10月2019

子ども研究の始まり

「人が知識を持ち、その知識はどこからくるのか」ということは、ギリシア哲学の時代から問題にされていました。プラトンは「学ぶということは、以前から持っているその概念、そして、生まれるときに忘れてしまうその概念を想起することにほかならない」という「想起説」を説いています。近代では「生まれながらにしてある概念や知識を備えている」と考える生得主義の代表がフランスの哲学者ルネ・デカルトです。

 

それに対応して、経験主義の代表は、ジョン・ロック。フランシス・ベーコンに端を発するイギリス経験主義の確立者とされるロックは「人間知性論」において、知識の起源を求め、生得的な心のあり方を強く否定し、乳幼児を「白紙」だとみなしていました。彼の「タブラ・ラサ」という言葉が有名で「拭われた石板」という意味です。つまり、何も書かれていない書板の意味で、ロックは「人間知識論」の草稿でこの語を用い、「人間知識論」では「白紙(white paper)」という語を用いました。彼は「子どもがこの世に生まれたばかりの状態を注意深く考察する者は、子どもが将来の知識の材料になるような観念を多量に蓄えていると思う理由を全く持たないだろう。子どもはそうした概念をだんだんに備えるようになるのである」と述べています。ロックは乳児を白紙の状態と捉え、知覚の始まりは観念の始まりであり、知覚経験が不足している乳幼児は、観念も不足していると考えました。乳幼児を、知識や思考、観念の不足した無能な存在だとみなしていたのです。

 

一方で、フランスの哲学者であり、教育思想家であるジャン=ジャック・ルソーの子どもに対する見方はかなり違っており、かれは子どもを植物に例えました。植物はアスファルトの上にぽつんと置かれていたら、枯れてしまいます。成長のために水や土などが欠かせません。そうはいっても、水をやりすぎても、植物は枯れてしまうというのです。ルソーは「子どもは素晴らしい力を秘めた存在ですが、教育なしでは堕落した存在になり、教育のし過ぎでも堕落してしまう」と言います。このころ彼はヨーロッパで蔓延していた管理的な教育方法や過剰なまでの早期教育について反感を抱いていました。彼にとって子どもは自分で生き抜く生命力を持った存在で、教師や周りの大人がしなければならないのは、その成長を見守ることだというのです。

 

その意味ではルソーは生得性を強調した立場であるみなされることがあると言えます。しかし、彼は生得性を強調する一方で、乳幼児に知識や観念があるとはみなしていなかったようです。ある架空の子どもの成長記録として書かれた彼の主著「エミール」の中で、「私たちは学ぶ能力があるものとして生まれる。しかし、生まれたばかりの時は何一つ知らない。何一つ認識しない。不完全な、半ば形作られた器官のうちに閉じ込められている魂は、自己が存在するという意識さえ持たない。生まれたばかりの子どもの運動や叫び声は純粋に機械的なもので、認識と意志を欠いている」と書いています。彼のこういった成長をテーマとしたこの著書は、後世に大きな影響を与えます。

 

子どもの研究はそもそも、「人がどのように知識をつけていくのか」というところから端を発しているのですね。現在では脳科学が発展してくることで白紙論が否定されてきていますが、この議論の始まりでは白紙論ではなかったのですね。そして、様々な説の下、白紙論が出始め、管理的な教育方法や早期教育が出る中で、ルソーのようなアンチテーゼを出す人が出てくるというように、常にその考えは紆余曲折しているということがわかります。そして、白紙論か生得論かという議論の時代を経て、また新たに乳幼児観や発達心理学に影響を与える論調が出てきます。

学ぶプロセス

東洋経済オンラインの2019年10月10日の記事にこんなことが書かれていました。「『子どもが嫌がる勉強』を続けさせる親の大問題」この記事を書いた 教育デザインラボ代表理事、都留文化大学特任教授 石田勝紀さんが書かれたコラムです。そこで書かれた内容には考えさせられるものがあります。

