11月2020

変革と適度なバランス

新しい21世紀型のカリキュラムは今とは大きく異なってくることが予想されていますが、なかなかそれが進んでいるようには思えません。教育の変革には当然それを妨げる反対勢力が同じくらいあるからです。

 

このことについてアンドレアス氏は保護者については「子どもがテストで不合格になることを心配する保護者は、より少ない労力でより多くの成果を約束するいかなる方法も信用しないかもしれない。」といっています。つまり、テストの点数ばかり気にして、将来に必要な力に目を向けないことがありえてしまい、なかなか変革が起こしにくい。教員に対しては「教員と組合は、社会情動的スキルのような主観的な内容を教えることを求められれば、彼らが教える内容だけでなく、彼らが誰であるかについても評価されなくなると心配するかもしれない。」これは子どもたちが主観的に動くことで、先生が必要なくなるのではないか、教科を教えるというのはある意味で仕事をはっきりと与えられているということともいえ、その存在価値を消されてしまうのではないかといった懸念。学校管理者や政策立案者に対しては「成功の指標が簡単に定量化できる内容面での知識から、生徒が卒業するまで完全にはわからない人間の特性に変わると、もはや学校や学校システムを管理できなくなると感じるかもしれない」といっています。これは現在のセンター試験のマーク―シートを記述式にすることに対して、「どう評価するのか。採点者によって変わるのではないか」といった議論が起きていることから見ても見えてきます。

 

こういった懸念に対処するには、現代のカリキュラムの設計と評価に対する大胆な挑戦が必要であり、卓越したリーダーシップが必要であるとアンドレアス氏は言っています。そして、それは理解の深さを優先し、学習への幅広い関与を促すために、地域社会全体から研究計画への理解を得ることを含んでいます。

 

では、変革することにおいては、どういったところに目を向け、考えていかなければいけないのでしょうか。新しい内容を追加することは、教育システムが新たな要求に対応していることを示す簡単な方法ですが、内容を削除することは難しいのです。これは日本でもありました。なかなか新しい教育形態と今ある形態との適度なバランスを持たせるのは難しいのです。

 

このことについてアンドレアス氏は、昨今のプログラミングの授業に関しても話に出しています。たとえば、テクノロジーが進んだ世界における困った質問は、生徒がプログラミングを学ぶべきかどうかが議論に上がりますが、今日の問題を解決するために、今日の技術を生徒に教えるにはリスクがあるのです。なぜなのか、それは生徒が卒業するまでに学んだ技術は陳腐化するかもしれないからです。このようにスピード感のある今の時代において、学ぶことや学び方は大きく変わらざるを得ない時代なのです。そして、保育や教育の求める視点というのも従来のものよりも大きく変わっていかなければいけないのかもしれません。

人を知る

アンドレアス氏は「現代教育におけるもっとも困難な課題は、どのようにして教育に価値観を組み込むかである」といっています。それは暗黙の願望から明示的な教育目標や実践へと移行し、地域社会が「できる範囲でやります」という限定的なものから、信頼や社会的な結びつきと希望を生み出す持続可能なものへと変わるべきであるということがこれからの社会においては求められるべきだからです。

 

このことについてニューヨークタイムズのコラムニスト トーマス・フリードマン氏は「氷山のように強固で恒久であるように見えた観点、伝統、社会通念が、今では一世代のうちに突然溶けてしまう」と指摘しています。さらに「社会が人々の下に土台を築かなければ、どんなに自滅的であろうとも、多くの人々が壁を築こうとするだろう」とも指摘しています。

 

この言葉の意味することはどういったことでしょうか。私はこの言葉を聞いて、いくら技術が進歩し、便利な世の中になっても、それを使う人間がうまく使いこなせなければかえって人々に不利益が被る場合があるということなのではないかと指摘しているように思います。これは昨今のSNSを見ていると感じます。ソーシャルネットワークというのは使い方によっては非常に便利であり、情報を共有することにおいては便利な技術です。しかし、その一方で、SNSを基にしたイジメやそれに応じて自殺者がでたり、プライバシーが侵害されたりと様々な問題が起きているのも事実です。なぜうまく使いこなせないのでしょうか。なぜ、思いやりのある使い方ができないのでしょうか。アンドレアス氏は「信頼や社会的な結びつきと希望を生み出す持続可能なものと変わるべき」といっています。今の時代、この信頼や社会的な結びつきが希薄になってきている時代です。こういったことについて、どう保育や教育は変わっていくべきなのでしょうか。

 

