学びのユニバーサルデザイン

2020年7月20日の日本経済新聞に「学習方法 自ら選ぶ」という記事が書いてありました。これは早稲田大学 学校臨床専門の高橋あつ子教授の「学びのユニバーサルデザイン」の考え方を授業に入れるといったことを記事にしたものです。この「ユニバーサルデザイン」ですが、最近教育の研修などでもよく聞く用語になっています。

 

そもそもこの「ユニバーサルデザイン」とは「特別な製品や調整なしで、最大限可能な限り、すべての人々に利用しやすい製品、サービス、環境のデザイン」のことを言います。「デザイン」というと商品やファッションの「デザイン」を一番に思いつきますが、ここで言われる「デザイン」はもっと広い意味合いがあり、見た目だけのデザインではなく、構造なども含むトータルコーディネートのことを指します。

 

高橋あつ子教授はこのユニバーサルデザインを「学び」にあてて考えます。つまり「すべての人々に利用しやすい学びとは」ということですね。高橋氏は「小中高校の新学習指導要領では『主体的・対話的で深い学び』や『学びに向かう力、人間性の涵養(かんよう)』がうたわれているが、成績や受験のためでもなく、親や教師に求められるからでもなく、自分の成長のために学ぶ子どもはどれくらいいるだろうか」と言っています。最近では、アクティブラーニングなど対話的な授業が増えてきましたが、そのためには講義型の授業からの脱却が多くの場合望まれます。しかし、実際のところは教員が仕組んだ対話が主であることが多いそうです。それは果たして「主体的」というのだろうかと高橋氏は言っています。確かにこのことは保育においても当てはまる内容です。大人が「導入」として活動を進めていきます。しかし、そこに子どもたちの意見が入る余地が少なく、結局のところ「誘導的」に活動が進められることはすくなくありません。高橋氏はこういった授業の進め方は不登校経験や関わりが苦手な子にとっては学びやすいのだろうかと言っています。このように多様化した子どもの問いに向き合うために、「ユニバーサルデザイン」の考え方が重要だと言っています。

 

では、それはどういったことをいうのかというと「言語、人種、宗教などの多様化を前提に学びたいという気持ちを持ち、学ぶ方法が分かり、自分に合った柔軟なやり方で障害にわたる学習をかじ取りするもの」の育成を最終目的とすると言っています。つまり、教師主導のティーチングから、学習者中心のラーニングへの移行が進むといっており、この考えは世界的に広がりを持っているのだそうです。

 

そして、その進め方は「何のために学ぶのか」(WHY)「どのように学ぶのか」(How)を中心にしており、教員は子どもが学ぶための方法を多数用意し、こどもが自分に合った方法を選ぶようにして進めていきます。また、授業のまとめを書く際も、絵で表すのか、文章なのか、一人で考えるのか、ペアなのか、グループで進めるのかすべてが学習者が決めるようになるのです。このように多様な場面で選択が求められると子どもの自己調整力が育ち、総合的な学習で必要な問いを立てて解決し、表現する方法を選ぶ力にもつながる。そして、方法を選べる心地よさと責任を体験することで主体性が生まれると高橋氏は言っています。

 

高橋氏は小中高校において、こういった教育方法が求められるように言っているが、こういった体験を基にした教育形態は乳幼児にこそ、もっと求められるべきではないだろうかと思います。「主体的に」というのは乳幼児教育からでも求められるものであり、「学習」のプロセスにおいてはどの年代においても同じ環境が求められるように思います。

 

そして、一番考えなければならないのか、それは「何のために学ぶのか」であり、このことが今の時代、どこかで置き去りにされている現状を疑問に思います