 

今回の内容は石田氏が相談者の相談を基に書かれています。そこには「自分の娘が、3歳から塾で3教科習っていますが、小学校一年生になって塾を嫌がるようになった。」という相談がありました。そこでは塾に通う子どもがだんだんと英語や算数が難しくなってきており、わからないところが出てきていることや宿題の量が多いこと、苦手な算数はとくに苦手であり苦戦し、これからどうしたらいいのかということに悩んでいる相談です。

 

このように石田氏に全国から勉強量に対する相談がよく寄せられてくるそうです。そして、そのなかでも「多くの人が子どもたちの勉強量が少なくて困っている」という相談が多いそうです。その結果、塾や学校に「もっと宿題を出してください」という人も少なくはないようです。しかし、その一方で、学校や塾の宿題の量が多く、子どもたちが塾に行くのを嫌がること勉強が嫌いになっているという相談も同時にあるようです。つまり、実際の子どもの学力水準と学校や塾から出される勉強量があっていないことで、子どものキャパシティーを超えてしまうことがあるのではないかというのです。

 

しかし、石田氏は問題の本質は「嫌になった原因は塾や学校のやり方にある」のではないと言っています。その本質は「子どもが嫌がり続けているのに、親はなぜそれをまだ続けさせるのか」にあると言っています。特に今回の相談は学校ではなく、塾の話です。そのため、合わないならやめるという選択も取れ、親に選択権があるのです。そして、問題の根本が親のある心理状態に問題があるのではないかというのです。

 

石田氏は「子どもが嫌がっているのに、親が継続させようとするのはなぜなのでしょうか?」と質問をすると次のような回答がだいたい返ってくるのではないでしょうかと言います。例えば、「根気強い子にならないのではないか心配」「勉強ができなくなるのが心配」「子どもの将来が心配」といったものです。しかし、これらは本当の理由ではなく、次のことが本音の理由だったりするというのです。それは「子どもがやるべきことをやらない人間になっていくと、親である自分が困るから」ということであり、その本質には「子どものためではなく、親が自分の心を安定させたいからということ」が背景にある可能性があり、実際それが実像ということが少なくないそうです。そのため、空回りしている自分に気づくのが大切であると言います。自分の心の安定は、子どもを使うのではなく、自分で自分を安定させていく方が良いということに気づかなければいけないと言います。子どもの教育に一生懸命になるがゆえに空回りになっている自分に気づくことで正しい判断ができるようになるのです。

 

そして、「人が伸びていく原則」を紹介しています。それは「人財」育成の原則と石田氏は呼んでいるそうですが、それは「良い部分をさらに伸ばしていく」ということです。「苦手な科目に時間を使いなさい」といった状態で行うと、勉強に対するイメージはさらに悪化する可能性があるというのです。それよりは好きな科目に時間を使うことで、勉強に対する心の状態を安定させるようにするというのです。そして、それを続けることで、他教科にも自信を取り戻し、できない領域を自己修正していくようになると言います。無理に勉強量を増やすのではなく「やっていて楽しい」「面白い」と思える心を作っていくことが大切だというのです。

 

今回は親と子どもにおいての話でしたが、私は「保育者と園児」に置き換えることもできれば、「管理者と職員」にも言えますし、「上司と部下」といった構図においても同じことが言えるのではないかと思うのです。私は「無いとこねだりではなく、あるとこ探しをしよう」というのを心掛ける必要があると思います。石田氏の言う原則と似ているところがありますね。大人も子どもも、やはり意欲や自信というものが原動力になりますし、自信があるからこそ、意欲にもつながっていくのだと思います。そして、そのためには、当人自身が当事者意識を持つ必要があり、自分で行動したことが成功するから達成感につながるのです。人はそうして、学ぶことに貪欲になっていくのだろうと思います。そして、そのプロセスは大人も子どもも変わらないと思います。そして、そういった環境を作ることがなによりも重要なのです。

子どもにとっての大人

乳児の社会的発達において、母子間の関係と仲間同士の関係には大きく違うことが言われています。特に仲間との遊びでは、大人と関わっているときよりも、応答的、持続的、情動的であることや模倣がしやすいことなのがわかってきたと言います。そのため、乳児期における教育的環境において、仲間の存在は非常に重要であるということがわかってきています。では、子どもの発達において、大人の存在はどのように必要だったのでしょうか?