アンドレアス氏は東日本大震災のあと、岩手県に訪問したとき感じた感銘を語っています。その時、最も感動的だったのは日本の教員であったそうです。日本の教員は仕事とプライベートとの間に協会がないと言われています。教員は、生徒の知的な発達だけでなく、学校や家庭での社会情動的な生活にも深い責任を感じています。しかし、この地震において教員は物質的および心理的な支援がほとんどないまま、信じられないほどの量の新たな責任を引き受けていたとアンドレアス氏は言っています。多くの教員が生徒を救うために命を危険にさらしたのです。こういった教員の姿に深い感銘を受けたと言っています。

 

アンドレアス氏は「重要なのは、技術の進歩を先取りしたければ、私たち人類ならではの特性を見つけ、改善しなければならないということである。それは私たちがコンピューターを通じて生み出した能力を補完するものである、競合するものではない」といっています。

 

技術は使うためにあるのです。そのため、コンピューターのように知識を暗記することが教育なのでしょうか。大切なのはコンピューターのようなデジタル技術を使って「何をするか」が重要であり、そのためには人は人間を知らなければいけないのだと思います。

知を生かす

アンドレアス氏は難しい問題ではあるがと前置きしてのことですが、これからの学校に期待されるのは「生徒が自律的に考えることを学び、現代社会の多元性を踏まえたアイデンティティを身につける場になることである」といっています。これまでの記憶や暗記だけの学習ではなく、自分自身が自律的に物事を学び、それを社会につけるような力として発揮できるような力を持つことが必要だというのです。特にこれからの社会ではグローバルな考え方が必要になり、多様性を理解し、寛容と共感のような社会の中核となる自由な価値観を認める能力もまた必要になります。この力を持つことは、世界で巻き起こっている過激思想に対する最も強力な対策の一つともなるのです。これからの学校は生徒が自分自身について考え、他者と共に他者のために行動できるようにする必要があるとアンドレアス氏は言ってます。

 

これらの考えは、人々がいろんな視点で世界を捉え、さまざまな考え、観点、価値観を理解できるようにする一連の能力を評価する、グローバル・コンピテンシーの概念をPISAに統合するきっかけとなったのです。グローバル社会で優れた人は、地域、世界、異文化間の問題を検討し、さまざまな観点や世界観を理解し、他者を尊重しながらやり取りし、持続可能性と集団のウェルビーイングを目指して行動するのです。そして、そのような社会的および市民的包摂を実現するには、多様な認知的、社会情動的な要素がかかわるため、グローバル・コンピテンシーの測定は大変な科学的な挑戦なのです。

 

PSIAはこういった人材をこれからの社会には必要であるということで、学力調査を始めたのですね。しかし、日本において、考えてみると、なかなかこういったことが教育現場まで降りてきているのかというと、まだまだ知られていないことが多いように思います。当たり前のように、テストは未だ暗記に頼るものでありますし、現場においても自分で考えるといった教育形態よりも、教師から生徒に一方的に向かう授業がまだまだ主流といってもいいように思います。果たして、暗記を中心にした教育形態がこれからの社会で通用していくのでしょうか。どうやら、ここで話されていたのは、暗記することが目的ではなく、暗記された知識をいかに「生かすか」ということが目的であるということがこれからの社会には必要であるということが言われていました。以前ここで紹介した麴町中学の工藤勇一氏の教育改革などはここでアンドレアス氏の言っている目的と同じようなところに教育の価値を見出しているように思いますし、麴町中学でもあくまで知識を得ることよりも生かすことを目的とされていました。しかし、知識を生かすためには「知識を知る」といった「覚える」という従来の知識を得る教育も必要なことではあります。しかし、それはあくまで手段であって、目的ではないのです。目的は知識を生かすことなのです。そのためには、レジリエンスといった非認知スキルも必要になってくるのです。

 

このことを踏まえ乳幼児教育を考えていくと、小学校のプレ教育のような先取りをすることがいかに意味のないことなのかと思います。乳幼児期には乳幼児期の教育があり、それは小学校の先取りではなく、これからの社会に向かう学校現場につなぐために、その土台をつくらなければいけません。だから、遊ぶこと、とくに「遊び込む」といった経験が必要なのです。そこで得た、興味や探求心が後の学校教育につながっていくのです。本質をしっかりと見通したうえで、日々の保育の内容をしっかりと見据えていかなければいけないということを改めて感じます。

土台

多くの学校は、生徒が帰属意識を身につけたり、安心安全な学習環境をつくることで、より良い成果を上げることができるそうです。生徒と学校の社会経済的側面を考慮した後でも、生徒同士に良い交流があると回答した生徒は、協同問題解決能力において高い得点を示しました。ほかの生徒に脅かされていると感じない生徒も、協同問題解決能力で高い得点を示したのです。現在、「安心安全な学習環境」というのがなかなか難しくなっているのかもしれません。いじめ問題は無くなりませんし、自殺も未だ深い問題になっています。学校も決して、何もしていないことはないのでしょうが、体罰の問題も未だニュースに上がってきます。こういった環境は生徒では協同問題解決能力を育むことが難しいのでしょう。

