ルール

これまでの森口氏の話を見ていると、管理的な保育や子育てはいけないことのように見えてきます。では、放っておくと、子どもたちは自分をコントロールできるようになるのでしょうか。自由にしておくことで、待てるようになるのでしょうか。決してそういうわけではないと、森口氏は言っています。森口氏は「子どもは最初から自分をコントロールすることができるわけではありません。親に自分の行動を統制されながら、成長とともに自分でできるようになるのです。」と言っています。脳科学的には決して管理されることが悪いということではないのですね。つまり、極端な管理は慎まなければいけないのですが、ある程度の親の統制は実行機能を育むと考えられます。これが、2つ目の管理的な子育ての側面です。

 

森口氏らの研究では、体罰などを除いた管理的な子育てが子どもの思考の実行機能に影響を与えるかどうかを検討しました。それはどういったものかというと、たとえば、親が子供を自分の言いつけ通りに従わせているかや、歯磨きなどを子どもがやるまで何度でも言い聞かせるか、などを尋ねるというものでした。その結果、親が管理的であると、子どもの思考の実行機能が育まれることが示されました。つまり、親の統制は重要なのです。

 

では、具体的にどのような管理的な子育てが子どもの実行機能に影響を与えるのでしょうか。その一つに「ルール」作りを森口氏は挙げています。どの家庭にも、その家庭ならではのルールがあると言います。たとえば、家に帰ってきたら手を洗うことや晩御飯のときはテレビをつけないなどです。しかし、この場合、どのようなルールであれ、家族全員が、そのルールをしっかりと守るということが肝心です。たとえば、母親は家に帰ってきたら自分も手を洗うし、子どもにも手を洗うように言うけれど、父親は手を洗わないし、子どもにも手を洗うように言わないなどのケースは好ましくはありません。ほかにも、子どもと大人で違うルールがあるということも望ましくありません。子どもには9時以降おやつを食べてはいけないというのに、親は9時以降に晩酌をする状況は子どもにとって不可解というのです。つまり、家族がみんなでルールをしっかり守る様子を見ることで、子供にもルールを守る意識が形成されるのです。そして、それによって、ルールに応じた行動を選択し、不適切な行動をとらなくなるのです。まさに人のふり見て我がふり直せ、ですね。子どもは見ているのです。

 

それと同時に、ルールがしっかりとあることで、子どもにとって次に何が起きるかという見通しを立てることができるようになると森口氏は言っています。そして、家庭における安心感にもつながっていきます。一方で、ルールがない家庭では、子どもはつぎに何が起こるか分からず、不安なまま生活することになります。こうした不安がストレスになるのです。

 

確かに、ルールや規律というのはそれ自体が集団をまとめる一つのツールでもあるという

側面があるように思います。それは一つの事柄を一緒になって「共有」するからなのでしょうね。しかし、そのルールがあいまいであり、人によって違うとなると、確かにストレスです。子どもにとって集団の中における不安定な位置に自分がいるかどうかというのはストレスになるのです。保育機関においてはどうでしょうか。しばしば、大人と子どもとのルールが違っていることはよくあることです。大人は食事を残してもいいけれど、子どもは許されないなんか典型的によくあります。こういったやり取りの中で起きる関係性はそのまま信頼関係にも影響していくのだろうと思いますが、思考の実行機能においても、管理的な実行機能においても、信頼関係というものは大きく影響しているようにも思います。