9月2019

日本人観

ジャレド・ダイアモンド氏は著者の中で伝統的社会の紹介をしていき、その中伝統的社会で行われて育児方法を取り入れるように提案していました。では、日本の子ども観というものはどういったものがあったのでしょうか。

 

藤森平司氏の著書「保育の起源」の中に、日本の子どもに関する民族学的研究者の宮本常一氏の著書「日本の子どもたち」を紹介しています。そして、この本の「はしがき」には「古い時代から日本の国民は貧しかった。中背の終わり頃、日本を訪れたキリシタンのパードレたちもそのことを書いている。しかし、人々はその貧しさによごれまいとして、心だけは高く清いものにしようと努力した。戦国騒乱の世の中でありつつ庶民はうそをつかず、ものを盗まないと異邦人たちは感嘆して書いてある」と日本のすばらしさを書いています。この表現はおそらく近代まで日本を訪れた外国人の日本人観の要約といっていいでしょうと藤森氏は言います。

 

そして、日本の子ども観については宮本氏は「子どもたちのしつけの中で重要視されたのは、この清潔にして貧乏にまけない意欲であった。だから貧乏さえが魅力だった。」「日本人にとっての未来は子供であった。自らの志がおこなえなければ、子供に具現してもらおうとする意欲があった。子どもたちにも、またけなげな心構えと努力があった」「子どもたちも過去から現在へ一貫して模倣―工夫―創造を、そのあそびやまつりや、仕事の中に繰り返しつつ成長しているのであって、しかしそれが親と子どものつながり、大人と子どものつながり、子ども同士のつながり、学校と子どものつながりなどによって、子ども自身が人格として形成されていく。このような関連を環境と名づけるのであれば、ただ、組織的でなかったために、不幸なものが周囲にはみ出しがちだったし、学校と一般社会の融合に長い年月を要した」と宮崎氏は言っています。

 

外国人の日本人観においても、日本の子ども観においても、日本人は貧しくとも心だけは高く清いものにしようと努力することや清潔にして貧乏にまけない意欲といったように志高く生きようとした力強い生命力がある民族性がそこにはあったのですね。藤森氏は子ども観の紹介の中で「子どもを思う親の心は今でも変わりません。しかし、未来を見る力、何が子どもにとって必要なのかを見る力が衰えてきた気がします」と言っています。確かに、この頃に比べ、今の時代が「未来はこども」といったような言葉は聞いても、環境が果たして、そうなっているのかと考えてしまいます。

 

そして、様々な人との関わりのなかで成長し人格が形成されていくといった中で、「模倣―工夫―創造」というプロセスの大切さを宮本氏は言っています。この学びのプロセスが教育現場でどのように実現していかなければいけないのか、それが実現できるような環境や活動とはどういったものであるべきなのか。日本の「そもそも」から学ぶことは多いですね。

伝統的な社会から学ぶ

藤森平司氏は「保育の起源」の中で、米国の進化生物学者ジャレド・ダイアモンド氏の著書「The World Until Yesterday(昨日までの世界)」の「子育てについて伝統的社会から学ぶべきである」という文章を紹介しています。

 

そこには現在の社会は素晴らしいものでおおむね安心で安全な社会に暮らすことができる半面、「子育て」という文化を実践し子孫に残し、伝えていくという、太古からずっと遺伝子レベルで受け継がれてきたことが、明治以降の国家主義と西洋化によって机上の学問になってしまったというのです。そして、伝統的社会から学ぶものとして、少子高齢化社会を迎えた現代社会における子育てと高齢者の問題をダイアモンド氏はあげています。日本やアメリカでもこういった問題が取り上げられていますが、「30年から40年後には持続的社会をきちんと構築しておかなければ、地球という存在自体をも危うくすることになる」と言っています。そのため、その時期の社会を中心的に支える現在の乳幼児をもっと大切にせよと言います。

 

そして、大切な乳幼児の育児を、ただ母親だけに押し付けたり、働いている母親の都合だけに合わせその子の入れものとしての(量だけを満たそうと)保育所をつくったり、近代からの国家主義の、西洋化の流れの中で考えられた古い(現在社会に合わない)方法を変えようとしなかったりすることは、持続的社会を構築するうえで見直さなければいけないことと言っています。

 

そこで、ダイアモンド氏はこれから親になる人に向かって伝統的社会で行われてきた育児方法を取り入れるように提案します。

・求められるたびに授乳する(現実的に対応可能であれば)

・離乳を遅くする

・乳児に複数の成人とスキンシップをさせる

・添い寝をする(固めのマットレスか揺り籠を寝室に置き、小児科医と相談することが必要

・乳児を抱きかかえ、正面を向かせる

・グループ育児を増やす

・子どもの泣き声にすぐ反応する

・体罰を避ける

・子どもに自由に探検させる(子どもから目を離さないように)

・異年齢の子どもと遊ばせる(小さい子どもにも、大きくなった子どもにも効果がある)

