2月2020

やり抜く

自制心が大切だと言っているアンジェラ・ダックワースでさえ、自制心だけでは限界があることを認めています。誰が高校を卒業するか予測する際には役に立つかもしれないが、誰が新しいテクノロジーを発明するか、あるいは誰がアカデミー賞をとるような映画監督になるかを見分けることはできないといっています。そこで改めて「成功の原動力とは何か?」を考えます。そして、その答えは正確には自制心ではないと思うようになったのです。

 

そこでダックワースは自分自身を振り返ってみたとき、ディビット・レヴィンのような人物と比べると、様々な場所を渡り歩いてきた自分の初期のキャリアはあまりにもねらいが定まっていないような気がしてきたのです。ダックワース自身は自制心も強ければ、知性も高く、成功もしています。しかし、レヴィンはというと、22歳で天職を見つけ、以来ずっと同じゴールを目指し、多くの障害を乗り越えてマイケル・ファインバーグとともに大勢の生徒をかかえるチャータースクールを築いていきます。年齢が同じでもあるダックワースとレヴィンでしたが、なにか自分にない資質を持っているのではないかとダックワースは思ったのです。ひとつの仕事に情熱を持ってかかわり、揺らぐことなく専念できる資質。ダックワースはその資質に「やり抜く力(グリット)」という名前を付けることにしました。

 

ダックワースはクリストファー・ピーターソンとともにやり抜く力を測定するテストを考案し、グリット・スケールと名付けました。それは12の短い文章が並んでおり、回答者がそれぞれについて自己評価をするというものです。たとえば「新しいアイディアやきかくによって気が散ることがある」「失敗でくじけることはない」「仕事は一所懸命にする」「一度始めたことは最後までやり通す」などです。それぞれの文章について自分にどの程度当てはまるか、回答者は五段階で評価をする。テストは3分もあれば終わる。しかも完全に自己申告です。それでもやってみると大いに成功を予測する指標になることがわかりました。ダックワースの発見によれば、やり抜く力は知能指数とはほとんど関係がない。IQが高くてやり抜く力のある人もいれば、IQが低くてもやり抜く力のある人もいたのです。

 

ペンシルベニア大学では、入学時の成績が比較的低くても、やり抜く力のスコアが高い生徒はその後のGPA(評定平均)が高かったそうです。英単語の全国スペリングコンテストでは、やり抜く力の高い子どもが最終ラウンドまで残る確率が高かった。そして、陸軍士官学校でも新入士官候補生を対象として、過酷な夏期訓練のまえにテストを実施しました。陸軍には独自に開発した複雑な評価システムがあり、どの候補生が厳しい要求にこたえて生き残れるかを予測していました。しかし、どの候補生が過酷な訓練を乗り切り、脱落するかを正確に予測したのは、ダックワースのシンプルな12の設問によるグリッド・スケールのほうだったのです。

 

やり抜く力というのは、粘り強さということにもつながります。確かにこのことは知能指数とは違った力です。最終的な目的に向かってやり抜くということは成功の条件としてはかなり重要なものということは否定できないことです。そして、それは「自制心」とはまた違った別のものとしての力であるのですね。

勤勉性と自制心

パーソナリティ心理学の領域で、勤勉性における第一人者のブレント・ロバーツによると、勤勉性の数値が高い人々の性格にはいくつかの共通点があると言っています。それは几帳面である、よく働く、人望がある、社会通念を尊重するといった傾向があるというのです。しかし、もっとも大切な共通要素は自制心が強いことだろうというのです。

自制心といえば、その価値において疑いをもっているのは、前回紹介した、マルクス派の経済学者たちだけではないそうです。しかし、『性格の強みと美徳』のなかで、ピーターソンとセリグマンは「自制心が強すぎたとしても、ほんとうのところ不都合なことなど何一つない」と論じています。自制心は強さや美しさや知性のように才能の一種であり、マイナス面などない。つまり、自制心はあるほど良いものであるということなのです。

