7月2020

保育の質

ネグレクトは特に母親の学歴と関わりがあると森口氏は言っています。父親の育児参加が増えてるとはいえ、日本において子育ての中心は以前と母親が担っているからであって、中学校卒業などの最終学歴である母親は、そうではない母親よりも子どもとの関係性を築くことが得意ではないことが繰り返し示されています。

 

ただ、ここで注意しなければいけないことはアタッチメントの関係性は母親に限らないということです。父親でもアタッチメントの関係性は築くことができます。また、里親が子どもに関わったことで実行機能が向上したことを見ても、子どもがアタッチメントの関係性を築くことは里親でも構わないのです。それは教師や保育でも同じことが言えます。つまり特定の大人が、責任を持ってしっかりと子どもと関わり、安心できる場所を提供するということが大切になってくるのだと森口氏は言っています。

 

では、アタッチメントのことを踏まえ、子どもと関わるためにどういったことをしていく必要があるのでしょうか。森口氏はこのことについて最も研究が進んでいるのは「保育の質」だといっています。子どもの発達に影響力があるのは、支援的な子育てと管理的な子育てだそうです。支援的な子育てとは子どもの自主性を尊重しようという子育てであり、管理的な子育てとは親が子どもを統制するような子育てです。

 

「支援的」「管理的」というのは保育の中でもたびたび話題に上がってくる内容です。私は子どもの生活や保育に関して「見守る」という姿勢は非常に必要な子どもとの距離感だと思ってます。しかし、一口に「見守る」といっても、さまざまな受け止められ方をされることが多いです。「見守る」=「見る」ということは確かなのですが、「ただ見ている」というだけでは放任です。なんでもしていいわけではなくある程度のルールが求められるのです。こういってニュアンスは様々なとこで見受けられます。例えば、今回出てきた「支援的」もそうですね。「支援」と言われるとどういったイメージを持つでしょうか。子どもが困っていたら助けてあげるというのが支援ですが、最近では、「子どもが困ってもいない」のに助けたがる保育者や保護者がいることもよくあることです。それは「支援」ではなく「お節介」になってしまうのです。では、「管理」というとどうでしょうか。「管理」と言われると子どもたちの一挙手一投足を見て、少しでも違うことがあれば「違う」と注意される。しかし、これは「管理」ではなく「誘導」です

 

私はこのことについてあくまで「育児の質」や「保育の質」と考えると「支援」と「管理」は別のものではなく、同時でなければいけないと思っています。バランスを持たせることが必要なのです。今の保育では、どちらかに0か100かでバランスが取れていないような気がします。なぜなら、そのほうが「楽」だからです。しかし、人とはそれほど単純ではありませんし、これからのグローバルな時代においてはもっと柔軟なスキルが求められます。実行機能はそういった時代に必要な力なのです。

 

では、森口氏の見解としてはどういったものを「支援的」なもので、どういったものが「管理的」なものであると見えてきたのでしょうか。

ネグレクト

前回の内容でアタッチメントが赤ちゃんと養育者とどのようについて関わることで、作られてくのかということが分かってきました。つまるところ、養育者と赤ちゃんの関係性の中で、お腹が減ったときや不安なとき、不快なときに適切に対応してもらうことでアタッチメントの関係性が深くなっていくようです。そのなかで、子どもは自分の感情をコントロールすることができるようになると森口氏は言っています。

 

森口氏ははじめは子どもは感情をコントロールすることはできないといっています。しかし、養育者にくっつき、慰めてもあることで、コントロールしてもらいます。そういった経験の中で徐々に感情をコントロールするという感覚がわかってくるのです。そして、今度は自分で、たとえば指しゃぶりなどをすることで、感情をコントロールできることに気づきます。そのうちに、養育者の手を少しずつ離れ、自分自身で感情や行動をコントロールし、実行機能を育てるというのです。

 

私が前回、思った「安心基地」とは少し話が違っていましたが、子どもが感じるアタッチメント(愛着)といった親との関係性というものは同じような考え方であるように思います。ただ、子どもたちは養育者との関わりの中で、自分の感情のコントロールをしているのですね。赤ちゃんとの適切な関りは「お節介や先に手を出すこと」ではなく、いかに「応答的な関わり」が必要になってくるのかということが分かります。

 

そして、このアタッチメントこそが、「ネグレクトのような状態では実行機能が育たたない」ということの大きな要因であると森口氏は言っています。ネグレクトの状態では、子どもは不安になっても、養育者とくっつくこともできなければ、慰めてもらうこともできません。そのため、最初は感情のコントロールができない子どもが、養育者の助けも得られなければ、感情をコントロールするという感覚を得ることができないのです。結果、ネグレクトの家庭で育つと実行機能の発達に問題を抱えてしまうと森口氏は言っています。