・出来合いの教育玩具やテレビゲーム、そのほかのお仕着せのごらくではなく、自分たちで楽しむ方法を学ぶようにさせる

 

こうやって、これらの項目を見ていると決して特別なことを提案していることではないように感じます。しかし、最近では異年齢での遊びや自由に探検できる場所、自分他tで楽しむ方法を学ぶようにすることなどは難しくなっているように思います。また、乳児期においても複数の成人とスキンシップさせることやグループ育児など家庭の中に複数の大人がいないことが多くなっているのも今の社会の特徴のように思います。家庭でこういった環境が作れないのであれば、その時期を預かる施設などが、あえてその環境を作らなければいけない時代なのだということも改めて感じます。今でも日本の保育や教育は多子社会のままという話も聞きます。これらの提案を受け、考えるところはたくさんあります。

進化と共同保育

チンパンジーやオラウータン、ゴリラといった霊長類は離乳が3以上になっていることに対して、人間の赤ちゃんは1歳頃に離乳を始めます。しかし、離乳したといっても1歳の赤ちゃんなので、まだ一人で生きていくことはできません。そのため、父親や祖父母などいろいろな大人に抱っこをされて育つようになったと言われています。

 

 

このように赤ちゃんを母親だけで育てず、近くにいるみんなが手伝う。赤ちゃんは生まれてすぐに家族の手に委ねられて、家族みんなに育てられる。他の動物と違い、なぜ人類だけがこのように進化してきたのかという長い間考えられてきた問いへの答えの一つが、この「協同保育」という形にあることが最新の類人猿研究によって明らかになってきたのだそうです。

 

 

そして、私たちの祖先は家族みんなで育児をしてきた中で、特に育児を中心的に担ったのは祖母だったと言います。他の動物の寿命が出産可能期間と大差がないのとは違い、人類は、出産期が終わった後に長い適齢期が続きます。その理由も、共同保育であると考えられているのだそうです。人類が出産可能期を終えても長生きするようになったのは、この脅威どう保育の暮らしの中で、孫の育児を手伝ってきたからではないかというのです。実際のところ、健康寿命という視点からも、孫の世話をして感謝されることで老人の免疫力が高まるとも言われているそうです。一緒に子育てをする最小単位としての家族が集まり、もう少し大きな集団である「ムラ(村)」が形成されてきました。家族からムラ=社会で共同保育をしていくなかで、人類はコミュニケーション能力を持つようになり、赤ちゃん自身も社会の一員となるための「社会脳」をおのずから学んでいき、その中で、共感力や感情をコントロールする力、自己抑制力などの「非認知的能力」を身につけていったと言います。

 

 

最近、「非認知的能力」という言葉はかなりいろいろなところで聞きます。それは乳幼児期だけに限らず、以前紹介した「学校の当たり前をやめた」といった本の中でも、すこしだけ触れられてもいました。コミュニケーション能力や問題解決能力、これらのことが教育の中で注目され、重要視されているということはとても考えなければいけないように思います。なぜならば、それ自体がヒトの進化の中で非常に特徴的な能力であり、「ヒトがヒトである」ということにつながるからです。この能力が今、その特徴的な能力が失われているということはとても危機感のあることなのかもしれません。藤森先生は保育の起源の中で「乳幼児教育の大切さは人類の始原にルーツを持っている」と言っています。本来の人間の能力を「そもそも」といった視点で見ていくことで、保育にもつながるものがたくさん出てきます。

 

 

「人を育てるには、そもそもヒトを知らなければいけない」そんなことを感じます。

赤ちゃんと進化

そもそも人類は二足歩行になったがゆえに産道が非常に狭くできています。そのため、あまり脳が大きくならないうちに出産し、乳児を母親が大切に育てていかなければいけません。しかし、出産適齢期の女性は人生の中でも体力的にはベストコンディションであるため、社会を維持するための働き手としての役割もあります。また、二足歩行になったため、肉食動物の餌食になってしまう危険性もあります。これらの要因のために、できるだけ短期間に多くの赤ちゃんを産むようにしたい。基本的に一産一子である人類は一度に多くの赤ちゃんを産むことができないので、この悩みに対する答えとして毎年出産するという方法を選びました。そのため、早く離乳し、次の子どもを産む準備を始めなくてはなりません。

ということで、人類の離乳は、5か月ごろから始まり12か月ごろに完了し、もう次の年には次の赤ちゃんを産むことが可能になってきます。早く離乳するためには様々な工夫が要ります。授乳期から普通食への移行が早いためにその間の食事が必要になってきます。そのため、人間は調理をし、食べ物を加工するようになりました。しかも、赤ちゃんでも食べられるものにするために火を使います。様々な生物の中で人類だけが火を使って調理をすることができるので、早い離乳が可能になりました。

