルギーを持て余し、相手にショットを決められると、怒りだし、相手に負け惜しみを言っていたというエピソードも残っているほどだったそうです。しかし彼は、心理学者の力を借りて、自分をコントロールする力を身につけるよう試みたそうです。その影響もあったのか、フェデラー選手の素行の悪さは鳴りを潜め、スーパースターの階段を駆け上がっていきました。

 

最近の研究では、テニスの経験によって、子どもの実行機能が身につくことを示すデータがあるそうです。玉川大学の石原博士らの研究は、6歳から12歳の児童を対象に、テニスの経験の長さと、思考の実行機能の関係を調べました。その結果、特に男子において、テニスの経験の長さと、思考の実行機能が関連していることが明らかになっています。運動とスポーツについてまとめてみると、スポーツが難しい幼児には単純な運動をすることが、小学生以上の子どもにはスポーツが有効な方法だといえそうです。しかし、みんな運動が好きというわけではありません。ほかのことでは実行機能を得ることはできないのでしょうか。幼稚園や保育園では運動だけではなく、楽器を奏でることや絵を描くこと、積み木で作品を作ることが遊びの環境に作られます。では、運動以外に音楽や絵をかいたりすることは実行機能に影響を与えることはあるのでしょうか。

運動と実行機能

「座れる子どもは実行機能があるのではないか」そう森口氏は言っています。では、「座れない子どもたち」はどういたらいいのでしょうか。森口氏は座っていることのできない子どもには、むしろそういう活発な性格を利用したらいいかもしれないと言っています。そこで小学生を対象にしたジョージア大学のベスト博士の研究を紹介しています。この研究では、4つの活動が思考の実行機能に与える影響を比較しています。

 

1つ目は座ってビデオを見るという活動です。2つ目は座ったままできるテレビゲームをします。3つ目は体を使うテレビゲームをして、実際に走っているかのような身体運動を伴うゲームをします。4つ目は少しだけ体を使うゲームで、ジョギングしたり動いたりするかのような身体運動を伴います。3つ目と4つ目のゲームは1つ目と2つ目に比べると運動負荷が高いということになります。子どもはそれぞれの活動に参加した後に、思考の実行機能のテストを受けました。その結果、身体的な活動量が多い3つ目と4つ目の活動に参加すると、実行機能の成績が良いことが明らかになりました。運動は実行機能を向上させる効果がありそうです。

 

また、日常的な運動習慣も長期的には実行機能の発達にとって重要です。たとえば、エアロビクスのように複雑な運動も実行機能を向上させることが示されています。エアロビクスの場合、ある運動と別の運動を切り替えたりするので、実行機能のよい訓練になります。子どもにダンスやエアロビクスなどを習わせるのも有効かもしれません。確かに運動をすることで、自分の気持ちを切り替えるいい機会になります。仮に嫌なことがあっても、スポーツやトレーニングを行うことでストレス解消につながるということは言われますし、自分自身の実体験においても、運動と切り替えという関係があるように思います。ましてや、感情のコントロールと言われる実行機能はこのことには無縁でもないように思います。

 

また、運動は、高齢者の研究などでは非常に有効な方法とされ、子供への応用が期待されています。ただ、現代の子どもは、単純な運動というよりは、サッカーなどのスポーツを習い事にすることが多いかもしれません。ただ単純な運動だけではなく、スポーツは実際にどのように実行機能に影響をあたえることになるのでしょう。

 

ここで、森口氏はあるテニスのトッププレーヤーを例に出して、実行機能とスポーツの関係を紹介しています。

実行機能を鍛える

自分をコントロールする実行機能は遺伝的な要因もあれば、親や家庭環境、地域や文化など、様々な環境要因においても影響をつけているということも同時に分かってきました。環境による要因においても影響があるということがわかるのであれば、鍛えたり、支援したりすることができるのではないだろうかと思います。そういった環境を作ればいいのですから。国外では実行機能の発見とともに、実行機能の低い子どもたちを支援する動きが広がっているそうです。では、それはどういったことが実行機能を育てることになるのでしょうか。

 