しかし、カリフォルニア大学の心理学者 故ジャック・ブロックを中心とする反対派は過剰な自制心は過小な場合と同じように問題になりうると主張しました。自己抑制の強すぎる人々は「過度に圧迫されている」のではないかというのです。そういう人々は「決断に困難を覚え、必要もないのに満足を後まで我慢したり、喜ぶことを自らに禁じたりする」というのです。つまり、おとなしい人は自分から動くことをあまりしたがらない人もいますし、引っ込み思案な人は自制心がありすぎるのではないかというのです。こういった研究者たちによると、勤勉性の高い人々は古臭く堅苦しい、神経症的で心配症で抑圧されているというのです。以前の「学校は労働者階級の人を作る」というのと同じですね。

確かにブロックの発見にも一理あるとタフ氏は言います。勤勉性が強迫神経症につながる可能性があることは確かにあります。しかし、そうは言っても、ものごとの良好な結果と自制心との相関を示すデータを無視することができないのです。その後、ニュージーランドで2011年に1000人を超える若者を30年にわたって追跡した研究の結果が発表されるとさらにその根拠は強化されていきます。この研究結果は、子ども時代の自制心と成人してからの成果の明確なつながりを改めて詳細に示すものでした。

心理学者アヴシャロム・カスピ、テリー・モフィット、ブレント・ロバーツをリーダーとする研究者のチームは、対象が3才から11歳の間にあらゆる種類のテストやアンケートを実施して子どもたちの自制心を測定し、その結果をまとめてそれぞれの子どもの評価を割り出しました。そして、対象が32歳になったときの調査で、子どもの頃の自制心のスコアがさまざまな面で成人後の成果の予測になっていたことが分かったのです。子どものころの自制心のスコアが弱いほど、32歳の時点で喫煙率が高く、健康に問題を抱えている割合が高く、信用度が低く、法律上の問題を抱えている確率が高かった。影響が甚大なケースもいくつかあったのです。

子どもの頃の自制心のスコアが最も低かった人々は、もっとも高かった人々に比べて3倍の確率で犯罪に関わっていました。アルコールやドラッグの依存症である確率も3倍。一人で子どもを育てている確率は2倍だったのです。

確かにいくら強迫神経症につながる可能性があるとはいえ、それにあまりある影響が自制心がないことで起きてしまうのであれば考えものです。どのように自制心を考えていくことが大切なのでしょうか。

視点の違い

ロバーツによると勤勉性は職場といった枠だけではないところが最も興味を惹いたと言います。勤勉性の高い人々は高校や大学での成績もよく、犯罪に関わる率も低い。結婚生活も長く続き、長生きだというのです。そして、喫煙率や飲酒率だけではなく、血圧が低めで脳卒中にならず、アルツハイマー病を発症する確率も低かったのです。ロバーツは「現時点では生涯にわたって望ましい成果を上げる一番の要素だと思われる」と勤勉性のことをあげています。

 

そんな中、学校や職場での成功と勤勉性のつながりに関する実証的な証拠があがってきました。1976年に出版された『アメリカ資本主義と学校教育』という著書の中で、マルクス派の経済学者のサミュエル・ボウルズとハーバード・ギンタスは、アメリカの公立学校は社会階級の区別を永続させるために作られていると主張したのです。つまり、「資本家が労働者をそのままの階級にとどめるために、「教育システムは人々に適度に従順であることを教え込もうとする」と考えたのです。そして、同時期に研究をしていたジーン・スミスの研究を引き合いに出します。スミスによると高校生の将来を判断する材料として最も信頼がおけるのは知能指数検査ではなく、周りの級友たちから「性格の強み」をどう評価されるかであったというのです。ここでいう「性格の強み」は「誠実であること、責任感があること、どんな時でも規律を守ること、夢見がちではないこと、意志が固いこと、粘り強いこと」などが含まれています。この評価は該当者の大学での成績を予測するのに、学力テストの点数、クラス内の順位といった認知スキル評価の3倍も正確な指標となったのです。この調査結果に興味を持ったボウルズとギンタスは、大規模高校の3年生全員に知能指数検査とパーソナリティ・テストを一通り受けてもらいました。すると、認知能力テストのスコアがGPA(評定平均)を正確に予測する材料となったのは予想通りでしたが、勤勉性を含む16のパーソナリティの尺度から引き出された指標もまた同じように正確な予測材料となったのです。