 

昔は「子守り」といえば、幼児から若い女の子の役割で、必ずしも実の母親だけが、おんぶして子どもをあやしていたとは限りませんでした。そして、生まれたての赤ちゃんに授乳することだけは母親の特権と思いきや、それも違っていたそうです。赤ちゃんが生まれて、初めて授乳するときは「乳付け」とか「乳合わせ」といって、同じ頃に出産しすでに授乳中の女性に頼んで乳を与えてもらっていたようです。これは初めての乳をすでに授乳している他人からもらうとよく育つと言われていたからです。そして、その乳を与えた人を「乳親(チチオヤ)」と言っています。そのほかにも、「乳飲み親」「チアンマ」とも呼ばれました。初乳には栄養があると言われている今の時代では不思議な話ですね。そして、男の子の場合には女の子を持つ母親に頼み、女の子の場合にはその逆にするのがしきたりで、そうすることによって丈夫な子に育ち、縁組が早いと言われていたのです。つまり、科学的な理由よりも、その乳付けを縁として、その後も何かと親子を支える共同体になっていくという、関りづくりの意味が強かったのだろうことがわかります。こういった習慣は「古事記」や「日本書紀」にも書かれているようです。

 

その他にも、生まれた子を実の親だけで育てるのは大変だったようで、さまざまな周囲の大人が関わっています。例えば「取り上げ親」は「フスツナギウヤ」といい、へその緒を切ってくれた産婆さん(コズエババ)のことを指します。また、「拾い親」ということもあり、それは赤ちゃんを橋のたもとや道の辻や家の前に捨てる真似をし、あらかじめ頼んでおいた人に拾ってもらい、その親を仮親とするものがありました。捨てられるのは、子が良く育たない家の子や父母の厄年に生まれた子でしたが、子が病気や怪我をしたとき、女児ばかり生まれる家に珍しく男児が生まれたときなどにも見られたようです。「拾い親」では、子を捨てるのにたらいや箕に入れたり、拾うにはほうきで掃き込む真似をしたりというしきたりもあり、宗教的な儀式のようなものだったそうです。

 

また、今でも「名付け親」を実の親ではない人にお願いすることもありますが、昔はお七夜のころ、他人に名前を付けてもらうことによって関係が結ばれるという意味合いがあり、「名親」「名添え親」などとも呼ばれます。名は生命の象徴とされており、名を与える人は他人でも生命の生みの親であるというほど、名は尊いものと考えられていました。そして、出生時の名付け親と成年式の改名の名付け親がいました。それは、里親でも養親でもなく、病弱なこのための仮の親のことでした。ほかにも神官や僧侶、祈祷師などに頼み、いろいろな神と取り親、取り子関係を結ぶ習俗も各地に分布していると言われています。

 

しかし、その中でもとりわけ「乳母」の存在は格別だったそうです。それは母乳が出ない母親に代わって乳を与えるだけではなく、身分の高い人間は子育てのような雑事を自分ですべきではないという考えや、他のしっかりした女性に任せた方が教育上もよいという考えから、乳離れした後も、母親に代わって子育てをしていたようにです。特に平安時代から江戸時代にかけて、上層階級では、公家・武家を問わず、育ての親である「乳母」の存在が不可欠であり、教育者としての思い任務を負っていたのです。

 