 

また、恵まれない生徒の方が、恵まれた生徒よりも、チームワークに価値を見出していることが分かってきたそうです。こういった生徒たちは「チームワークが自身の効率性を改善する」といったことや、「ひとりで働くよりチームの一員として働くことを好む」「チームが個人よりも優れた意思決定を行うと考える」とより頻繁に回答したのです。学校が協同学習環境を設計し、そのような態度を育てることに成功すれば、恵まれない生徒を新しい方法で引き付けることができるかもしれないのです。

 

しかし、「生徒の社会的スキルの向上を支援するには、学校教育だけでは不十分である」とアンドレアス氏は言っています。まず、保護者が役割を果たす必要があるのです。たとえば、協同問題解決能力が優れた生徒には「PISA調査を受ける前に学校外で保護者と会話した」や「保護者が子どもの学校の活動に関心を持っている」「保護者が自信を持つように子どもを励ましている」と回答する傾向があるのです。

 

この協同問題解決能力はあくまで社会情動的スキルのほんの一面であり、忍耐力、共感、レジリエンス、マインドフルネス、勇気、リーダーシップという性格面の資質に関係しているとアンドレアス氏は言います。

 

このことを踏まえて考えてみても、協同で誰かと活動するということには社会情動的スキルなどの性格面の資質が大きく関わっているのです。それは言うなれば、保育は無縁ではなく、子どもたちが初めて人と関わる乳幼児教育にとって大きな課題でもあるのです。人との関わりや性格は遺伝子による気質もありますが、環境による影響もあると言われています。つまり、乳幼児期からすでに性格を形づくる環境は始まっているのです。そういった時に様々な価値観に触れることや自分で乗り越えていく経験は後の学習にも大きな影響を与えるということが見えてきます。そして、それは誰かに指示されたものではなく、自分自身が主体的に考えることで習得につながっていきます。乳幼児教育はそういったベースとなる現場であるということを知るとますます、その責任と仕事への誇りを感じますね。

ジェンダー格差

アンドレアス氏は協同問題解決能力において、すべての国がジェンダー格差を縮小していく必要があると言っています。というのも、2012年のPISAで個人の問題解決スキルを評価した際、ほとんどの国で男子は女子よりも高い得点を示しました。一方で2015年の協同問題解決能力では、読解力、科学的リテラシー、数学的リテラシーの影響を考慮しても考慮しなくても、各国の女子は男子よりも優れていました。協同問題解決能力におけるジェンダー格差は、読解力のそれよりもさらに大きいそうです。この結果は一体どういったことを示しているのでしょうか。

 

アンドレアス氏はこれらの結果は、「協同に対する生徒の態度に反映されている」と言っています。女子は関係に対してより積極的な態度を示し、他の人の意見により興味を持ち、他者の成功を望む傾向にあるというのです。一方で、男子はチームワークのメリットや共同がどのくらい効果的であり効率的であるかをみる傾向が強いことが言えるようです。これはもしかすると、人間の進化上の問題もあるのかもしれないと思います。女性は生存戦略においては家族を守ることが主としてあり、協同して家族を守ったり、部落でのつながりを保ったりしています。そこで協同な活動ができなければ部落から追い出されてしまう場合があります。一方で、男性は狩りに出なければいけません。人間はほかの生物とは違い、ひとりで戦うのではなく、複数人でのチームワークを通して獲物を狩ります。このように、私たちの遺伝子にはそもそものスキルというものが男女によって違って宿っているのかもしれません。そして、それが学習においてもちょっとした違いが出ている可能性があると私は感じています。

 

では、アンドレアス氏はこのことに対してどう考えているのでしょうか。アンドレアス氏は「協同に対する前向きな態度は、PISAの協同にかかわる能力の構成要素であり、態度が共同に影響を与える」といっています。そして、「たとえ人間関係による因果関係が不明確であっても、他者への感謝や豊かな友人関係を学校で育むことができれば、男子の方が女子よりも協同問題解決能力において良い成果を残すかもしれない」と話していています。アンドレアス氏は人間関係によって協同問題解決能力への男女差は変えることができると考えているようです。そのため、こういった「協同に対する態度」に関する原因は教室環境にあると言っています。

 

PISAでは、科学の授業で自分の意見を説明したり、実験室で実験に取り組んだり、科学的な問いを議論したり、探求のためのクラス討論をするなど、コミュニケーションを集中的に行う活動にどれくらいの頻度で参加するかを調査しました。その結果これらの活動と協同に対する積極的な態度には、明確な関係が見られました。平均して、これらの活動により頻繁に参加すると回答した生徒は、関係やチームワークを大切にしていると言っています。

 

人はこういった意味では環境によって、性質を柔軟に変える力を持っているのかもしれません。