社会性は高校から?

2019年11月25日の日本経済新聞に「人間関係築く教育を」という記事が書かれていました。掲載したのは古賀正義中央大学教授であり、「将来の進路を模索し、多様な人間関係を築く場であった高校がその機能を失い、社会を支える「普通の市民」の育成が困難になっている」と指摘していました。

 

ではいったいどういうことが今の日本の高校で起きているのでしょうか。現在、日本の高校において大学進学率は60%に迫る勢いであり、人材養成は高学歴化しています。それ自体は悪いことではないのですが、その反面、高卒者の受け入れが減り、非正規雇用が拡大しています。大学を出たからと言って、正職員になる時代ではなくなってきているのです。これまでは進学と人材の高度化は同義語であり、そのために大学に行くことが重要だったのですが、現在では進路が決定できないという理由での進学が増えてきているのです。そのため、社会にでられないための教育機関の延長、「教育モラトリアム」という問題がうまれてきているようです。

 

また、最近において問題になっているのが、中退者の理由です。東京都内の都立高校中退者を対象に行ったアンケート調査(2013)でもっとも多い退学の理由は、教師への反発や問題行動ではなく「遅刻や欠席などが多く進級できそうになかった」ことが一番多く「友達とうまく関われなかった」「精神的に不安定だった」という理由です。多くは学則や学業勉学ではない理由で退学していくのです。しかも、中退者の2割は誰にも相談することなく退学を決めていたそうです。相談する相手がいても、それは教師や仲間ではなく、母親がほとんどでした。そのため、十分なケアができないまま、多くの生徒が1年生の初めに高校を去っていくという現状が今あるそうです。そして、こういったことは低ランクの高校だけではなく、どの高校でも、常にいじめや日々の中で起きか分からない教室から排除される不安と常に戦っているのです。そして、細やかに気を使い、場の空気に合わせて、いつも話せる安心な仲間を持つことが学校生活において非常に重要になってくるのです。そして、こういった対人関係はその後の人生にも強い影響を与えていくということが分かっているそうです。というのも、内閣府の2016年の若者の居場所調査において、20代後半になっても4割ほどの若者が同居家族以外では、高校・大学時代の友人か中学時代の地元の友だちとしか、日々語り合ったりメールのやりとりしていないということが分かったそうです。

 

つまり、職場や地域における日常の人付き合いは広がりを見せず、極めて狭い範囲の人間関係にある若者が多いようなのです。そして、限定された人間関係しか持たない若者ほど、他者に対する評価が厳しくなるそうです。そのため、閉鎖的に人間関係は閉塞的な対人ネットワークにますます期待し、そして失望するという悪循環を生むことがわかりました。古賀氏はこういった人間関係を構築する高校という場にこれまでの構想や選抜の論理から離れ社会参加のための窓口を構築し、自立を援助できる人間関係を形成しやすい環境を取り戻すことが必要だと言っています。

 

果たして、このことにおいて高校からこういった人間関係を形成する環境というものを用意していくべきなのでしょうか。本来こういった人間関係を作る環境というのはどの時期から作るべきなのでしょうか。こういった問題は何も高校で起きているだけではありません。小学校では「小1プロブレム」中学校では「中一ショック」と、どの時期においても結局は人間関係の形成という部分に今の子どもたちは問題を抱えているようです。そう考えていくと、社会に出る直前にその対策を行っていても、どれほどの効果があるのかわかりません。人のコミュニケーションというのは生まれたときから始まっているのです。ということは、そのころからしっかりと社会性を形成できる環境が重要なのは言うまでもないように思います。そして、こういった能力が土台になければ、学業勉学にも結局はつながらないのだと思います。改めて、今の日本の教育現場を見て起きている問題はその時期だけではなく、継続して連携していく必要が分かります。そして、そもそもの教育とはなんなのかそれを問われている時代に来ているように思うのです。