12月2019

雰囲気を作る

自分が一つの組織の中に入っているときに、その集団の雰囲気ということが非常に多くの影響を自分に与えていたのだということを感じます。実際、以前勤めていた職場であったことですが、その職場では様々なことを提案し、発信していた人がいました。その人が他の同業の職場に転職したときに以前の職場では様々なことを提案していたのにも関わらず、「思いつかなくなったんだよね」ということを言っていました。集団において、こういった提案が発しやすい職場とそうではない職場とでは大きくその雰囲気は違っているように思います。発信しやすい職場はやはりそれを受け入れるだけの余裕や楽しむ楽観性やポジティブさがあると思います。その反面、発信しにくい職場はその反対で、リスクヘッジばかりを考えることばかりで、進め方はネガティブな部分を無くしていくという進め方になりがちです。これは先日書いた「ハラスメント研修」においても同様のことが言われていましたね。「ハラスメントをしないようにするには」というように「やってはいけないこと」を学ぶよりも、「うまくやっている人たちが何をしているか」といった「やってほしいこと」といったポジティブな方向にベクトルを向けるということが重要になってくるのだと思います。

 

武神氏はそもそも「人は言っても変わらないという事実」を知ることが必要であると言っています。それは結局のところ人は他人から注意やアドバイスをされただけでは変わらない、本人が変わる必要性を自覚しない限り変わらない、という意味です。何か相談されてアドバイスをして、相手がその通りにやってくれてうまくいけば何も苦労はないのです。なぜそうなるのでしょうか。それは人はそれぞれが自分の正義(価値観)を持っていて、聞きたいことしか聞かない、見たいものしか見ない、話したいことしか話さないからだと武神氏は言います。では、どうしたらいいのでしょうか。

 

メンタルヘルス不調者を出さない部署の上司に共通しているのは「雰囲気を作ること」だと言います。つまり部下に「自分からやろう」「自分から変わろう」という気を起こさせるのが上手だというのです。上から言って強制的にやらせるのではなく、部下が自発的に主体性を持ってやろうと思うようになる場、雰囲気を作っているというのです。武神氏は再三、リーダーシップには「みる・きく・はなす」のうちどれか一つの能力は必要であると言っています。そして、この雰囲気づくりにおいても、「みる」というアプローチから入る人もいれば、「きく」というアプローチから入る人もいると言っています。つまり、この「みる・きく・はなす」という技術は相手に主体性を持ってもらうためのコミュニケーションのコツとも言い換えられると言っています。

 

私は人との関わりにおいて「傾聴」「共感」「誠実」「真摯」ということが大切であると考えています。要は相手にどのように向き合い、アプローチするのか、その熱意は持っていなければいけないと思います。しかし、「みる・きく・はなす」というのも。ドラッカーが言っていたように相手に期待がなければ聞いてくれませんし、「話したいこと」だけを考えるのではなく、相手が「聞きたいこと」を話さなければいけないのだろうと思います。結局のところは相手を見通したり、共感するといった思いやることが重要になってくるのだと思います。そして、それは大人だけではなく、子どもに対しても同じことが言えることだと思います。

ハラスメントはなぜへらない?

前回は、ハラスメント加害者側の無知、無自覚、想像力の欠如ということが出ていました。ほかにも、その理由はあり、その一つが「ハラスメントを組織が生み出している」ということです。それはつまり「組織におけるストレスが、被害者を助けることができる可能性のある人たちを遠ざけてしまっている」ということだと武神氏は指摘しています。

 

職場の中には自分自身のストレスや、やらなければならない仕事で余裕がなくなり、自分のしていることが見えていなかったり、自分の中の思いやりの心に気づく余裕が無かくなってしまったりするのです。その結果、無意識・無自覚のうちにハラスメントを行っている人たちもいますし、同僚がハラスメント被害を受けていることを見て見ぬふりして、あとになって後悔している人たちも多くいるのです。

 

