政策と現場

アンドレアス氏は教育改革を行うには人々に何を変革すべきかを気付かせ、一般に学習者よりも教育者や管理職の関心や慣習によって構築された組織構造を打ち崩さない限り、成功することはないと言っています。

 

それと同時に、教育改革は利益や特権的な地位に与える潜在的な損失に着目することが特に重要だとも言っています。それはこういった改革を行うにあたって、そこに存在する既得権益が数多くあるからです。たとえば、その際たるものは、テスト業者や教科書出版などです。こういった既得権益が存在するので、現状維持に努める庇護者、すなわち変革によって一定の権力や影響力を失う可能性のある教育に関わるステークホルダーが多く存在するのです。そのため、小規模の改革でさえ、大規模な資源の再分配が必要であり、多くの市民生活に影響を与えます。それは「人目を忍んで実施する改革は不可能」ということを意味しています。すべての改革案には後半に及ぶ政治的なサポートが不可欠なのです。それは教育改革は教育者が主導して実行しない限り実現しないことを意味しています。

 

それはなぜなのか、政治からの変革は難しいのか。そこには先に述べたステークホルダーの存在があります。それと同時に教育インフラは規模が大きく、何階層もの政府が関与しており、お互いに改革に関わるコストを最小限にしたり、他に負担を負わせえようとする動きが見られる点から、コストに関わる不透明さを解決するのは難しいという面もあります。そして、教育分野への投資は金額が高く長期間にわたるにもかかわらず、特に改革の実施から効果が見えるまでの時間差が大きいために、新たな改革による明確な成果を短期的に予測することは困難なのです。

 

一方で教員はたとえ現行の教育制度への不満が大きかったとしても、一般的に社会からは好意的にみられています。また、教員は政治家と比べて社会からの信頼を得られる傾向が強く、改革への抵抗は教員にはあまり影響しないことが多い。現行の教育制度への意見が多少なりともある保護者においても、一般的に教員には好意的なのです。そのため、多くの場合教員との協働なくして改革の実行は不可能です。教員は改革が間違っていたと非難することで、改革の動きを弱めることもできるのです。まさに「ゆとり教育」はこういったことが背景にあるように感じます。

 

しかし、教員の多くは教育実践の改善や学習者や教育者のニーズよりも政治的な関心を優先した一貫性のない混乱を招くような改革に、多くの教員は長年苦しめられたと言っています。改革へ向けた教員の努力は必ずしも彼ら自身の専門性や経験に基づくものではなかったともアンドレス氏は言っています。だからこそ、教員側の理解も得られなかったのでしょう。

 

政策と現場は両輪で動かなければいけない中、それがうまくいっていない現状は多々あります。「子どものため」というのが免罪符になり、どちらにおいても、どこに向かうべきなのかということが意識されないまま、進められていることはどの国でもおおいにして起きていることなのかもしれませんね。