議論する環境

吉田松陰は様々なところに出向いていたということも言われています。そこで様々な師や友との出会いによってますます研鑽を積んでいきます。そこには問題意識をもって識者に会い、意見を求め、議論をし、著書を借り受けたり、書写していったと言います。このような「師友を求め歩く旅」は今の時代で言う研修でもあるだろうと言えます。今の時代、研修というのはどうしても受け身になりがちです。必要な研修を必要な時に受けるのではなく、「受けなければいけない」ものになってしまうと学習意欲が育たなくなってしまうのです。その姿勢は自己啓発において非常に重要な意味を持つと言われます。

 

また、これと同時に情報を得ることにおいても、非常に重要視したと言います。今の時代とは違い、松陰の時代は積極的に自ら得ようとしない限り情報を得ることができません。そして、その情報の精度も精査しなければいけません。正確な情報を得るためには多くの情報を分析していかなければいけないのです。そして、その集めた情報を村塾では事実の解釈をめぐって激しい討論が行われたのです。このように正しい解釈をどう受け取るのかというのは大切なことです。そして、見通しや対策について自分の頭で考える能力をもたなければいけません。ただ、そこにある情報を鵜呑みにするだけではそういった能力は生まれてはこないのです。大切なことはそこ得た情報を議論し、解釈をしていくということです。

 

このことは日々の中で受ける研修にもつながってくることです。研修で言われていることが全て正しいのかというとはそうではありません。例えば、自分の園とは保育方針が違うかもしれないですし、価値観が違うかもしれません。ただ、教えられる情報を鵜呑みにしてしまうとその園で行われている方針とはかけ離れてしまうかもしれないのです。つまりは、例えば園の方針であったり、向かっていく方向性が定まっていない状態で研修を受けることはかえって危険をはらむ可能性があるのです。そして、「問題意識を持つ」ということはその物事を理解しているからこそ出てくるものでもあると思います。ただ、受け身で物事を考えたところで問題意識は起きません。議論することにも能力が必要になってくるのです。

 

このプロセスについてこの本では「現状認識」→「課題形成」→「対策立案」→「実行」という問題のステップを効果的に実行する必要があるというのです。そして、人に教えを乞うことや読書も大切だが、現場に飛び込んで事実に直面することが一番重要だと言っています。第三者としているのではなく、議論をしていく環境を用意することがリーダーとして必要となっていくのだろうと思います。そして、「理論家である前に現実立脚主義者であった吉田松陰」というリーダー像を見ると、リーダーにおいて、理論家として振る舞うのではなく、現場の理解がなによりもリーダーとして大切であると言えるのです。

 

これは私にとっても、反省するべきところが多くあるように思います。リーダーはある意味で一番勉強をしていたり、ビジョンを持っています。それが悪いことだとは思いませんが、時にそのビジョンを今の現場に押し付けてしまうことが多くあるように思います。つまり、「急いで」しまっているのです。こういった状況にある場合、周りの意見は常に改善点ばかりであり、ボトムアップ的になるよりも、リーダーの見通しが先に立つことで結果トップダウンの構図になってしまいます。現場の「今」を認めなければ、当事者意識として現場は気付いていかないのです。時には今の現状を知るために、客観的に「見守る」ということが重要なのだろうと思います。まずは、現場からの「問いかけ」を待たなければいけません。しかし、ただ待っていても何も変わっていきません。大切なのは考える方向性を示さなければいけないのです。示すことで初めて待つことにつながるのだと思います。これは非常に難しく、自分自身今も戒めながら精進しているところです。そして、吉田松陰の姿は非常に自分の中で参考になる部分が多々あるように思います。