7月2020

心の道具

森口氏は子どもたちに道具を使わせることで実行機能や読み書き能力を高めようとするプログラムを紹介しています。ここで言われる「道具」は物理的な道具も含みますし、心理的な道具も含まれると言っています。では、「心理的な道具」とはどういったものを指すのでしょうか。

 

心理的な道具とは、言葉や遊びなどのことを指します。たとえば、言葉は私たちの考えや行動を支えています。言葉を使わなくても私たちは考えることができますが、言葉を使うことで論理的推論などの複雑な思考が可能となってくるんです。つまり、言葉を「道具」として使うことで、実行機能の支援はできるのです。このことを研究するためにいくつかの重要な活動があることを森口氏は言っています。そして、そのうちの4つの活動について詳しく紹介してくれています。

 

その1つ目が「物理的な道具による外的な補助です。」幼い子どもは、まだ、自分をコントロールすることはできません。そういった場合、親や教師などによる支援的な関りが重要になってきます。その支援の一つの方法として、物理的な道具を使うことで、コントロールしやすくする方法があります。このプログラムでは、絵を使って子どもの実行機能を支援します。子どもが2人でペアになって、一冊の絵本を交代で読んでいくという活動を例にすると、子どもはどちらも自分が絵本を読みたくて仕方がありません。この場合、実行機能によって待つことが必要になってきます。その際に、片方の子どもには口の絵を、もう片方の子どもには耳の絵を渡します。口の絵を持ったほうが話を読み、耳の絵を持った方は聞き役です。途中で絵を交代し、役割も後退します。うまく自分をコントロールできない子どもも、絵という道具を与えられて、役割がはっきりすると、うまくコントロールできるようになります。この活動を繰り返す中で、そのうち絵が必要なくなり、聞き役が絵本の内容について質問するなど、発展的な活動に推移していくというのです。

 

2つ目は「友だちの行動をチェックする」です。子どもは友だちの行動を見ることで自分の実行機能を発達させます。この活動も、友だちとペアで行います。たとえば、友だちが物の数を数える活動をしている場合に、子どもはともだちがその活動を正しく行うことができているかをチェックするように求められます。チェックシートのようなものを渡され、逐次チェックしていきます。この活動では、友だちが正しく活動を行うことができるかをチェックし、この活動を振り返り、深く考えるようになります。これによって自分がその活動をやるときに、しっかりと考えて取り組むことができるようになります。このように癖をつけることによって実行機能も身についていくのです。

 

このことは見守る保育を行っていく中で非常に感じることであります。これはうちの職員と話していた時なのですが、家庭から着た子どもと、小さいときから入った子どもとでは大きく違うというのです。それも0歳と1歳ですら違っているというのです。それほど、子ども同士での関わりや模倣を通して、自分の活動を確認しているのかもしれません。そして、その土台には親との愛着や先生との信頼関係が土台にあるというのも無視できないように感じます。それほど、子どもにとっては、環境というのは大きな影響を与えるのでしょうね。

保育の質と実行機能

森口氏は著書の中で「幼稚園や保育園に行くこと自体が子どもの実行機能の発達にとって重要な意義がある」と言っています。これは以前、ポール・タフ氏の著書や森口氏の「自分をコントロールする力」にも出てきた、ノーベル経済学賞を取った経済学者ジェームス・ヘックマン氏の研究にも言われています。幼児期にうける教育が将来の育ちにつながるという長期縦断研究から見えてきますし、その中心となる能力は非認知能力であるとも言われています。

 

また、前回紹介した家庭環境が子どもの実行機能に与える影響でも紹介されたように、貧困層やネグレクトの家庭では、それ以外の家庭よりも、子どもの実行機能が著しく低いことが示されていました。そして、この原因となるのはストレスを経験することです。しっかりと関係を築くことができる大人がいないことに起因しているのです。このことを踏まえて考えてみると幼稚園や保育園においても、子どもがストレスを経験せず、楽しく過ごすことができると、子どもの発達をさせられるかもしれないのです。好きな教諭や保育士がいて、関係を築くことができれば、子どもは実行機能を育むことができるかもしれないと森口氏は言っています。

