12月2019

みる技術②

「みる技術」というのは、まず、「見えてるつもりでも、見えていない」という子の前提を知っていることが大きな大前提であるということを前回紹介しました。では、そのことを踏まえて、武神氏は「みる技術」というのはどういったものであると言っているのでしょうか。

 

武神氏は「みる技術は 『知る×説明できる』であると定義しています」と言っています。前回も紹介したように人の目から入ってくる情報は、頭に入ってくる情報の75%と大きな部分を占めています。ただ漠然と見るだけではなく5つの漢字で示される「みる」ができれば「知る」ことにつながるのです。これは前回紹介した5つの「みる」「見る・視る・観る・看る・診る」ですね。しかし、これらの「みる」をしていても、残りの25%は同時に「みることができない」可能性があるのです。ここまでが前回の内容です。

 

実際、このことをコミュニケーションに当てはめると、あなたにとって相手は他人ですから、いくらよくみていても、やはり「見えていないこと=知らないこと」もたくさんあるのです。「みる技術」を持っている人は、“自分には知らないこともある、ということを知っている”ということが分かっているのです。当たり前のことといえば当たり前のことですが、人は「この人は○○なひとだ」と先入観やレッテルを貼ってみてしまいがちです。たとえばよく遅刻してくる部下に対して「だらしないからだろう」と決めつけるのではなく、「遅刻する日は体調が悪いのかもしれない」という発想を持てるかということです。つまり、「みる技術」を持っている上司は「部下のことをよく知らない」という自覚を持っているのです。この「かもしれない思考」これは「みる技術」をもっている人が共通してできることです。

 

そして、この「みる技術」がある人は、相手について知っているだけではなく、「説明できる」ところまでいっています。つまり、これはあいては何を言われたら、やられたら喜ぶのか、仕事がはかどるようになるのか、何をしたら嫌がるのか、仕事ははかどらなくなるのか。などなど相手の「取扱説明書」を書くことができるのです。このように「知る」ということと「説明できる」ということできることで「みる技術」ということにつながっているのです。

 

こういった違う視点から人をみるということは非常に大切なことであり、特に子どもに対しては、重要になってくる関わりであるように思います。そして、この根底には「共感力」というものが根底になくてはなりません。「相手がなぜそういうのか」「どういった意味があるのか」「本質的に何を言いたいのか」それを察していかなければいけないのです。それにはこちらもある程度の余裕がなければいけません。子どもにおいても、大人においても、人との関わりにおいてはそれほど大きな違いはないのではないかなと保育士になってとても感じます。「相手を思いやる気持ち」というのはなにも子どもだけにつけさせるものではないのです。大人同士の関わりにおいてもこの気持ちは忘れずに持っていなければ人はいい集団にはなれないのですね。

みる技術①

武神氏は上司が部下に関わることにおいて大切なコミュニケーションの方法は「みる・きく・はなす」ことであると言っています。こういった技術があることでその関わりを通して、メンタルヘルス不調になる人を出さないようにしていくことが大切になってくるといっています。そして、部下に慕われる上司はこの三つの能力のうち、どれか一つができていることが多いというのです。

 

では、「みる・きく・はなす」ということのうち、「みる技術」というのはどういったことなのでしょうか。この「みる」には5つの視点があります。①視界にいれる「見る」②注意してみる「視る」③観察、時間的変化もみる「観る」④医者が症状、状態を診察する「診る」⑤不調者をケアする「看る」です。これら5つの「みる」をリーダシップのある上司は意識して行っているわけではありません。しかし、なんとなく自然と全部できている人が多いというのです。

 