このように生まれてきた赤ちゃんは他人の子どもであっても、実の親だけが「育てなければならない」ということではなく、社会全体で子どもを育てていこうとする様子が見えてきます。どうやらそこには、子どもを「養う」という意味合いが多いように思います。大河ドラマを見ていても、幼少期の様子では必ず、一緒に遊ぶ同じくらいの年の子どもが主人公以外でも出てきます。どれほど上層の階級にあっても、そういった子ども社会も用意されており、そして、それを支えるのが周囲にいる大人であったことが見えてくるように思います。

ソーシャルネットワーク 

脳のニューロンや神経細胞のシナプスの連結においても、人類は決して、一人で生きてきたことはなく、常に社会の中で生きてきたということが紹介されています。しかし、昨今の子どもを取り巻く環境は少子化で子どもの数は減ってきていますし、核家族が多くなることで家庭では母子だけで過ごすことも多くなっているということもあり、社会と乳児とが離れてきている環境が多くなってきているように思います。また、社会関係の希薄化というのも、とりわけ話題に上がってくる課題であります。

 

そこでソーシャルネットワーク論では、母子関係について「母子関係はその後のすべての人間関係の発達について必要十分条件ではない」と考えられています。乳児は母親、父親だけではなく、きょうだい、あるいは血縁関係のない養育者とも愛着関係を同時並行的につくっているといわれています。そして、3歳までには、子どもはある対象とある機能とを結びつけ、助けが必要なときには親を、遊びたいときには同年齢の友だちを、真似しようとするときには少し上の子どもを、何かを教えてほしいときにはもう少し年上の子どもを選ぶことを見出すのです。つまり、仲間関係は社会的な技能、能力の発達において最も重要なものであり、仲間関係は乳児対大人の関係の代用物ではなく、もっと根源的なもので、おそらく系統発生的にもより古く、種の生存のために不可欠であるといわれています。生後6か月の乳児でさえ、発声、接触、微笑によってふたりの間で交代しながら仲間関係を作ったという研究もあります。乳児は他の年代の人間よりも同年代の仲間をより好むこともわかっています。また、近年の研究から、1歳児の対人スキルの発達には3か月間にわたって絶えず子どもと接触することが重要であることも分かってきました。

 

1歳児の対人スキルの発達は3か月間にわたって絶えず子どもと接触することが重要であるというのを見ても、家庭の中で母親と赤ちゃんが一対一での関係性だけでいることの難しさというものが見えてきます。赤ちゃんの育ちにとって他児との触れ合いというのは母子関係での関わり以上にその必要性があるのですね。乳児にとって仲間は、互いに対して、伝達したり、攻撃したり、防御したり、協力したりするスキルをゆっくり丁寧に作り上げていく機会を与えると言います。仲間は子どもにとっていろいろな意味で近い存在なので、人間関係の発達に必要な能力を訓練するパートナーとしては、親よりも適しているのです。

 

しかし、だからといってそれは母親の存在を否定するわけではないと言います。ソーシャルスキル論において、社会的発達において、母子関係と仲間関係では大きな違いがあるというのです。自由遊びの場面で母親に向けられた交渉と仲間に向けられたそれとを比較した研究では、仲間からの刺激は子どもにとって特別であり、魅力的であることがわかりました。仲間との遊びの場面では、大人と関わっているよりも、応答的、持続的、情動的であること、仲間の活動や応答は大人より、目新しく、興味深いこと、仲間は同じ発達水準であるため、大人の行動よりも模倣しやすいということがわかったのです。乳幼児の教育的環境というときに最も必要なのが、この仲間の存在であることは明白なのです。

 

母子関係は安心基地としての役割があり、友だち関係は世界を広げてくれる役割があるように思います。ソーシャルネットワーク論においても、友だち関係の重要性が指摘されているのですね。また、仲間関係の中では、「学ぶ」ということもあるのですが、特に対人スキルの発達に関しては、親子の関係以上に子ども関係における学びや発達が著しいということがわかります。つまり、コミュニケーション能力が問題になっている昨今では、このような「友だちとのかかわり」というものにもっと目を向けていかなければいけないのでしょうね。そして、「子ども同士をつなげる」ということが保育にももっと目を向けなければいけないのですね。つい保育の話になっても「大人の子どもへの関わり方」ばかりに目がいきますが、子ども同士にこそもっと着目していく必要がありますね。