 

東京大学の山口博士らの研究では、母親の最終学歴が高校卒業未満の家庭と、そうではない家庭の子どもが、保育園や幼稚園に通うことでどのような利益があるかを調べました。その結果、母親の学歴が高卒未満の家庭は、幼稚園や保育園に通うことで子どもの多動性が著しく減少することが示されたのです。逆に母親が高卒未満以外の家庭の子どもの場合は子どもの行動にあまり影響を与えませんでした。このことから幼稚園や保育園に通うことで、すでに子どもには影響があることが分かります。では、保育の質についてはどうでしょうか。

 

最近では保育の質における研究や研修はいたるところで起きています。では、保育の質と実行機能にはどのような影響があるのでしょうか。イリノイ大学シカゴ校のゴードン博士らの研究グループでは、3つのカテゴリーからなる幼児教育・保育の質評価を行っています。1つは園のハードウェアにあたる部分です。これは園の広さや備品などが含まれます。2つ目は教諭・保育士による子どもの健康や衛生に関するかかわり方です。トイレットトレーニングや睡眠などの関わりにおける評価です。3つ目は子どものやり取りにあたる部分で、うまくコミュニケーションを取れているかが含まれます。

 

その結果、2つ目と3つ目の幼児教育・保育の質が、子どもの実行機能と関わることが示されました。つまり、子どもの健康や衛生に関する関わりかたがうまく、子供とのやりとりが円滑な幼児教育施設では、子どもの実行機能が育まれやすいのです。健康や衛生に関する関わりは忍耐の連続だと森口氏は言います。たとえば、トイレットトレーニングや怪我の対応などは、子どもたちは耐えなければいけないタイミングが多くあります。その時の子どもとのやりとりも支援的な養育行動の効果があると考えられます。このように、教諭・保育士の関わりは、子育てで重要だった部分と通じるところが多いのです。ただ、幼稚園や保育園ならではのものもあると森口氏は言います。それは集団の子どもに関わるという部分です。では、このような集団の子どもに対してはどのようなプログラムなら実行機能を鍛えることができるのでしょうか。

マインドフルネス

最近、保育園や幼稚園などで「茶道」を行っている話を聞くことがあります。「茶道」と言うとかなり行儀や作法があるように感じますし、それこそ「待つ」ということを子どもは意識していかなければいけないように思います。これと同じように最近のビジネスマンに流行っているのが「マインドフルネス」です。具体的には「瞑想やヨガ」を指すことが多いですが、自分の身体や精神、呼吸などに注意を向ける活動のことを指します。

 

最近、森口佑介著の「自分をコントロールする力 非認知スキルの心理学」(講談社現代新書)を紹介していますが、森口氏は最近、タイの共同研究者たちとマインドフルネスが子どもの実行機能を向上させるかを検討したそうです。マインドフルネスは先ほども紹介したように、身体や精神に対して集中することや、今という瞬間に集中することを重視しているため、自分をコントロールする実行機能を向上させると考えられています。

 

森口氏はタイのマヒドン大学分子生物科学研究所の研究者から、タイの子どもは実行機能に大きな問題を抱えているため、この能力を育てるためのプロジェクトを手伝うことになります。そして、タイに訪れたときに衝撃を受けたそうですというのも、研究者らの調査によると、タイの子どもの約30%が実行機能に問題を抱えているというのです。つまり、3人に1人の計算になります。森口氏の知り合いの研究者によれば、タイの子どもは、目の前の快楽に飛びついてしまい、勉強ややるべきことをすぐにおろそかにしがちで、特に学校での授業が成り立たないということです。また、違法薬物に手を出す子どもが多く、国家的な問題になっています。そのため、その研究者らは、政府や企業を巻き込んで、実行機能の発達の支援をするためのプロジェクトを開始しました。

