改革の進み

アンドレアス氏は政策を実行するにあたっての社会構造の欠点についても言及しています。

公教育は標準化とコンプライアンスが社会全体における規範となっており、集団教育や一度きりの教員研修が効果的であると言われた産業革命の時代に誕生していると言っています。この時代には、生徒が学習指導要領を通じて学ぶべきものは、すべてピラミッドの頂点においてデザインされ、何階層もの政府機関を介して、機関レベルでの教材、教員養成や学習環境に取り入れられ、各教室で個々の教員によって実施されるといったトップダウン形式の方法がとられています。

 

この構造は今でも同じように脈々と行われています。しかし、アンドレアス氏はこの構造が、今日の改革プロセスを非常に遅らせていると言っています。改革の動きが速い国々さえ、学習指導要領の見直しは、6~7年ごとにしか行われていません。その他の領域となると急速な変化のペースに対する反応はさらに遅いと言わざるを得ない。実際のところ、今日、私たちの日々の生活に関わるほぼすべての側面において、デジタル技術による革命が起きているにもかかわらず、それが教室に入ってくるスピードは驚くほどに遅かったことが例として挙げられています。今回の新型コロナウィルスにおいても、この教育の中にデジタル技術を導入するということが取り上げられていました。それまではなかなか進まなかった教科内容が今回のコロナで大きく前進したと言われています。こういったことがない限りなかなか教科の内容が進まないというのも一つの特徴として挙げられるのでしょう。しかし、このように教科内容が進んだとしても、その議論が行われていないだけに、不完全なものが多いようにも思います。アンドレアス氏は「新しい技術を導入する試みでさえ、多くの場合、不完全な形でカリキュラムのニーズに対応する程度に止まってきたのである」と言っています。

 

そして、「何階層にもよる行政構造を通じてトップダウンによる統治は、もうすでに機能しなくなってきている。今直面している課題は、世界中の何百、何千もの教員や学校管理者の専門性を基盤として改革をすすめることであり、優れた政策や実践をデザインするために彼らの参加を促すことである。改革のデザインに教員やガッコいう管理職を取り組まなければ、彼らがそれを実施することはないだろう」と話しています。

 

この言葉から私は、今や現場にいる人間が制度のせいにするのではなく、自分たちが発信する側にいるということを自覚していなければいけないのだろうと思います。現在、自園でも保育をかえることを行っていますが、乳幼児教育の場合は、制度が良くも悪くも大綱化されています。そのため、各園の裁量によって動くことができます。そのため発信することや改革をすることは園独自では比較的行いやすいのですが、それが学校教育となると公教育であり、制度によって教育内容が見直されるため、なかなか難しいというのが現状なのでしょう。そして、そういったところから離れた「私塾」が新しいことを行いやすく、独自の文化も作りやすいというのが日本における塾文化ができた一因なのかもしれません。やはり本質は制度に縛られるのではなく、どう生徒や子どもを見るかどういったところを大切にするかという子ども観から保育や教育を見ていくようにしていかなければいけないということが重要なようですね。