 

では、身体的な虐待や心理的虐待の場合はどうなるのでしょうか。以前の話でもネグレクトのほうがそのほかの虐待よりも実行機能に影響があると森口氏は言っています。それは身体的であれ、心理的であれ、「関わり方自体は間違っているものの養育者は子どもに関わっている」というのです。しかし、ネグレクトの場合、子どもに関わりません。この違いが大きいのです。もちろん、身体的虐待や心理的虐待も、子どもの脳や心の発達に深刻な影響を与えることには違いはないので、決してこれが良いというわけではないが、実行機能に関しては、子どもにとってストレスが強いのは、誰も関わってくれないネグレクトであるということが分かってきました。

アタッチメントと実行機能

ルーマニアでのネグレクトの子どもがどれほど実行機能の発達に影響が出ているのかを見ていく研究で、見えてきたのは、一つ目は里親グループの子どもは私設グループの子どもよりも、幾分思考の実行機能に優れているということです。里親グループの子どもは、里親によって庇護されることによって、ネグレクトの状態から脱することになります。そのため、ネグレクト状態の施設グループの子ども達よりも、実行機能が改善されることが分かったのです。もう一つの結果は、里親グループの子どもは、生まれたときから家庭で育った子どもに比べると、思考の実行機能が低いということです。そして、この差は年齢とともに広がっていったのです。IQなどの影響を考慮すると結果がまた変わる点には注意が必要ですが、これらの結果は早期に親などの養育するものとの関係を築けなかったことが重要な影響を及ぼすことを示していると森口氏は言っています。

 

実行機能においては、幼いころからの養育者との関わりが大きく関わっているのですね。では、赤ちゃんと養育者の関わりの中で、どういったことが必要とされるのでしょうか。保育をしていると私は常々、「安心基地」という言葉の意味を感がることがよくあります。赤ちゃんを見ていると、保育者との関わりの中で安心できる存在を見つけると進んで自分から環境に働きかけようと少し離れて遊ぶようになります。実行機能は「自分をコントロールする力」というのはこれまでもたびたび言われていましたが、子どもが新しい世界に自分から飛び込むにはそこにある危険などのリスクを想定なければいけなくなります。保育者との距離感を取っていく過程にはそういった赤ちゃんなりのリスク回避を保育者の目を通して確認している作業のようでもあります。ネグレクトというのはそういった確認作業ができないような環境でもあるのかもしれません。当然、自分をコントロールするモデルや指標を無くすということもあるように思います。では、森口氏の研究ではネグレクトとは、どういった意味合いで赤ちゃんから深刻な影響を及ぼすと考えているのでしょうか。

 

森口氏は赤ちゃんは生後数カ月間にかけて、養育者と「アタッチメント(愛着)」を築くといっています。アタッチメントとは、情緒的な結びつきです。このアタッチメントがあることで、赤ちゃんは不安な時や怖いことがあったときに、安心感を得ることができるというのです。このアタッチメントを形成するには、特に生後間もない時期には、養育者側の関わりが極めて重要になってきます。赤ちゃんの不快な感情や不安な感情を泣くことによって、自分の感情を表現します。その時に養育者は赤ちゃんの状態を見て、敏感に反応する必要があるのです。赤ちゃんが目を覚ました時に誰もいなければ不安で泣くこともあります。そんな時は抱きあげて、安心感を与える必要があるのです。お腹がすいたときにはおっぱいやミルクをあげて、空腹を満たす必要もあります。こういった関係性を築いていくことでアタッチメントの関係性ができあがってくるのだと森口氏は言っています。

 

そして、このアタッチメントを土台が実行機能への土台にもつながるのです。そして、この見解は私の思っているのと非常に似た関係であることが見えてきます。

ネグレクトの影響

森口氏は家庭環境において、実行機能に影響がある一つの要因が虐待であるといっています。そして、その中でも、ネグレクト(育児放棄)がもっとも深刻な影響を与えるといっています。ネグレクトとは、子どもや障害者などが、その保護や養育を放棄されることを指します。具体的には食事を作ってもらえなかったり、親に無視されたりする経験が含まれます。平成26年厚生労働省の統計では、ネグレクトは児童虐待の中でも、心理的虐待、身体的虐待についで第3位で、虐待の3割弱を占めているように、非常に日本においても問題になっているものです。

 

ミネソタ大学のエグランド博士らの研究では、児童虐待を受けていないグループ、身体的虐待を受けている子どものグループ、心理的虐待を受けている子どものグループ、ネグレクトを受けている子どものグループを比較しました。その結果、ネグレクトを受けている子どものグループは身体的な虐待を受けているグループや心理的な虐待を受けているグループよりも、頭の切り換えの発達が遅くなることが示されたのです。つまり、ネグレクトを受けて育った子どもは、思考の実行機能の発達が遅れるということが分かったです。