 

そこで森口氏はタイの保育園で、マインドフルネスが子どもの実行機能を向上させるかどうかを調べました。マインドフルネスの訓練として、マヒドン大学の大学院生が、既存のトレーニングと、タイの僧侶たちが行っている瞑想とをブレンドして、新しいプログラムを開発しました。プログラムは毎日やる短い活動と、週に3回、各40分間の保育プログラムの一部としてやる長い活動です。これを8週にわたって続けました。前者は毎朝1~3分間、自分の呼吸に対して、集中するという活動です。保育のプログラムは以下の4つのパートから構成されました。①集中力:呼吸に注意を向け、少しでも気が散りそうになったら、呼吸に注意を向けなおします。②感覚:自然に感謝し、味覚や嗅覚などを存分に発揮させます。③運動:自分に身体感覚について学び、身体をどのようにしたらコントロールできるかを学びます。④感情:感情について学び、感情をコントロールする方法について学びます。これらの活動を通じて、自分の体や感情についてしっかりと認識し、そのうえでそれらをコントロールできるように学ぶことを目的としています。

 

これらの前後に、感情の実行機能と思考の実行機能を測定します。その結果、マインドフルネスはとくに感情の実行機能に非常に有効であることが示されました。感情をコントロールすることを目的としているので、これは当然の結果と言えるのかもしれません。また、この際、思考の実行機能も一部の子どもでは向上しました。

音楽と実行機能

運動以外に森口氏は音楽も、子どもの知能や記憶の発達に有効があることが示されていると言っています。ロットマン研究所のモレノ博士らの研究では、4歳から6歳の幼児が参加し、2つのグループに分けられました。1つは、音楽を通じた訓練を受けるグループであり、もう一つは美術を通じた訓練を受けるグループです。どちらのグループも1日1時間の訓練を2度、週に5日4週間にわたって訓練を受けました。

 

音楽の訓練は、主にリズム、ピッチ、メロディなどの音楽の基本的な特徴を区別したり、学習したりすることのほかに、音楽に関する概念や理論を学んだりするなど、多岐に渡る内容でした。もう一つの美術を通じた訓練を受けるグループは、形、色、線などの美術の基本的な特徴を区別したり、学習したりしました。どちらのグループも、訓練の前後に、IQと実行機能のテストをされ、これらのテストの成績が訓練を通じて向上するかどうかが調べられました。その結果、美術訓練を受けたグループは、IQも実行機能もほとんど変化がありませんでした。一方、音楽を通じた訓練を受けたグループは、IQと実行機能が向上しました。

 

では、音楽のどういったところが実行機能に影響があるといえるのでしょうか。森口氏は「子どもが音楽を楽しみ、他の子どもと一緒に取り組むことができる」ことが実行機能に影響があるところであると言っています。なぜなら実行機能は主体的に行動をコントロールする力であることから、どんなに有効な方法でも、子どもが嫌々やるような方法ではあまり効果は出ないからではないと考えられるからです。

 

これまで、運動、スポーツ、音楽が子どもの実行機能にどう影響するのかということを取り上げてきました。共通するのはどの事柄においても、自分の気持ちをコントロールする瞬間があることが見えてきます。それと同時に、各各々のことについて、「自分がやりたこと」つまり、主体的に取り組んでいることであることも重要な意味を持つということが見えてきます。ある意味で、実行機能を育むということに共通することは、自分が何をしたいかを明確に持っていることが重要なことなのかもしれません。好きなこと、心から取り組める何かを持つことこそが実行機能を持つことにつながるのだろうということが分かります。

 