 

このことはセリグマンやピーターソン、ダックワース、それにロバーツなどの心理学者にとっては学校教育の成功と性格の問題には関係があり、その重要性を示す根拠となったのです。しかし、ボウルズとギンタスにとっては、学校のシステムが従順なプロレタリアート(生活のために自分の労働力を売って賃金を得る階級、つまり労働階級)を作り出すお仕着せであることの証明だとしたのです。

 

彼らの見方ではGPAの高い生徒は創造性や独立心のスコアが低く、時間厳守、満足を先延ばしにすること、行動の予測が可能であること、人望などのスコアが高いと言います。このことを会社員にあてはめると、上司が部下を評価する方法は教師が生徒を評価する方法と同じであったというのです。つまり、創造性や独立心の高い社員には低い評価がくだされ、如才なさや時間厳守、人望、満足の先延ばしなどの項目に高得点のつく社員が高く評価された。それは、アメリカ実業界の支配者たちはオフィスに安心して配置できるおとなしい羊を必要としており、そのため、そうした気質のものを選び出せるような学校システムをつくったという証明だとしたのです。

 

研究結果の視点を変えるだけでこれだけの違いが見られるのですね。

勤勉性

前回のシーガルの読替えスピードのデータの発見によって、南フロリダでのM&Msの実験に参加した低IQの子どもについても、新しい考え方ができるようになりました。つまり、低IQの子どもたちが行った2回目の知能指数でチョコレートという見返りがあると数値が上がったことを受けて、数値が79なのか。それとも97なのかということでしたが、97の知能検査の結果のほうが本物に違いないということが言えるのです。

 

普通は真剣に受ける知能検査において、IQの低かった子どもたちはチョコレートが貰えるといった動機付けがあって初めて真剣に取り組んだというのです。そのため、M&Msが魔法のように知能を授けたわけではなかったのです。彼らはもともと答えを出すための知能を持っていたのです。そのため、本来彼らのIQが低いということではなかったのです。むしろ彼らの知能指数は平均値に近かったのです。

 

しかし、シーガルにとっては、79という最初に出たスコアのほうが将来と関係があったと言います。それはかかっているものや見返りの少ない読替えスピード・テストが受験生の将来を見通す材料になったのと同じことである。IQは低くなかったかもしれないが、目に見えるインセンティブがなくとも知能検査に真剣に取り組めるという資質に欠けていた。シーガルの調査によれば、それこそが極めて価値のある持つべき資質なのであるということが見えてきたのです。

 

シーガルの研究に見られた見返りの有無にかかわらず努力できる資質をパーソナリティ心理学で使われる専門用語では「勤勉性」と言います。ここ数十年の間にパーソナリティ心理学の研究者の間に出来上がった共通認識では、気質の分析に最も有効な方法は、気質を5つの要素(ビックファイブ)に沿って考えることであると言っています。それは協調性、外向性、情緒不安定性、未知のものごとに対する開放性、勤勉性の5つです。シーガルが調査の一環として男子生徒を対象に標準的なパーソナリティ・テストを行うと、物質的なインセンティブに反応しなかった生徒たち(M&Msが絡もうが絡むまいが良い結果を出した生徒たち)については勤勉性の数値が特に高かったことが分かりました。

 

しかし、勤勉性とはパーソナリティ心理学の分野からすると研究したがる者が一人もいないような分野でした。そんな中、勤勉性を研究したのが、第一人者でもあるブレント・ロバーツです。彼は「勤勉性を高く評価するのは知識人でもなければ、学者でもない。リベラルでもない。宗教色の濃い保守派で、社会はもっと管理されるべきと思っている人が多い」中で、研究していきます。そして、ロバーツだけを例外として、パーソナリティ心理学の教育者には最近になるまで避けられていたが、産業・組織(I/O)心理学においては研究されてきたようです。しかし、多くは大学での研究ではなく、大企業の人事コンサルタントとして働いています。企業においては学究的で難解な議論ではなく、生産力が高く、信頼のおける、仕事熱心な働き手を雇いたいわけです。そのためI/O心理学においてパーソナリティ評価が使い始められたのです。結果、職場での成功の一番の指標となるのはビックファイブの中のうち勤勉性であると分かったのです。