武神氏は「ハラスメントは受ける側にも問題がある」のは間違いであり、原因があるからハラスメントをするのではなく「ハラスメントをするために原因を探している」ということが多くの場合当てはまるのではないかと考えています。つまり、余裕がないからハラスメントを起こし、そのために原因を探すのではないかというのです。確かに、自分が余裕がなくイライラしているとつい言いすぎてしまったり、相手に求めすぎてしまうことはよくあることだと思います。武神氏はメンタルヘルスにおいて産業医として面接していくなかで、見えてくる「上司のパワハラ」、そして、その傾向などが見つかることはあるのですが、それを人事担当者に「パワハラ部長の上司にそのことを伝えないと」と提案しても、なにも変わらない会社もあるそうです。パワハラを認知していても、対象しない・できないことは会社の責任ではないかと言っています。そのため、こういった問題は組織運営や企業文化の課題として扱われるべきだと指摘しています。

 

パワーハラスメントがなくならない最後の理由は「パワーハラスメント」という言葉の普及であると言っています。この内容は「ハラスメント」というものの定義があいまいで、相手が嫌だと思わなければハラスメントには当たらず、嫌だと思われればハラスメントになるという定義や認定がないといったあいまいなものということです。そのため、なにかあったときに「ハラスメント」だと感じる人が増えてきたということも言葉の定着によって起きることではないかというのです。

 

こういったハラスメントがおきる理由、無くならない理由において、どう対応していくことが必要なのでしょうか。武神氏は一つは「声をあげられる仕組み」をつくることが大切と言っています。そうすることで、メンタルヘルス不調になる前に食い止めることができる対処ができるというのです。そして、もう一つ、様々なハラスメント研修が行われている中で、“やってはいけないことを学ぶ研修”はそれほど効果がでないのではないだろうかというのです。こういった研修をしたからといって、それが「ハラスメント対策をした」といっている企業が多いのではないだろうかというのです。大切なのは「やってはいけないこと」に注目するのではなく、うまくやっている人たちが何をやっているかなど、やってほしいことに注目することが大切になってきます。

 

このことは様々な研修においても言えることだと思います。「やってはいけない」ことばかりが増えていくと、「これもダメなのか?」と意識してしまうあまり、行動に起こすこと自体が難しくなってきます。そうかんがえるのではなく、「こう動くといいのか」といったいいモデルを見ることのほうが「では、こういうのはどうか?」と少なくとも行動をポジティブに考えることができるようになるのではないかと思います。そして、そういった思考は自分の自己肯定感すらも刺激することにつながるのではないかと感じます。ハラスメントというのは非常にあいまいな定義のもとにあるというのは言うまでもありません。そして、その土台には働いている人それぞれの風通しのよさやコミュニケーションの質や職場風土、文化といったものが大きく影響するのだと思います。そして、それにマネジメントする側は非常に大きな影響をもっているということをよく考えなければいけませんね。

ハラスメントとは

昨今、「○○ハラスメント」ということがよくニュースに出てきます。しかも、その種類は年々増えてきてもいます。また、その「ハラスメント」によって、命を絶つことにもつながることにもなり、非常に問題視されていることとしても注目されます。武神氏はこのハラスメントが上司と部下とのこれまでのコミュニケーションが通用しなくったもう一つの要因だと指摘しています。

 

一般的にハラスメントはいじめや相手の嫌がることをすることを指します。職場においてのハラスメントは、職場内での優位を背景に、業務の適正な範囲を超えて精神的身体的苦痛を与える行為とされています。最近でも、小学校の先生が激辛カレーを無理やり食べさせられるというパワーハラスメントがニュースに取り上げられていましたが、こういったパワーハラスメントが自殺につながることもあります。よくあるのが、こういったパワーハラスメントを「かわいがり」や「冗談」「洒落」といったように言うことがありますが、一番の問題は上司が部下に対して、自分たちの行為が部下を自殺にまで追い込んだことやこういった気持ちを引き起こすという考えすらなかったというのが問題で、ましてや自殺まで起こすとは思っていないからこそできるということです。

 

武神氏はこういった職場のパワハラの問題は「思いやり」や「道徳心」の欠如として片づけられないほど、その根は深いと考えています。そして、なぜこういった多くの企業においてハラスメントが無くならないのか。その背景や理由を、年間1000人の働く人と面接を行っている立場から3つ紹介しています。

 