では、乳幼児教育ではどういったことが求められるのでしょうか。よくこういった話をすると「だからいろいろな経験をさせなければいけない」と親が子供に「させたがる」ことがいます。「嫌がってでも、経験する中で好きなものが見つかる」という考えです。もちろん、そういった子どももいるでしょう。しかし、「一つ好きなことを見つけても、10嫌いになる」可能性もあるのです。やはり大人が子どもたちにしてあげることができるのは子ども達が選べるだけの環境を用意することなのでしょうね。

学びのユニバーサルデザイン

2020年7月20日の日本経済新聞に「学習方法 自ら選ぶ」という記事が書いてありました。これは早稲田大学 学校臨床専門の高橋あつ子教授の「学びのユニバーサルデザイン」の考え方を授業に入れるといったことを記事にしたものです。この「ユニバーサルデザイン」ですが、最近教育の研修などでもよく聞く用語になっています。

 

そもそもこの「ユニバーサルデザイン」とは「特別な製品や調整なしで、最大限可能な限り、すべての人々に利用しやすい製品、サービス、環境のデザイン」のことを言います。「デザイン」というと商品やファッションの「デザイン」を一番に思いつきますが、ここで言われる「デザイン」はもっと広い意味合いがあり、見た目だけのデザインではなく、構造なども含むトータルコーディネートのことを指します。

 

高橋あつ子教授はこのユニバーサルデザインを「学び」にあてて考えます。つまり「すべての人々に利用しやすい学びとは」ということですね。高橋氏は「小中高校の新学習指導要領では『主体的・対話的で深い学び』や『学びに向かう力、人間性の涵養(かんよう)』がうたわれているが、成績や受験のためでもなく、親や教師に求められるからでもなく、自分の成長のために学ぶ子どもはどれくらいいるだろうか」と言っています。最近では、アクティブラーニングなど対話的な授業が増えてきましたが、そのためには講義型の授業からの脱却が多くの場合望まれます。しかし、実際のところは教員が仕組んだ対話が主であることが多いそうです。それは果たして「主体的」というのだろうかと高橋氏は言っています。確かにこのことは保育においても当てはまる内容です。大人が「導入」として活動を進めていきます。しかし、そこに子どもたちの意見が入る余地が少なく、結局のところ「誘導的」に活動が進められることはすくなくありません。高橋氏はこういった授業の進め方は不登校経験や関わりが苦手な子にとっては学びやすいのだろうかと言っています。このように多様化した子どもの問いに向き合うために、「ユニバーサルデザイン」の考え方が重要だと言っています。

 

では、それはどういったことをいうのかというと「言語、人種、宗教などの多様化を前提に学びたいという気持ちを持ち、学ぶ方法が分かり、自分に合った柔軟なやり方で障害にわたる学習をかじ取りするもの」の育成を最終目的とすると言っています。つまり、教師主導のティーチングから、学習者中心のラーニングへの移行が進むといっており、この考えは世界的に広がりを持っているのだそうです。

 

そして、その進め方は「何のために学ぶのか」(WHY)「どのように学ぶのか」(How)を中心にしており、教員は子どもが学ぶための方法を多数用意し、こどもが自分に合った方法を選ぶようにして進めていきます。また、授業のまとめを書く際も、絵で表すのか、文章なのか、一人で考えるのか、ペアなのか、グループで進めるのかすべてが学習者が決めるようになるのです。このように多様な場面で選択が求められると子どもの自己調整力が育ち、総合的な学習で必要な問いを立てて解決し、表現する方法を選ぶ力にもつながる。そして、方法を選べる心地よさと責任を体験することで主体性が生まれると高橋氏は言っています。

 

高橋氏は小中高校において、こういった教育方法が求められるように言っているが、こういった体験を基にした教育形態は乳幼児にこそ、もっと求められるべきではないだろうかと思います。「主体的に」というのは乳幼児教育からでも求められるものであり、「学習」のプロセスにおいてはどの年代においても同じ環境が求められるように思います。

 

そして、一番考えなければならないのか、それは「何のために学ぶのか」であり、このことが今の時代、どこかで置き去りにされている現状を疑問に思います