森口氏は子どもの実行機能を訓練する研究はまだ途上だと言っていますが、その中でもいくつかを紹介しています。まず、多くの研究者が採用しているのは「ひたすら練習する」という方法です。この方法では、コンピューターなどを用いて大量の練習を菓子、その前後で実行機能が改善するかを調べます。当然、子どもはこのテストで多くのミスをします。ルールを切り替えるときに正しくルールを切り替えることができないのです。その後、切り替えテストと同じようなゲームを用いてひたすら訓練します。一定の基準に達したら訓練が終り、その後に、もう一度切り替えテストを子どもに行います。訓練前後でテストの成績が変化するかどうかを調べるのです。その結果、思考の実行機能の成績が、訓練後に向上することが示されました。

 

このようにひたすら練習を繰り返すことによって実行機能を向上させるのですが、練習を単に繰り返すだけでは、あまり効果はないと森口氏は言います。それは「振り返り」を行うことによって、知識の定着が促されることです。ミネソタ大学のゼラゾ博士らの研究では、訓練の前後に切り替えテストを与えて、訓練によってテストの成績が向上するかどうかを調べました。訓練では、テストと同様に、切り替えのゲームが子どもに与えられます。そして、子どもがゲームで失敗したときに、ゲームのミスを振り返らせます。形ルールで分ける必要があるのに色ルールで分けた場合、今どのルールで分ける必要があったのかを子どもに考えさせるのです。そのうえで実験者がお手本を見せます。その後、実際に子どもにわけさせます。このように子どもに自分のミスについて振り返ってもらい、どういうミスをしたのかを考えさせるのです。そうすると、子どものミスは大きく減少しました。このように振り返りを入れると効果があることが見えてきました。

 

しかし、森口氏は訓練のために、子どもがおとなしく座っていることができるだけで、ある程度実行機能があるのではないかと思っているそうです。確かに、席を立たない、座っている必要があるというように考えることができるというのは、それだけ自分をコントロールしているということでもあるのだろうということは想像に難くないです。つまり、よく保育していく中で「小学校のために座れるように」というのは座らせるのが目的ではなく、実行機能が育つような環境を作ることこそ、考えていかなければいけないのだろうということが分かります。

文化と実行機能

これまで、親の影響、家庭の影響、地域の影響を挙げてきました。では、文化はどれだけ影響をあたえるのでしょうか。森口氏は世界から見て日本は自分をコントロールできる人々というイメージがあると紹介しています。森口氏はアメリカ、ヨーロッパ、南米、東南アジアの知人に、日本人は勤勉で感情を表に出さず、自分を律するイメージがあると言われたことがあるそうです。確かに他の国に比べて、そういった紹介をされることもありますし、そういったことを聞いたこともあります。しかし、果たしてそうなのでしょうか。日本人の中でも、実行機能が高い人もいれば、低い人もいます。逆に世界においても、日本人より実行機能が高い人もいれば、低い人もいます。

 

実際のところ、実行機能の文化さについては、主に西洋諸国と東アジア諸国の比較がなされ、西洋諸国の子どもよりも、東アジアの子どもの方が実行機能が高いことが示されているそうです。中国とアメリカの幼児の思考の実行機能を比較した研究では、中国の子どもはアメリカの子どもよりも思考の実行機能が高いことが示されています。また、韓国の幼児と、イギリスの幼児を比較した研究でも、韓国の子どもの成績が良いという結果が報告されています。

 

森口氏は日本の幼児とカナダの子どもの思考の実行機能を調べてみたそうです。しかし、その結果、思考の実行機能において日本とカナダの違いは見られませんでした。この結果は森口氏以外の研究者らにおいても、日本の子どもと欧米の子どもの間には大きな違いが見られないことを示していました。このことから読み取れるのは自分を律するというイメージのある日本人ですが、だからといってほかの国と比べて日本人が特段優れているという証拠はほとんどないということが分かります。

 