内なるモチベーション

主体性という言葉は保育においては非常に重要なキーワードになっています。そのため、保育者はいつもどういった保育を進めることができるのかを子どもたちの様子を見ながら保育を進めていきます。そして、子どもたちが主体的に物事を進めていくためには「活動がしたい」という動機がなければ物事にとりくむことにはつながりません。そのため、保育でも「動議付け」というのは非常に大切な意味を持ちます。しかし、これまでの話で褒美や報酬による動機によって起きるプログラムは大きな成果を得ることができなかったということが紹介されていました。では、本人がやる気になる動機づけをするときにはどういったことをすればうまくいくのでしょうか。

 

一つは気質によって動機となるかが異なるということが言えるというのを2006年カーミット・シーガルがいくつかの実験によってわかってきました。気質によって動機が異なるとはどういったことなのかというと、シーガルは気質とインセンティブ(意欲向上や目標達成のための刺激策)の関係を調べようとして、思いつく限り最も簡単なテストをしました。それは基本的な事務処理能力を評価する、読替スピード・テストです。まず、受験者は回答の鍵となる表を与えられます。それは様々な単語と四桁の識別番号の並んだリストです。次に、選択式の問題があり、それぞれの単語に対し、正解を含む5つの数字が並んでいます。受験生は鍵となるうえの表をみながら同じ数字となる正解を見つけて印をつければいいといった問題です。

 

シーガルは大勢の若者の読替えスピード・テストのスコアと標準的な認知能力テストのスコアを含む二つの大きなデータ群を見つけました。一つは、1979年から1万2千人を超える若者を追跡し始めた青年全国縦断調査(NLSY)と呼ばれる大規模調査。もう一つはアメリカ軍の新人のもの。彼らは軍に入るための試験の一環として読替えスピード・テストを受けていました。NLSYの高校生や大学生にはこのテストで全力を尽くすインセンティブはありませんでした。あくまで調査目的のためのスコアであり、成績には関係がなかったからです。しかし、軍の新人にとってはこのテストは大きな意味を持っていました。スコアが悪ければ入隊できなかったのです。

 

それぞれのテストを比較していくと、認知能力テストの平均は高校生・大学生のほうが軍の新人を上回りました。しかし、読替えスピード・テストでは軍の新人の方が上回りました。この結果を見て、シーガルはこの読替えスピード・テストによって本当に測定されたのは軍の新人が生まれつき数字と言葉を結びつける才能や事務処理能力があるかないかではなく、もっと根本的な何かではないかと気づいたのです。その何かとは、世界中で一番退屈なテストに気持ちを集中するための気質と能力であるということです。このテストで進退のかかっている軍の新人はNLSYの若者よりも熱意を持って取り組んだのです。このようなシンプルなテストの場合、少し余分に熱意があるだけで学歴の高い同年代の若者を超えるのには十分だったとシーガルは言っています。

 

ちなみにNLSYはその後も何年もあとまで若者たちを追っています。そのため、シーガルは1979年における認知能力テストと読替えスピード・テストの結果を20年後、受験者が40歳前後になったときの収入と比較します。すると予想通り、認知能力テストのよかったものはより多くの収入を得ていました。しかし、読替えスピード・テストの得点の高かった受験生も同様だったのです。実際、NLSYの参加者のうち大学を卒業しなかったものだけを見ると、読替えスピード・テストのスコアはあらゆる点で認知能力テストと同じくらい正確な予測指標になっていたのです。そして、スコアの高かったものの収入は低かったものよりも何千ドルも多かったのです。

 

それはなぜなのでしょうか。アメリカでは単語と数字のリストを単純比較する能力に重きが置かれているからでしょうか。そうではなく、彼らの得点が高かった理由は他の生徒よりも懸命に取り組んだからです。そして、実際労働市場で重きを置いているのは、見返りがなくてもテストに真剣に取り組むことができるような内なるモチベーションを持っていることです。だれも気付かないうちに、読替えスピード・テストは成人後の世界で重要な意味をもつ、認知能力とは関係ない技能を測定していたのです。