空想と心の理論

空想の友だちを持つ子どもとそうではない子、その差は賢さではないとゴプニックは言っています。ただ、空想の友だちがいる子どもは他の子どもよりも、心の理論が発達している傾向はあるようです。空想の友だちがいる子どもの方が他人の思考、感情、行動の予測が上手だというのです。そして、人懐っこい子の方が、内気な子どもより空想の友だちを持ちやすいようです。また、こういった空想の友だちをもつことは本物の友だちがいない子や病んだ心の妄想ではないどころか、むしろ社会性の現れなのだと言っています。つまり、空想の友だちを持つ子どもは周囲の人を人一倍気にするので、「いない人」のことまでかんがえてしまうのかもしれないとゴプニックは言っています。

 

そして、空想の友だちから空想世界へ膨らむ時期は、子どもたちが実社会の因果関係を学ぶ時期でもあります。心の働きを知った子は、大勢の心の複雑な相互作用に興味をひかれるようなります。個々の人間よりも入り組んだ社会的ネットワークに関心が向かっていくのです。様々な人間関係、人を排除すること、グループ間のいがみ合いなど、中学校頃の思春期の時代にこういった複雑な人間関係を理解していこいうとします。それは空想の友だちが反事実による心の探求であったように、空想世界は反事実による人間社会の探求に役立っていくのです。

 

このことを考えていくとなぜ「ごっこ遊び」や「見立て遊び」が実行機能を育てるということにつながるのかがだんだんわかってきました。子どもたちはごっこ遊びの中で、相手の動きを予測したり、どういったことをすることがごっこ遊びを成立させるのかを理解しようとします。それは「こうすれば、相手はこう思う」といった予測のものとに成り立ちます。そして、その裏には「こうすれはこう思うだろう」とう相手の気持ちの因果関係を理解していくことにほかなりません。こういったやり取りを通して、相手の気持ちを理解していきます。そして、そのやりとりにおいては、トラブルもあるだろうし、我慢も同時に起きるでしょう。こういった紆余曲折を通して、関わりを理解し深めていくことは、結果として、自分の感情を理解し、自分の感情をコントロールする想定もできるようになってくることで、自分の感情をコントロールするということにもできるようになってくるだろうということが見えてきます。

 

人の心の理論というのは非常に興味深く、子どもたちがその時、その年代で起きる遊びにおいて、様々なやりとりが行われ、その経験によって、心においても発達していく過程があるということが見えてきます。しかし、この経験というのもやはり大人にすべてがコントロールされたもので、お膳立てがされた環境であると、自分で予測する必要が無くなってしまうので、傍観者になってしまい結果、自ら学ぶ経験にはつながっていかないのでしょう。やはり、遊びにおいていかに「自分で考え」「自分で克服」し、「自分で経験していく」といった自主性や自発性が必要とされるのかということが子どもの実行機能であったり、心の理論の習得に意味があるのかということが見えてきました。