ここで武神氏は前回にあった「ちょっといいですか?」と声を掛けたい人を想定して、どの「みる」をやっているか想像してほしいと言っています。自分はきになる部下や同僚、家族に対して、注意して「視る」は当然行っており、時間的変化も含めて「観ている」と自負する方は多くいる。診察としての「診る」は医者でないので無理で。不調をケアする「看る」については相手が不調者でなければ不要の場合があります。なので、平常時(健常人)対象であればできていると思う方もいるのではないかと思いがちです。しかし、それは本当にみることができているのかはわかりません。なぜならば、外界の情報を自分にインプットするのに、その75%は視界に頼っているというデータがあります。実際のところは残りの25%は見えないということになります。「みる」ということはコミュニケーションの基本ではあるが、この25%は結局見えていないのが実情としてあるというのです。

 

つまりは「見ているつもりでも、見えていない」ということがあるというのです。「人は見たいものしか見ていない」というのは昔から言われていますが、実際、視界に入っていても、注意をしなければ見えておらず、意識にすら上がってこないことも多くあり、逆に意識してみると、他の者が見えなくなります。つまり、視覚に入っていても、実際には認識していないことは多くあるのです。

 

このことを踏まえて考え行かなければいけないのは、物事は一つの側面だけで見ていても、それは意識せず、「自分が見たいその人」を見ている可能性があるということなのです。悪いところばかりに目がいき、良いところがあっても気がついていないのかもしれません。このことは人との関わりにおいて、非常に意識しなければいけないことですね。自分自身もこういった見方をしてしまい。周りの意見を聞くことで気づかされることが多くあります。それほど、人の見方や先入観は「みる」という意識に反映されてしまうのです。では、こういった5つの「みる」が自然と全部できている人はどういった気持ちで相手を見ているて、どういったマインドでコミュニケーションをとっているのでしょうか。そして、それがどのように「みる技術」につながるのでしょうか。

「ちょっといいですか」

「職場のストレスが消える コミュニケーションの教科書」という武神健之さんの本を読み進めているのですが、リーダーシップをとることにおいて、メンタルヘルス不調の人を出すことは職場においては非常に痛手になります。この本の初めに「最近の人は少し注意をすると、会社をすぐ休むようになる」というような実例が紹介されていました。また、前回紹介したようにストレス反応がメンタルヘルス不調につながってしまうのは孤立したコミュニケーションや相談できない状況に陥ったときに起こりやすいというのが見えてきました。

 

特に最近では若者のコミュニケーション能力が低くなっているのではないかということが言われています。確かにそういったことは言えるのかもしれません。しかし、そうはいっても、組織を作っていかなければいけません。そのため、リーダーシップをとるうえでは相手よりも自分が変わるということが求められるように思います。そして、そのための「みる・きく・はなす」という技術の実践が上司には重要だと武神氏は言っています。

 

武神氏は「ちょっといいですか?」の言葉の中に上手なコミュニケーションにつながるものがあると言っています。この「ちょっといいですか?」の裏には3つの意味が隠されているというのです。1つは「気になる場合」仕事をかかえ、しんどそうなときに該当します。2つ目が「聞かれた場合」部下が自分に相談に来るときですね。3つ目は「期待したい場合」たとえば、メンタルヘルス不調者がいる部門の上司がなかなか聞く耳を持っていないといったように、相手に行動の変化を求めたいときです。なぜ、「ちょっといいですか」という言葉が武神氏が重要な言葉としているのかというと、こういった質問の裏には悩みが隠されていたり、そこを察知してこちらが声を掛けるからです。そのため、こういった言葉はただ単に相手に声を掛ければいいというわけではなく、「何が伝わったのか」ということが大切です。大切なことは相手の主体性の発揮や関係性の強化、メンタルヘルス不調の予防という観点です。コミュニケーションそのものではなく、コミュニケーション後の感情にフォーカスを当てます。

 

そして、大切なのは「相談した」ということではなく、「相談してよかった」と思ってもらうことが上手なコミュニケーションと言えるのです。こういったやり取りをするためには、自分の言いたいことを伝えるだけではうまくいきません。相手がどういったことが聞きたいのか、どういった言葉を期待しているのかといったことをピンポイントで察していかなければいけないのです。このことはなかなか難しく、相手をよく見ていないと理解していくのは難しいことです。そこには「共感する力」や「察知する」ということが求められます。そして、それ以前に、相手に対して誠実にそして真摯に向き合うといった姿勢も大切です。