その一つ目がハラスメント加害者側の「無知」「無自覚」「想像力の欠如」からくるもの。というのも、そもそも私たちは「いじめはダメなこと」と習ってきていますし、それが道徳的にいけないことだということは知っています。しかしなぜ、そういったことが起きるのでしょうか。それは他人にしてはいけないことを教わっていないから知らない(無知)があったり、自分の行為がハラスメントに該当することに気が付いていない(無自覚)であったり、自分はそのような指導を受けてきたが、ハラスメントとは感じなかったので同じ指導をしているという(想像力の欠如)といったいろいろない人がいる現状があるのではないかということです。

 

この一つ目の理由はよくあることです。そして、意識していないとこいういったことはなかなか気づくことができないことです。これは子どもに対してしても、言えるように思います。大人は子どもに対して「あなたのためを思って」と様々なことを要求することがあります。しかし、その反面、「自分だったらやらないけれども」と子どもに自分の願望を押し付けたり、「できないことをできるように」と子ども自身が望んでいないことを進めることもあります。それ自体に子どもの意志は何にもかかわらずです。これも一つにパワーハラスメントといえるのではないでしょうか。決して、このことは大人同士だけの話ではないように思います。すべては相手の立場や目線に立つ必要性があるのでしょうし、相手をどう尊重するのかということが一つの重要な要素になってくるのだと思います。そして、こういったことは職場にも保育にも生きる意識ですね。

 

では、二つ目の理由はどういったところにあるのでしょうか。

新入社員と子ども時代

多くの企業の中で、今新入社員との関わり方は大きく変わってきているそうです。保育の世界においても、新任の保育士が多く初年度にやめてしまうということが大きく問題になっています。武神健之氏の著書の中で紹介されている50~60代の聞き取りでは「昔は新入社員にガツンと言っても翌日会社を休むことはなかったが、今はすぐ来なくなる」ということが紹介されています。そして、その理由にはいくつかの問題があります。その一つ目が「社会の変化とそれに伴う価値観の変化」です。そして、そのなかには子ども時代の社会の変化があるのではないかと指摘しています。

 

今、新入社員と紹介されている世代は20~30代前半の世代ですが、その世代は一人っ子が多いということの影響はやはりあるのではないかと言います。きょうだい同士でもまれて育ってきたのと、一人っ子で親からも祖父母からもかわいがられ、けなされることなく育ったのとでは、やはりストレスに対する閾値がだいぶ違うのは間違いないと言っています。そのうえ、今の子どもたちは放課後に近所の子どもたちと遊ぶという場面が少なくなっているのも、打たれ強い人が少ないということに関係しているのです。つまり「争いごとや喧嘩になれていない」「コミュニケーションがあまり上手でなく、意見が通らなかった時の対処法がわからない」といった傾向は、やはり今の40~50代に比べて、20~30代に顕著になっていると指摘しています。

 

最近では一人っ子の子どもたちが多くなっているのは保育の仕事をしていると非常に身近に感じる問題ではありますし、先日園見学に来られた保護者と話をしていても、最近では同じ年の子どもと遊ぶことは多いですが、様々な世代の子どもたちと遊ぶというのは少なくなっていると思います。ということを言っていました。こういった乳幼児からの子ども同士の関わりは社会に出た時に非常に大きなハンディキャップを負いかねないというのは私も感じていました。実際、産業カウンセラーとして武神氏が感じている内容が保育においても、直結している話であるということはよく考えなければいけない内容であるということを感じます。

 

こういった社会の価値観の変化において、「偏差値教育」というのもあげています。産業医をやっている武神氏が新入社員に「なぜ、この会社に入ったのか」と聞いたところ「友達がみんなこれくらいのレベルの会社を目指すから」と返答が返ってきたそうです。それは今の偏差値教育の中で「これくらいのレベルならこのあたり」「周りが行くなら自分も」といった外的価値観によって自己判断が行われることであって、それをよりどころにしていては会社では長続きしないと言います。

 

今の人の特徴として「他と自分を比べる」という人は確かに多いように思います。その裏側には「自分はこれができる」といった自己肯定感よりも「他の人はこのくらいできるから」と否定的に自分の能力を見てしまいます。それは人と比べることが偏差値教育のなかで常に比べられているような形になっているからなのかもしれません。

 

他にも単身世帯の増加や朝の挨拶と飲みニケーションなど、上司との関係性の中で、世代間の摩擦やコミュニケーションの希薄化が社会の変化とともに価値観が変わってきているということが上司との関係においても影響が出ているのではないかと話しています。社会に出た時に起きる問題に乳幼児の環境は大きく影響があるということがいえるのですね。

 

また、最近では「○○ハラスメント」という言葉がいたるところで聞きます。なぜ、「ハラスメント」がこれまで以上にニュースにでるようになってきたのでしょうか。

社会性は高校から?

