大人の愛の理論

これまで赤ちゃんの愛着の型など愛の理論をゴプニックは紹介していました。では、この愛の理論とそのほかの理論はどのように違うのでしょうか。その一つはデータの違いです。物理的や生物的な世界のことであれば、赤ちゃんはたくさんの安定したデータを採ることができます。たとえば、ボールは落下する。ほとんどの種は芽を出してやがて花が咲く。といったことや、ほとんどの魚は、飼ってもすぐに死んでしまうといったことです。しかし、愛の理論の場合は、両親やきょうだい、祖父母、場合によってはベビーシッターと少ない顔ぶれからの量も変化も乏しいデータです。しかも、ボールや種や魚は、どれも同じようにふるまいますが、人間の養育者には個人差があり、しかも、同じ人がいつも同じ振る舞いをするわけでもありません。母親とはいっても、人それぞれである上、その時々の悩みや強さ、弱さを抱えています。赤ちゃんのご機嫌が変わったらぱっと対応できるときもあります。でも、どんな母親にも、ほかのことで頭がいっぱいだったり、自分の怒り、悲しみに気を取られているときがあるのです。

 

このように養育者と子どもの間の不均衡な関係、つまり、人によっても、時と場合によっても、関わり方が変わることは、実際に恐ろしいまでの情念をはぐくむことになるとゴプニックは言っています。客観的に見ると、煩雑な暮らしのなかで精一杯頑張っている個人に過ぎない養育者ですが、赤ちゃんにとっては、、絶大な存在となります。一人か二人かの弱い人間が、子どもの愛の観念を規定してしまうかもしれないのです。

 

また、物理的世界では、幼児期の理論と大人の理論の連続性がつかみにくく、大人になると誰もがほぼ同じ理論に収束していきますが、愛の理論ではそうではないからです。愛の理論においては、赤ちゃんの時の個人差が大人になっても残されているという証拠が最近では多々見つかっているようです。では、大人の場合、愛の理論はどのようにして調べるのでしょうか。

 

大人の場合は、面接で親との関係を質問したり、自分にとって大切な人を言葉で描写してもらい、その時に使われた形容詞を拾い出したり、恋愛体験について質問に答えてもらったりします。空港で大事な人に別れを告げるときの振る舞いを見るというのもあります。このように調べていくと、大人の中にも、赤ちゃんと同じようにm自分はこれまでもこれからも、ずっと愛されていると信じきっている人がいるかと思うと、過去や未来の愛のことなど考えたくないという人がいます。後者は親がどんな風に接してくれたかよく覚えていないとか、恋愛でストレスを感じたときはパソコンに向かって仕事に没頭するなどと答えます。

 

一方で、いつも自分が愛する以上の愛を相手に求めてしまう人や、人を愛しても報われるより拒絶される方がずっと多いと感じている人もいます。その場合、出発ロビーでも、ゲートをくぐる最後の瞬間まで恋人にしがみついている人と、できるだけさりげない別れを装う人がいるのです。大人においても赤ちゃんと同じように、いくつかのカテゴリーに分かれているようです。また、大人の場合も、愛している人を中心に、相手への共通点を持つことで好感をもったり、逆に影響を受けていることがあるようです。