また、バイリンガルの子どもは思考の実行機能が高いということが示されています。ヨーク大学のビャリストク博士は、ルールの切り換えテストで英語と中国語のバイリンガル時と英語のモノリンガル時に与え、その結果を比較しました。その結果、子どもの言語年齢はモノリンガル時のほうが高いにも関わらず、ルールを切り替える能力はバイリンガル自のほうが高いことが示されました。森口氏は日本とフランス語のバイリンガル児と、日本のモノリンガル児を比較したところ、やはりバイリンガル児のほうがルール切り替えテストの成績が良いという結果が得られました。なぜ、バイリンガル児のほうがルールを切り替えることができるのでしょうか。

 

それは2つの言語のうち1つの言語に焦点を当て、もう一つの言語を無視するという経験と、言語を柔軟に切り替えるという経験によって、頭の切り替えが得意になるようです。そして、切り替える経験が思考の実行機能が育まれるのだと考えられるのです。ただし、最近の大規模実験で、バイリンガルの効果は非常に小さい可能性も報告されています。バイリンガルの家庭(たとえば、母親が日本語で父親が英語のような言葉を使う家庭)は、そうではない家庭よりも裕福であることが多く、裕福な家庭の子どもは実行機能の成績が良いことから、家庭の社会経済的地位を統計的に考慮すると、バイリンガルの効果が小さくなってしまうのです。つまり、バイリンガルかどうかよりも、家庭が裕福であるかどうかのほうが実行機能に与える影響が高いのではないかということが言えてしまうのです。

子どもと環境

最近、子どもを殺してしまう悲しいニュースがテレビや新聞で紹介され、報道されることがあります。そして、多くは生活のためではなく、行き過ぎた躾のために子どもが亡くなってしまうことが後を絶ちません。現在、日本においても育児の孤立は一つの問題にもなっています。未だに、子育ては母親が行わなければいけないものという風潮は強く、男性の育児休暇の取得率は一向に上がっていきません。地域も昔ほど、関係性があるわけでもなく、人家庭ごとが孤立していることも多くなっていたり、親戚や知人がいなかったりすることも珍しいことではなくなっています。こういった環境の中での育児で、精神的にも肉体的にも子育ての時期に健康を崩すということをよく聞きます。産後に抑うつ状態になる母親の割合は、厚生労働省の統計でも約10%いるそうです。病的な状態になるのが子の割合なので、抑うつ傾向や不安傾向の親の割合はもっと高いといえるでしょう。

 

こうした親の精神状態の不調は、子どもの実行機能を含めた発達に負の影響をおよぼします。抑うつ状態の場合、精神的な健康にも波があるので、その状態によって子どもへの関わり方が一貫しないこともあり、子どもは困惑すると森口氏は言います。最近では、こういった子どもの一貫しない関わりが愛着関係への影響があるということも言われています。そのため、母親への精神的な健康をサポートすることは大切なことになります。母親はストレスやホルモンの影響などにより精神的な健康を崩すことも多いのです。特に産前や産後数年にわたっては精神的なバランスを崩しやすいと森口氏は言っています。

 

また、子育てにおいて、親の影響だけでなく、居住地域の問題もあると森口氏は言っています。近年の分析によると、居住地域は居住する同じ年代の子どもの行動や、大人の質、および、地域の結びつきの強さなどによって、子どもに影響すると言われています。子どもの年齢が低い間は、居住する地域が近い子どもと仲良くする傾向が強いため、周りの子どもに実行機能が備わっていなかったら、その影響を受けると言います。また、地域に住んでいる大人が子どもの悪い振る舞いを助長するのか、それとも、監督して正すのかという点は、子どもの実行機能にとって影響があると言います。その結果、近隣住民との結びつきが強いところに住んでいたり、安全で地域の問題が少ないところに住んでいたりすると、子どもの自分をコントロールする力が育まれやすいことが示されています。

 

このように親の影響、居住地域における影響は子どもにとっては大きいようです。当然、これらのことは子どもに直接関わるものであり、無縁ではないことが理解できますが、では、もう少し大きく「文化」というものは子どもたちにとって、どのような影響をあたえるのでしょうか。国によって、その国民性が違うということは世の中でもよく言われていることです。こういった文化性というものは子どもにとってはどのような影響があるのでしょうか。