 

なぜネグレクトのほうが、思考の実行機能において、発達の遅れが見えてくるのでしょうか。一見してみると身体的な虐待や心理的虐待のほうが、直接的に子どもたちに向かった影響が出そうなものです。しかし、子どもたちに直接的なアプローチがないネグレクトのほうがより深刻な影響が出るというのです。

 

このことについて、森口氏はルーマニアの事例を挙げています。ルーマニアで独裁者として君臨していたチャウシェスクという人物がいました。この人物はルーマニアの人口を増やすために、人工中絶を禁止したり、多産を極端に奨励したりするような政策を実施しました。しかし、当時のルーマニアは、非常に厳しい財政状況でもあったため、食糧不足などが生じ、家庭では育てられなくなった多くの子どもたちが、養護施設に預けられました。そのため、政権が崩壊したときには10万人以上の孤児がいるような状況になったのです。多くの孤児がいるので、養護施設の職員はきめ細かにケアができず、必然的にネグレクトに近い状態になったのです。

 

メリーランドン大学のフォックス博士の研究グループが、この施設で育った子どもたちの発達過程を検討するために、大規模な調査を行いました。まず、この施設で育った子どもを、2つのグループに無作為に分けます。1つは以前と同じように施設で育つ子どものグループ、もう一つは、里親を探して、その里親の下で育つグループ、そして、施設と関係のない、生まれたときから家庭で育ったグループを加え、3つのグループの発達を比較しました。

 

すると、ネグレクトと実行機能との差にある一定の結果が見えてくるようになったのです。

家庭環境と実行機能

子どもを取り囲む環境が実行機能に影響を与えることが言われています。胎内環境から前頭前野に与える影響があるということが言われていますが、では、出生後の家庭環境においてはどのような影響が出てくるのでしょうか。現在、発達支援や教育支援という点から非常に重要視されているのが、家庭の経済状態と実行機能の関係だと森口氏は言っています。そして、家庭の経済状態を示すためによく用いられるのが社会経済的地位と呼ばれるものです。これは社会的な地位(職業や学歴)と経済的なレベル(所得や財産)によって構成されます。いうなれば、ある家庭が裕福なのか、貧しいのかを表す指標のことを言います。

 

つまり、この社会経済的地位が低い子どもは、高い子どもに比べ、いくつかの能力が低いことが世界中で示されていると森口氏は言っています。そして、このことは幼児期においてもその差は明確だというのです。では、社会経済的地位は子どもたちのどういった能力に盈虚を与えるのでしょうか。このことをコロンビア大学のノーブル博士らが調べました。対象となった能力は視覚認知能力、空間認知能力、記憶力、言語能力、思考の実行機能です。

 

この研究から社会経済的地位が子どもたちに与えた影響は、言語能力と思考の実行機能だということが分かってきました。その一方で、視覚認知能力や記憶力などにはあまり影響を与えなかったということも分かってきました。このことから見て、言葉や実行機能のような、発達に時間がかかる能力ほど、社会経済的地位の影響が大きいということを森口氏は言っています。そして、その理由として家庭での教育や子育てが長期間に及ぶことと「ストレス」の影響があるのではないかというのです。この結果は思考の実行機能だけではなく、感情の実行機能においても報告されているそうです。また、森口氏の研究においては、社会経済的地位が、子どもの前頭前野の発達に影響を及ぼしているということが分かってきたそうです。前頭前野が実行機能において、大きな意味があるということはこれまでも紹介してきましたとおりです。

 

では、なぜ、社会経済的地位が子どもの実行機能に影響を与えるのでしょうか。その理由の一つに社会経済的地位が低い子どもは高い子どもに比べて、ストレスを感じる経験が多いことからだといいます。そのため、ストレスに脆弱な前頭前野はその影響を受けてしまうというのです。たとえば、虐待です。身体的虐待、心理的な虐待、性的な虐待などがありますが、このような虐待を受けると、子どもは強いストレスを感じ、脳の発達は深刻なダメージを受けます。このストレスは何も本人が直接的に虐待を受けるだけではなく、例えば父親が母親に暴力をふるうのを見るだけでも、子どもには大きなストレスがかかってしまうのです。オレゴン大学のグラハム博士らの研究では、1歳以下の赤ちゃんが睡眠中に両親が口論すると、赤ちゃんの脳がストレスを受けることが示されています。それ以外にも、家族にアルコール依存症や薬物依存者がいること、精神疾患を持つ人がいること、服役中の人がいることなども子どもに大きなストレスを与えるといっています。しかし、このような家庭でのストレス経験の中でも、最も子どもの実行機能に深刻な影響を与えるのが、ネグレクト(育児放棄)と森口氏は言っています。