離乳においてはチンパンジーは5~6歳、オラウータンの離乳は7~9歳です。生まれた瞬間から離乳までチンパンジーやオラウータンの赤ちゃんは母親だけに抱っこされて(同時にしがみついて)育ちます。当然、離乳するまでの間、お母さんは次の子が産めません。このように人間の離乳は他の霊長類よりも早く次の子どもを産むために離乳が早くなっているというのです。しかし、同じ霊長類の中でもゴリラだけは少し早く3~4歳で離乳し、ゴリラのお母さんは上の子が3歳になると次の子を産むことができます。そして、ゴリラの研究からゴリラが早く離乳し、次の出産ができるようになったのは、上の子の育児をオスのゴリラが手伝うからだとわかってきました。これらのように生物学的に近い仲間であるこれらの動物たちに比べてみても、人間の1年という出産サイクルが非常に短いことだとわかります。早々に離乳したと言っても1歳児の赤ちゃんです。次の子が生まれるとなると母親一人では手が回りません。そのため、人類は家族で育児をすることにしたのです。早く離乳した赤ちゃんは父親やきょうだい、祖父母などに抱っこされて育つようになります。

そのため、生まれた赤ちゃんが何かをつかもうとしたり、手のひらに何かが当たると反射的にそれを握る行動をしたり、すぐにそうした赤ちゃんの手の反射恋宇津尾がなくなったりするのは、こうした人類の育児スタイルに由来していると考えられているそうです。また、赤ちゃんがあおむけになって寝ることにも、だれにでも抱かれる体勢という意味があるのです。

このように保育の起源では紹介されていました。赤ちゃんの行動には進化の過程が垣間見え、赤ちゃんが大人に対して能動的に働きかけているということが見受けられます。そして、その進化の過程でヒトは社会を作っていくのですが、そこにも赤ちゃんの存在は大きく関わっているのですね。赤ちゃんが未熟で生まれてくる意味、その裏に隠されていたヒトの進化、ヒトの活動に意味はないということを感じます。

生存戦略と集団

四足歩行から二足歩行に変化していった我々人間の祖先ですが、その後とおよそ180万~120万年前にユーラシア大陸へ進出していきます。そして、各地へ分散した原人の集団は地域ごとに独特の特徴を示すようになり、ジャワ島のジャワ原人のように多数のグループが現れます。80万年~50万年前になるとアフリカで進化した求人が出現し、ヨーロッパ地域へと拡散していきます。その後6万年前、ヨーロッパから西・中央アジアにかけて分布していた旧人の集団はネアンデルタール人と呼ばれています。そして、アフリカでは20万年前、新人が出現したと考えられています。やがて、新人の集団は中央アフリカから世界へと広がっていき、その過程でユーラシアにいた原人や旧人たちは次第に姿を消していったと考えられています。そして、3万年前にはヒト属の中のホモサピエンス(新人)以外はすべて全滅してしまい、ホモサピエンスは1万年前までに、五大陸すべてに進出していき、さらに、その後航海技術を発達させた集団が、太平洋やインド洋の島々にも到達し、難局を除く地球上のほぼすべての陸地に分布するようになったのです。

 

当時は火山の爆発や地震、津波、気温の変化、さらに隕石の衝突など自然の驚異にさらされ、肉食動物から襲われる危険もあります。そのため、遺伝子を残すために様々な方法をとって生存戦略をとります。ある種は肉食動物と戦うための強い力と優れた運動能力を、またある種は敵が追いかけてくることができない場所で生活をする能力、さらには鋭い歯や爪など敵と戦うための武器を備えたものもありました。身を守るために皮膚が硬くなったものやすぐに再生する力を得たものもありました。しかし、そんな中、我々人類は体はそれほど強くもなく、運動能力もさほどではなく、体はさしたる武器も兼ね備えていません。しかし、現在のように過酷な生存戦略を生き延びています。生きるために人はどのような生存戦略をとったのでしょうか。

 

その大きな要因がお互いが「協力する」という戦略をとったからだと言われています。「仲間」で社会を形成して、助け合うことで生き延びてきたようです。一人一人は弱者だった私たちの祖先は家族を形成し、いくつかの家族が集まる小さな社会を構成していきます。そして、社会ができることで人間関係という(ほかの生物にない)問題が生まれます。人との関係のなかで社会を形成するために発達させなければならなかった身体器官は何よりも「脳」だったのです。社会の形成するために、大きな脳が必要だったというのです。

 

常々、保育を考えていく上で「社会」というものはもっと意識されるべきだと思っています。そして、こうやった人類の進化をひも解いていくと人の一番の強みは「社会を形成する」ということだったということがよくわかります。逆に「社会が形成できない」つまり、「人と交われない」ということは人の一番の力を失っているということなのだと思います。そんな環境のなか、赤ちゃんを産むということは重要な意味合いを持つことになります。そして、その過程を見ていくと感動的なほど、今の人間の社会を形成するための役割としても、育児があるように思える事柄が見えてきます。生存戦略と赤ちゃん、そこには切っても切れない関係性が見えてきます。