考えと信念の理解

ヘンリー・ウェルマンは子どもが赤ちゃんからもう少し年長になると願望、知覚、感情の複雑な因果関係も分かってくると言っています。そして、それに合わせて、様々な心の状態の組み合わせに応じた行動を予測できるようになると言います。

 

ヘンリー・ウェルマンの実験では、2歳児に「僕の友だちのアンが箱からおやつを取ろうとしている。箱の中にはブロッコリーかお菓子が入っている」と教えました。箱には蓋がされています。アンは箱を覗き、それから子どもの前でいろいろな感情を表現して見せます。そのあと、このシナリオについて実験者が子どもにいろいろ質問すると、子どもはスラスラ答えます。「アンががっかりしたのはなぜ?」と聞くと「お菓子じゃなくてブロッコリーがあったから」と答えました。他にも「お菓子があったから。『いやだわ』と言ったのはなぜ?」と聞くと「ブロッコリーがあったから。」と答えました。「アンが喜ぶのはどんなとき?」と聞くと「お菓子を見つけたとき」。「それはなぜ?」「お菓子が欲しいから」。「アンが喜びもがっかりもしないのはなぜ?」「箱の中を見ていないから」といったように、アンの心の動きと過去や未来の出来事の因果関係が分かっていなければ、こういった返答はできません。

 

他にも3歳児に対し、子どもにキャンディの外箱を見せてから、中に入っている鉛筆を見せると、びっくりします。ところが「他の人は、この箱に何が入っていると思うかしら?」と聞くと、その子は自信たっぷりに「鉛筆だよ」と答えてしまうのです。これは中が見えなければ、間違って答えるだろうという想像ができないのです。このころの幼児は、人の言動はその人の考えや信念と関係をもつけれど、その考えや信念自体が間違っていることもあるということが分からないのです。それが分かるのは4歳前後です。そのころになると「みんなはあの人のことを意地悪だと思っているけど、本当は良い人なのよ」といったことを言うようになります。人間がもつ世界観は後にそれが誤りであったと判明することがあります。しかし、3歳児は、こういった人の信念は周囲の世界に直接対応していると思っています。そのため、両者には実はもっと複雑な関係があることを知らないのです。だから、鉛筆の事例のように、中身を聞かれた人が、実際にある鉛筆以外の答えを返すという想像ができないのです。

 

乳児期から幼児期にかけて、こういった心の発達が行われるのですね。幼稚園や保育園でいうまだ言葉を発せない1歳児クラスの子どもたちでさえ、大人が何が好きで、どういったことを求めているのかということを理解しているのです。決して、受動的に物事を受け入れているのではなく、思っている以上に周りに目を向け、理解をしているということが分かります。しかし、相手が見ているものが自身と感じているものが違うという理屈を理解するまでにはもう少し時間が必要になるのですね。相手の気持ちの奥底を推測するというのは3歳児では難しいのかもしれません。このことは子どもの喧嘩やトラブルに際して、参考になります。まだ、こういった相手にも考えがあることはわかっていても、どういった信念もって、話しているかの推測ができないというのを考えると、まだまだ、直観的なやりとりになってしまうのかもしれません。2歳児クラス~3歳児クラスにかけてはこういった相手との気持ちのやり取りを通して関わる機会が必要であり、なぜ、いやいや期と言われる時期なのかが分かります。相手も自分と考えていることが同じと思うからこそ、なぜわからないのかをサインとして出しているのかもしれません。だからこそ、2歳児には「共感」が重要なやりとりになってくるのでしょうね。子どもの発達段階的な関わりを通して見ると様々な様子が見えてきます。