短所を長所に

松陰は塾生の普通なら短所として厳しく戒めるところを、じっくりと時間をかけて自覚さえることによって、短所を長所に変えようとしていました。そこに松陰の巧みな人材育成の方法が垣間見えます。その話題に上がるのが後の高杉晋作です。高杉晋作は非凡な能力を持っていましたが、気の向いたことには人一倍打ち込むが、それ以外のことは周りがどんなに進めても進めても知らん顔といったように非常に頑固な性格でした。今の社会ではこういった性格の人間は非常にできの悪い職員であったでしょうね。しかし、松陰はこういった高杉晋作の性格をみて、2つの点に留意しました。一つは頑固で強引な性格をどう育てるかということです。

 

この頑固さは人の上に立つ指導者として大切な資質であると松陰は考えていました。しかし、そのままでは人望を失い、リーダーとなることが出来なくなる。そのため、松陰は友人である桂小五郎との会話に託して自分の考えを新作に書き送りました。そして、この課題を新作自身が時間をかけて解決するように迫ったのです。その内容は高杉晋作に対して「10年ほっておく」という事でした。高杉の性質を矯正したとしても成長が中途半端になるばかりか、せっかくいい点を駄目にしてしまうと考えていたようです。指導することがかえって成長の妨げになると考えたのです。こういった手紙をみて高杉は間違いなく自分の生き方について深く考えたようです。

 

松陰はこういった高杉の性格を受けとめ、必要な時に必要な助言を与えるようにしたのです。管理者は、部下の少しのミスも見過ごさないように気になる弱点は一日でも早く改善してやろうとしますが、それがかえって過干渉になってしまう可能性があるというのです。そのため、松陰は人材を育てるには忍耐と寛容さが必要であることをよくわきまえていたのです。

 

こういった人材を育てるための忍耐というのは非常に重要です。これは管理者にとっては身に詰まる内容なのではないでしょうか。「待つ」というのはなかなかに忍耐が要ります。その人を信じていなければいけないですし、「そうなるであろう」という見通しを持たさなければいけません。そのうえで、それぞれのモチベーションを下げないような働きかけをしなければいけないのだろうというのです。

 

この姿勢は松陰の「自分で考える」主体性の持たせ方にから派生した考え方でもあるのだろうと思います。方向性を示し、あくまで「どういった人物であるべきか」も本人に考えさせることを求めたのです。大切なことは短所を短所とするのではなく、短所を自覚させ、その生かし方や考え方を見つけるように示したのです。ここに松陰から学ぶ姿勢があります。