 

「みる・きく・はなす」という技術はそういったことを踏まえたうえで関わる大切さを必要としています。では、武神氏がいう「みる・きく・はなす」という技術は具体的にどういったことをいうのでしょうか。

ストレス反応②

ストレス原因がストレス症状となってしまう反応性ストレスですが、一つ目が前回紹介した「がんばるストレス」であり、これは優秀な人ほどこういった反応が起きやすいということが言える反応性ストレスです。

 

次に挙げられるのが②「我慢のストレス」です。これは「NO」と言えない人に生じやすい反応性ストレスです。頼まれた仕事や苦手な人間関係にNOと言えずに我慢したり、実際はまだまだ仕事があってもあと少しと我慢したり、仕事がなくなるのが怖いから我慢するなど、ある程度の我慢は社会人であれば必要ではあるのですが、問題は自分の健康を害するほどため込んでしまうことです。このように我慢の反応性ストレスをため込みやすい人たちには共通するものがあるそうです。それは「自分のストレス原因への対象手段に他人を巻き込みたくない」というものや「他人に迷惑を掛けたくない」という感情です。これらはストレスとならない範囲内でこれができている限りは美徳です。しかし、この気持ちの根底には「他人を巻き込んだり荒波を立ててしまったら、自分が嫌われてしまうのではないか」という不安が潜むことが少なくありません。逆に我慢のストレス反応が出ない人は、日ごろから相手との関係性が強固なものであると自信を持っていたり、「NO」ということで自分のすべての評価がネガティブになることはないと考えているので、我慢がストレスになる手前で「NO」といえるのです。そして、そういった人は自己肯定感が高い人です。

 

こういったように我慢を続ける人は、我慢を続けていても報われていない、我慢しても改善されない、と感じた瞬間に張っていた気持ちが切れてしまうのです。そして、肉体的あるいは精神的な疲労の蓄積に気づき、今までの“我慢していた反応”が、“反応性ストレス”にかわるのです。「我慢するストレス」を抱えている人はストレス症状が出てきても、「大丈夫です。もう少し頑張ります」と返答し、早期発見・早期治療の機を逃してしまったパターンが多くあると武神氏は言います。

 

そして、「反応性ストレス」の3つ目は「ガス欠ストレス」です。こういったタイプの人は仕事以外の日々の生活で趣味がなく、楽しみがなく、熱中するものがない人に多いそうです。そのため、気分転換や「ON/OFF」のメリハリがなく、徐々に徐々に気づかないうちに調子が悪くなってしまうパターンが多いのです。仕事は嫌いではないので、上司からの仕事の評価は「ハイパフォーマーではないが、ローパフォーマーでもない」といったように淡々と仕事をこなします。週末は家で何もしないで一人で過ごすことが多かったり、テレビとゲームで過ごす日々であったりとだんだんと何もする気が無くなってきます。こういった相手と面談をしたとき、武神氏は「相手の目を見てはなすこともほとんどなく、笑顔もなく、覇気がなかった姿が印象的であった」と言っています。

 

こういった場合、特に目立ったきっかけがなく、周囲が気付かない間にストレスをため、心身ともに病んでいくパターンになっていくというのです。このタイプの場合、仕事の場面ではそつなくこなすので、「あの程度の仕事で?」と驚くこともあるそうです。しかし、それは仕事に問題があるのではなく、日々の楽しみ、喜び、熱中できることなどがなく、気分のリフレッシュやエネルギーの充電ができず、肉体的にも精神的にも摩耗消耗した「ガス欠」状態になるのです。そのため、働き続けても、仕事以外で熱中できることや趣味を見つけなければいけない限り、なかなか治らない種類の反応性ストレスです。