脳と乳幼児教育

人類が霊長類の中で大きな脳を持っています。その脳を支えるために直立歩行をするようになりました。そして、結果として手がつかえるようになり、様々な利点が生まれます。しかし、それと同時に産道が狭くなります。産道が狭くなることで人は胎内で(脳で言うと)大人の4分の1程度に育て、誕生後、残りの脳を発達させる戦略を取ります。そのため子どもの脳は生まれもそのまま同時に発達を続けます。そのため、様々な研究の中で幼少期から様々な脳機能を発達させる環境を充実させ。、質の高いECEC(Early Childhood Education and Care:早い時期からの教育とケア)の機会を提供することが極めて重要であるという研究がされています。では、質の高いECECとはどういった環境のことをいうのでしょうか?それは環境や大人との関わり以上に、なによりも子ども集団の役割が重要であると藤森氏は言います。

 

1970年代に、人間の脳の神経細胞であるニューロンや神経回路であるシナプスは生まれてから数年間が最も多く、それ以降は減っていくだけであるということがわかってきました。そのため、子どもの脳を成長させること、つまり育児はこのニューロンやシナプスを上手に減らしていくことであるということが発見されました。このように人間の脳は、遺伝子に従って神経回路をつくり、その後の子育ての環境が、つくられた神経回路を(適切に整理し)壊していくのです。そして、脳はこの減っていく過程で子どもの人格を作っていくのです。そのために、人間にとって生まれてからの8年間が非常に大切な時期であると言われるようになりました。このことを踏まえ、1990年代以降、国際社会では乳幼児期の発達と学習が初等教育を含む、その後の人生の経験や生活の質にきわめて重要な意味を持つと問題意識の下、ECECと呼ばれる分野へ政策的な関心が高まっていきます。

 

脳の神経細胞をうまく減らすことから乳幼児期の環境の大切さ、そして、ECECという乳幼児期の教育のあり方が見直されてきたのですね。しかし、その神経細胞は「脳が育つ」ということでは数だけの問題ではないと言います。脳の質を高めることも必要だというのです。そして、その「質」とは「心を育てる」ことであり、脳の中の社会脳と言われる領域の問題であるということも分かってきました。その社会脳は以前も紹介した通り、社会のネットワークの中で育ちます。そのため、なるべく早く子どもを社会のネットワークに参加させることが重要であると認識されるようになりました。

 

つまり、人類の心は、一個人の脳神経内に限定して機能するものではなく、さまざまな社会を構成している人同士が相互に影響し合って個人の脳も発達させていった結果なのです。知識も人格も周囲の社会から学び取るものなので、その方法として(特に乳児期から)顔と顔を見合って会話し、相手の行動を見るということが行われていました。見て、共感して、模倣して、その結果、知識が伝授されていくというのが基本的な伝達方法なのです。教育においてもまさに、子ども集団の中で人間関係を学習し、人類に蓄積された知識・教養・人格の遺産を受け継ぐことが必要であり、それ以外の教育方法は現在のところ困難を伴うと(理論的には)言われています。

 

これまでの社会脳の説明でも人は社会のネットワークの中で生きてきたということがいわれていました。そして、何よりも重要なのは「相互に影響する」ということであり、一方的に影響を受けることはないのです。また、「様々な社会を構成している人同士」というのも、今の社会は非常に限定的な社会づくりがされているように思います。特に日本は4月で区切る年齢別をしており、子どもの発達で区切るということはあまり意識されていません。教育のあり方は人格の形成であることが学校基本法にあるように成績よりも上位目標になっているのです。だからこそ、改めて現在の教育現場がこういった目標に向かっているか見直す時代に来ているのかもしれません。