日本の家屋と自然

これまでにも人間という種族は人と集団を形成し、「協力する」ことで生存戦略を立て、生き延びてきました。そのため、子どもたちはどこかの時点で自分が社会規範を基準として他者に評価される対象であるということを意識するようになると藤森氏は言います。社会規範はなんらかの複雑な形で、その社会集団全体の視点や価値体系を象徴していると考えられています。そして、子どものたちは2種類の社会規範に沿って振る舞うというのです。それが「協力の規範(道徳規範を含む)」と「遵守の規範(制度的規範を含む)」です。それは人類が「協力」するために必要な力を遺伝子としてつないできたものと言えるというのです。そして、こういった社会的規範は、秩序を作るといわれています。

 

日本に住み、『家屋(いえ)と日本文化』を著したフランス人地理学者ジャック・プズー=マサビュオーはこんな指摘をしています。「日本の住居は、お互いの人間関係を乗り切っていくための生活の規則を教育しているのである。寒さや暑さから身を守ってくれるのではなく、寒さや暑さに耐えるための共同体的な規律を教え込もうとしている。地震や台風に対しては日本の住居はもろく、それは地震や台風にあっても生き延びていくための厳格さ、助け合い、人間の力の限界を知ることなどの精神的価値を維持していくの適している。そこに住んで、日々の行為を実行しさえすれば、つまり生活しさえすれば、真、美、善についての規則を教え込んでくれるのである。日本の住居は秩序であり、記憶である」

 

日本の住居に住むことで日本人は日本における文化を自然と知り、身につけていくというのです。日本はマサビュオーが言うように、地震も多く、台風の被害にあうことも多いですし、私の父や祖父に聞くと、洪水や水害の被害にあうこともよくあったといいます。そのほかにも障子や襖といった敷居は今のアルミサッシとは違い暑さや寒さの影響を受ける居住環境であり、今の家屋と日本家屋では趣が違います。このように日本家屋は災害に弱く、気候の変化にもその影響をうけてしまいます。しかし、マサビュオーはそういった日本家屋の特徴にこそ、日本人の精神的価値の特徴が見えてくるといっています。彼は、日本人は自然と暮らしをうまく共存させて来たといいます。

 

以前、東日本大震災のあとの話ですが、地震により津波が起こったとき、その津波の到達点に石碑があり、過去にもそこまで津波は来たという記録があったといいます。こういった形を残し、未来に向けて、警告や記録を残していたというのも、先人の知恵であったのでしょう。また、日本家屋の作りは様々な「造り」を工夫してつくられており、特に「宮大工」至っては、くぎを使わずに木の本来持っている「しなり」を利用することによって地震の揺れに耐えるように作られています。だからこそ、法隆寺などは1000年以上たったいまでもその姿を残すことができるのです。こういった家屋の造りの複雑さや昨日さには知恵や圧倒されるほどのすごさを感じます。日本人は様々な災害を通して、対応していくということにおいても、自然に対する畏敬の念を基っと持っていたのだろうことを感じます。そして、「自然を御する」のではなく、うまく「共存」「共生」するということが考えられていることがわかりますし、うまく「いなす」というのも日本の特徴なのかもしれませんね。