2019年11月25日の日本経済新聞に「人間関係築く教育を」という記事が書かれていました。掲載したのは古賀正義中央大学教授であり、「将来の進路を模索し、多様な人間関係を築く場であった高校がその機能を失い、社会を支える「普通の市民」の育成が困難になっている」と指摘していました。

 

ではいったいどういうことが今の日本の高校で起きているのでしょうか。現在、日本の高校において大学進学率は60%に迫る勢いであり、人材養成は高学歴化しています。それ自体は悪いことではないのですが、その反面、高卒者の受け入れが減り、非正規雇用が拡大しています。大学を出たからと言って、正職員になる時代ではなくなってきているのです。これまでは進学と人材の高度化は同義語であり、そのために大学に行くことが重要だったのですが、現在では進路が決定できないという理由での進学が増えてきているのです。そのため、社会にでられないための教育機関の延長、「教育モラトリアム」という問題がうまれてきているようです。

 

また、最近において問題になっているのが、中退者の理由です。東京都内の都立高校中退者を対象に行ったアンケート調査(2013)でもっとも多い退学の理由は、教師への反発や問題行動ではなく「遅刻や欠席などが多く進級できそうになかった」ことが一番多く「友達とうまく関われなかった」「精神的に不安定だった」という理由です。多くは学則や学業勉学ではない理由で退学していくのです。しかも、中退者の2割は誰にも相談することなく退学を決めていたそうです。相談する相手がいても、それは教師や仲間ではなく、母親がほとんどでした。そのため、十分なケアができないまま、多くの生徒が1年生の初めに高校を去っていくという現状が今あるそうです。そして、こういったことは低ランクの高校だけではなく、どの高校でも、常にいじめや日々の中で起きか分からない教室から排除される不安と常に戦っているのです。そして、細やかに気を使い、場の空気に合わせて、いつも話せる安心な仲間を持つことが学校生活において非常に重要になってくるのです。そして、こういった対人関係はその後の人生にも強い影響を与えていくということが分かっているそうです。というのも、内閣府の2016年の若者の居場所調査において、20代後半になっても4割ほどの若者が同居家族以外では、高校・大学時代の友人か中学時代の地元の友だちとしか、日々語り合ったりメールのやりとりしていないということが分かったそうです。

 

つまり、職場や地域における日常の人付き合いは広がりを見せず、極めて狭い範囲の人間関係にある若者が多いようなのです。そして、限定された人間関係しか持たない若者ほど、他者に対する評価が厳しくなるそうです。そのため、閉鎖的に人間関係は閉塞的な対人ネットワークにますます期待し、そして失望するという悪循環を生むことがわかりました。古賀氏はこういった人間関係を構築する高校という場にこれまでの構想や選抜の論理から離れ社会参加のための窓口を構築し、自立を援助できる人間関係を形成しやすい環境を取り戻すことが必要だと言っています。

 

果たして、このことにおいて高校からこういった人間関係を形成する環境というものを用意していくべきなのでしょうか。本来こういった人間関係を作る環境というのはどの時期から作るべきなのでしょうか。こういった問題は何も高校で起きているだけではありません。小学校では「小1プロブレム」中学校では「中一ショック」と、どの時期においても結局は人間関係の形成という部分に今の子どもたちは問題を抱えているようです。そう考えていくと、社会に出る直前にその対策を行っていても、どれほどの効果があるのかわかりません。人のコミュニケーションというのは生まれたときから始まっているのです。ということは、そのころからしっかりと社会性を形成できる環境が重要なのは言うまでもないように思います。そして、こういった能力が土台になければ、学業勉学にも結局はつながらないのだと思います。改めて、今の日本の教育現場を見て起きている問題はその時期だけではなく、継続して連携していく必要が分かります。そして、そもそもの教育とはなんなのかそれを問われている時代に来ているように思うのです。