 

「頑張る」「我慢」「ガス欠」どのストレス原因においても、必ずしも自分だけで対処できないものがあるのです。そのため、自分だけでため込まず、同僚や友人、家族など、周りにいるサポーターに相談するようにすることが大切なのです。そして、マネジメントをする側から見るとそういった職場風土や文化を作っていくことがメンタルヘルス不調を患う人を少なくするといった対策になるのでしょう。

ストレス反応

産業医として年間1000人以上のビジネスパーソンの産業医面談を行う武神氏はストレスについて、あることを指摘しています。多くの人は仕事質や量、職場の人間関係を原因としたストレス、不安、悩みで面談に来るが、多くの場合はこれらのことを改善するために来るわけではないというのです。それらはあくまで「原因」で、落ち込んだり、眠れなくなったり、集中できなくなったりと様々なストレス症状を呈して、その症状の相談に来るというのです。つまり、「原因の改善」の相談ではなく「ストレス症状」の相談に来るのです。しかし、その一方で、同じような職場環境で、同様のストレス原因にさらされていながらも、ストレス症状が出ない人もいます。その違いはどこにあるのでしょうか。

 

ストレス原因とストレス症状の間にあるのは、個々人のストレスへの“反応”だと武神氏は言います。ストレスに反応する中で、「反応自身がストレスになってしまう」というのです。そうなると人はストレス症状がでるようになり、メンタルヘルス不調になっていくのです。この反応は、個人の認識や心がけ次第で、単なる反応で終わらせることができる場合と、ストレスに感じてしまう反応(反応性ストレス)になる場合があるのです。【ストレスの原因→反応→ストレスに感じてしまう反応→ストレス症状】という順序です。メンタルヘルス不調にいたるには反応性ストレスに至るかどうかがネックになってくるのですね。そして、この反応性ストレスには3つのタイプがあると言います。それが①がんばるストレス ②我慢のストレス ③ガス欠ストレス です。

 

一つ目の「頑張るストレス」です。これは優秀な人も知らずのうちにため込みやすいタイプのストレスです。近年、仕事の量は増え、また求められる質も高まっていく上に、社会構造の変化とともに、仕事のスピード化が求められています。そのため、質も量も増えていく中で、優秀な人材ほど仕事が集まりやすい状況になっているのです。結果、優秀な人ほど早く帰れるのではなく、仕事が集まってしまうがゆえに遅くまで残業していくのです。最初のうちは上司や同僚からの信頼や感謝がモチベーションの源になりますが、次第にこの優秀な人の「頑張り」は本人にとって以上に周囲にとって頑張り続けることが普通になってきます。「みんなのために頑張っている。しかし、それが普通になり認められなくなる」それをふと感じた瞬間に報われない感覚が一気に押し寄せてきます。そして、張り詰めた気持ちが切れてしまうことになるのです。肉体的あるいは精神的な疲労の蓄積に気づき、今までの「頑張っていた反応」が“反応性ストレス”に変わるのです。メンタルヘルス不調は、仕事への適性が欠けている人(いわゆる能力不足)だけではなく、チームの頼りになる花形選手のメンタルヘルス不調はこのように生じているパターンが多いそうです。

 

できる人ほど、責任感がある人ほど、こういった張り詰めた仕事をしてしまいがちになるのです。その時に、「弱音や愚痴」をはける場やコミュニケーションをとる場といったようにガス抜きができる場があるとまた違ってくるのでしょうが、「頑張る」人は一人で抱えて頑張ってしまいがちになることが多いようにも思います。風通しのある職場であればこういったことが起きることは少ないのでしょうが、そうではないと、一人で抱え込んでいるうちにメンタルヘルス不調に陥ってしまうのだろうと思います。いい人材がいなくなってしまう職場はこういった「頑張らなければいけないこと」を抱えがちになるからなのかもしれませんね。