保育の質
ネグレクトは特に母親の学歴と関わりがあると森口氏は言っています。父親の育児参加が増えてるとはいえ、日本において子育ての中心は以前と母親が担っているからであって、中学校卒業などの最終学歴である母親は、そうではない母親よりも子どもとの関係性を築くことが得意ではないことが繰り返し示されています。
ただ、ここで注意しなければいけないことはアタッチメントの関係性は母親に限らないということです。父親でもアタッチメントの関係性は築くことができます。また、里親が子どもに関わったことで実行機能が向上したことを見ても、子どもがアタッチメントの関係性を築くことは里親でも構わないのです。それは教師や保育でも同じことが言えます。つまり特定の大人が、責任を持ってしっかりと子どもと関わり、安心できる場所を提供するということが大切になってくるのだと森口氏は言っています。
では、アタッチメントのことを踏まえ、子どもと関わるためにどういったことをしていく必要があるのでしょうか。森口氏はこのことについて最も研究が進んでいるのは「保育の質」だといっています。子どもの発達に影響力があるのは、支援的な子育てと管理的な子育てだそうです。支援的な子育てとは子どもの自主性を尊重しようという子育てであり、管理的な子育てとは親が子どもを統制するような子育てです。
「支援的」「管理的」というのは保育の中でもたびたび話題に上がってくる内容です。私は子どもの生活や保育に関して「見守る」という姿勢は非常に必要な子どもとの距離感だと思ってます。しかし、一口に「見守る」といっても、さまざまな受け止められ方をされることが多いです。「見守る」=「見る」ということは確かなのですが、「ただ見ている」というだけでは放任です。なんでもしていいわけではなくある程度のルールが求められるのです。こういってニュアンスは様々なとこで見受けられます。例えば、今回出てきた「支援的」もそうですね。「支援」と言われるとどういったイメージを持つでしょうか。子どもが困っていたら助けてあげるというのが支援ですが、最近では、「子どもが困ってもいない」のに助けたがる保育者や保護者がいることもよくあることです。それは「支援」ではなく「お節介」になってしまうのです。では、「管理」というとどうでしょうか。「管理」と言われると子どもたちの一挙手一投足を見て、少しでも違うことがあれば「違う」と注意される。しかし、これは「管理」ではなく「誘導」です
私はこのことについてあくまで「育児の質」や「保育の質」と考えると「支援」と「管理」は別のものではなく、同時でなければいけないと思っています。バランスを持たせることが必要なのです。今の保育では、どちらかに0か100かでバランスが取れていないような気がします。なぜなら、そのほうが「楽」だからです。しかし、人とはそれほど単純ではありませんし、これからのグローバルな時代においてはもっと柔軟なスキルが求められます。実行機能はそういった時代に必要な力なのです。
では、森口氏の見解としてはどういったものを「支援的」なもので、どういったものが「管理的」なものであると見えてきたのでしょうか。